作品タイトル不明
第26話 元パーティーの勘違い
薄暗い、湿気とカビの臭いが染み付いたビジネスホテルのような一室。
Aランクパーティー「赫き剣」のリーダーであるレオンは、苛立ちに任せて安っぽいパイプベッドの脚を強く蹴り飛ばす。鈍い音が部屋に響くが、彼の怒りが収まる気配はない。
「ふざけんな。なんで俺たちが、こんな埃っぽい安宿で謹慎処分なんて受けなきゃならねえんだよ」
舌打ちと共に吐き出された声は、ひび割れた壁に吸い込まれていく。
数日前に深淵の迷宮から逃げ帰ってきた彼らは、ギルド本部の査問室で厳しい追及を受けていた。証拠不十分で罪に問われることはなかったものの、活動自粛を命じられ、事実上の軟禁状態にある。
盾役の男が、備え付けの安っぽい椅子に腰掛けたまま口を開く。
「なあ、レオン。ギルドの幹部ども、やけにあのオッサンのことを詳しく聞いてきたな。まるで、あいつがまだ生きているみたいな妙な口ぶりだったぜ」
「バカ言え。戦闘力ゼロの無能が、最深部で生きてるわけねえだろ。落ちた瞬間に魔物の餌になって骨も残ってねえよ」
レオンが鼻で笑い、忌々しそうに吐き捨てた時だった。
窓際で通信端末を操作していた魔法使いの女が、信じられないものを見たかのように、ひゅっと息を呑んで震える声を上げる。
「レオン……ちょっと、これ、見て……」
「あ? なんだよ、うざってえな」
レオンは乱暴に歩み寄り、女の端末を覗き込んだ。
彼女が差し出した画面には、現在世界中のトラフィックを独占しているD-Tubeのライブ配信が映し出されている。
「……は? なんだこれ」
レオンの目が極限まで見開かれる。
そこに映っているのは、間違いなく彼らの専属荷物持ちだった男、山本博人だ。
男は、見たこともないような豪奢で巨大なテントの前に作られた石造りのかまどの傍らで、のんびりとコーヒーを飲んでいる。
そして何より異常なのが、男の足元で丸くなっている巨大な白い獣だ。神話級の魔獣であるはずの『フェンリル』が、腹を見せて気持ちよさそうに眠っている。
さらに男の周囲には、Sランクのエミリアや、世界的に有名な令嬢であるクロエといった見覚えのあるトップ探索者たちが集い、男が作ったらしき豪華な料理を奪い合うようにして食べているではないか。
『おっさんの作った飯、マジで美味そう』
『フェンリルがすっかり駄犬になってるの草』
『エミリア様、またお代わりしてるよ……』
画面の端では、見たこともない速度でコメントが滝のように流れ続け、同接のカウンターは数百万という、文字通り世界規模の数字を叩き出していた。
「あいつ……生きているどころか……っ」
レオンは画面を食い入るように見つめ、その端整な顔を醜く歪ませる。
自分たちがトラップの恐怖に怯え、安い携帯食をかじりながら逃げ帰ってきたというのに。囮にしたはずの無能な荷物持ちは、世界中のトップ探索者たちに囲まれ、美味い飯を食い、神獣を従え、世界的な名声と莫大な配信収益を独占しているのだ。
「俺たちを出し抜いて、一人でこんなうまい汁を吸ってやがったのか……!」
「レオン、どうするの? ギルドはあいつを保護しようとしてるわよ。このままじゃ、トラップの件もバレるのは時間の問題だわ」
魔法使いの女が青ざめた顔で言うと、レオンは通信端末をテーブルに叩きつけた。画面に細かいひびが入る。
「決まってるだろ。あいつは俺たち『赫き剣』が雇った専属の荷物持ちだ。ギルドに提出した雇用契約書も残ってる」
「……つまり?」
「つまり、あいつが迷宮で得たレアアイテムも、あのバカでかい獣も、配信の莫大な収益も、全部『赫き剣』のパーティーのものだ。俺たちが管理する正当な権利があるんだよ」
レオンの瞳には、かつての仲間を見捨てたことへの罪悪感など微塵もない。そこにあるのは、底辺だと思っていた男が手にした富と名声に対する、ドロドロとした欲望と、自分たちの所有物だという傲慢な理屈だけだった。
「ギルドの連中が動く前に、俺たちが直接、あいつを迎えに行ってやる。あのオッサンを再び俺たちの管理下に置けば、世界最高のパーティーになるのは俺たちだ」
★★★★★★★★★★★
深淵の迷宮の最深部。
「赫き剣」の連中が勝手な皮算用で息巻いていることなど知る由もなく、俺は石造りのかまどの前で火の始末をしていた。
昼食の片付けを終えたキャンプサイトは、現在、妙な静けさに包まれている。
クロエとユジンは、籐子が新たに持ち込んだ怪しげな魔道具の実験に付き合わされて、少し離れた森の奥へと連行されていった。
久美子は相変わらず、日向ぼっこをしている豆柴サイズのハクの柔らかい腹をクッションにして、ピクリとも動かずに昼寝の真っ最中だ。
「おじさん。今、暇ですか?」
背後からそっとパーカーの袖を引かれ、振り返る。
そこには、重い軽装鎧を脱ぎ、動きやすい白いチュニックと細身のパンツ姿になったエミリアが立っていた。彼女は昼寝をしている久美子とハクをチラリと確認してから、声をひそめる。
「みんながいない間に、ちょっとだけ抜け出して散歩に行きませんか? ずっとキャンプに座ってると、体が鈍っちゃうので」
「散歩か。まあ、火の番はしなくても大丈夫そうだし、ちょうどいいな。いいぞ」
俺はアイテムボックスから小ぶりのクーラーボックスを取り出し、肩から下げた。
エミリアと一緒に、湖畔に沿ってゆっくりと歩き出す。
いつもなら誰かが料理のことで騒いでいるか、ハクがご飯をねだって吠えているかだが、こうして二人だけで歩くとなんとも静かだ。湖の水面が上空の発光苔の光を反射してキラキラと輝き、涼しい風が通り抜けていく。
「毎日、本当に賑やかになりましたね」
エミリアが少し先を歩きながら、後ろ手に組んで笑いかけてきた。その黄金色の髪が風に揺れ、透き通るような白い肌によく映えている。
「お前が一番騒がしい原因の一つだけどな」
「えっ、私ですか!? 私はただ、おじさんのご飯が美味しすぎるから素直に喜んでるだけで……」
「だからそれが騒がしいんだよ。まあ、不味そうに食われるよりは百倍マシだがな」
軽口を叩き合いながらしばらく歩くと、小高い丘のように隆起した、見晴らしの良い草地にたどり着いた。
俺たちはそこに並んで腰を下ろす。ここからはキャンプサイトの全景と、巨大な湖が一望できた。遠くの森の入り口で、籐子のドローンが不自然な軌道で飛んでいるのが小さく見える。
「少し歩いたし、おやつにするか」
俺が肩から下げていた蓋を開けると、エミリアがパッと顔を輝かせた。
「おやつ! なんですか!?」
「特製のフルーツサンドだ」
保冷剤代わりの氷の魔法石と一緒にラップに包んで冷やしておいた、プラスチック製のタッパーを取り出す。
厚めにスライスした食パンに挟まれているのは、マスカルポーネチーズをたっぷりと混ぜ込んでコクを出した、甘さ控えめのホイップクリーム。そして、ダンジョン周辺の森で久美子が採集してきた、イチゴに似た真っ赤な果実と、爽やかな酸味のあるキウイのような緑色の果肉だ。
ナイフで対角線にカットしてあるため、真っ白なクリームの海の中に、色鮮やかな果実の断面がモザイク画のように美しく並んでいる。
「わぁ……綺麗……! 宝石箱みたいです!」
「ほら、クリームがぬるくならないうちに食え。紅茶も淹れてやるから」
俺が紙皿に乗せて渡すと、エミリアは両手で大切そうにフルーツサンドを受け取り、大きな口を開けてパクリとかじりついた。
サクッとしたパンの食感のあと、たっぷりのクリームが口の端から少しだけはみ出す。彼女はそれを舌で器用に舐め取りながら、顔をほころばせた。
「んんっ……! クリームが全然重くなくて、すごくさっぱりしてます! 果物の甘酸っぱさとぴったり合ってて、ショートケーキを丸ごと手で食べてるみたいです!」
「普通のホイップだけだとしつこくなるからな。マスカルポーネを混ぜることで、乳脂肪分が多すぎないように調整してあるんだ。果物の酸味を引き立てるにはこれが一番いい」
俺も自分の分をかじり、アイテムボックスから取り出した保温ボトルで、温かいダージリンティーを注ぐ。
ひんやりとしたクリームの甘さと、温かい紅茶の渋みがよく合う。
「私、ノルウェーにいた頃からお肉とか味が濃いものが大好きだったんですけど……おじさんの作るものは、どれも魔法みたいです」
エミリアはフルーツサンドをあっという間に平らげ、二つ目に手を伸ばしながら言った。その声は、いつもの元気なトーンよりも少しだけ落ち着いていた。
「魔法剣士のお前に言われると皮肉に聞こえるな」
「本気で言ってますよ。日本の事務所に入ってからは『戦乙女のクールなイメージに合わない』って、公の場ではずっとサラダとかゼリーばかり食べさせられてきたんです。隠れてジャンクフードを食べた時は、一週間くらいマネージャーにお説教されましたし」
エミリアは紅茶の入った紙コップを見つめ、ふぅっと小さく息を吐いた。
「でも、ここに来て、おじさんのご飯を食べてる時だけは、そういう煩わしいことを全部忘れられるんです。誰の目も気にせずに、ただ『美味しい』ってことだけを考えていられる。……私、もうおじさんのご飯がないと生きていけません。地上に帰って、また味気ないゼリーと作り笑いの生活に戻るなんて、絶対に無理です」
彼女の言葉には、食いしん坊な彼女らしい切実な不満と、この場所で見つけた安らぎへの強い思いが込められていた。
「大げさだな。まあ、美味いって食ってくれるならいくらでも作るさ。俺も、一人で黙々と食うより、お前らが騒ぎながら食ってくれる方が作り甲斐があるからな」
俺が何気なく答えると、エミリアは咀嚼の手を止め、真剣なサファイアの瞳で俺をじっと見つめてきた。
「……じゃあ、一生作ってくださいね」
湖からの風が吹き抜け、彼女は眩しそうに目を細めてチュニックの裾を微かにはためかせる。
冗談とも本気ともつかない、どこか甘さを帯びたそのトーンに、俺が大人の男としてどう返すべきか一瞬言葉に詰まっていると。
「あ」
エミリアは突然、何かに気づいたように声を上げた。
そして、さっきまでの少ししっとりした空気はどこへやら、彼女はすでに俺の手元へと身を乗り出してきている。
「おじさん、まだ残ってますよね!? 私、三つ目いけます!」
「お前……さっきの感動的な流れから、一瞬で食欲にシフトするなよ。本当に食い意地だけはSランクだな……。ほらよ、これで全部だ」
「やったー! おじさん大好きです!」
俺は苦笑しながら最後の一切れを彼女に渡し、静かな丘の上で紅茶の入ったカップを傾けた。