作品タイトル不明
第22話 戦乙女の夢、巨大煮込みハンバーグ
深淵の迷宮の最深部に、いつものように穏やかな朝が訪れた。
疑似太陽が柔らかな光を投げかける中、俺がかまどに火を入れようとしていると、青と白の軽装鎧を身に纏ったエミリアが、そわそわとした足取りで近づいてきた。
「おじさん。あの、今日のランチなんですけど……」
「ん? なんだ、食べたいものでもあるのか?」
「はいっ! ハンバーグが食べたいです! それも、フライパンを埋め尽くすくらい、とびきり巨大で、中にチーズがたっぷり入っているやつを!」
エミリアは両手で大きな円を作りながら、碧眼をキラキラと輝かせて懇願してきた。
どうやら、日本の洋食の定番であるハンバーグの夢でも見たらしい。いい大人が朝からハンバーグのサイズを熱弁する姿は少しシュールだが、リクエストがあるなら応えるのが料理人の性というものだ。
「わかった。だが、俺のアイテムボックスには今、牛と豚の合い挽き肉のストックがあまりない。巨大なハンバーグを作るには肉が足りないな」
「……任せて」
俺の言葉が終わるか終わらないかのタイミングで、キャンピングチェアで丸くなっていた久美子がスッと立ち上がり、音もなく森の奥へと消えていった。
そして二時間後。彼女は自身の体長よりもはるかに巨大な、赤黒い肉のブロックを軽々と担いで帰還した。
「第五十階層で、アビス・ミノタウロスの群れが寝てるのを見つけた。気配を完全に殺して近づいて、一番強そうなボスの肩ロースとバラ肉だけをこっそり切り取って盗んできた。……一匹も起きなかった」
「お前、本当に仕事が早いし肝が据わってるな。助かるよ」
さすがは超一流のシーフだ。巨大魔獣を正面から狩るのではなく、一番いい部位だけを無音で削ぎ取ってくるという常軌を逸したステルス調達である。
俺は即座に下処理に取り掛かった。
ミノタウロスの肉は地上で流通している一般的な牛肉よりも繊維が太く、野性味が強い。これを包丁で丁寧に叩き、赤身の旨味が強い肩ロースと、脂が乗ったバラ肉を絶妙な比率で混ぜ合わせて特製の粗挽き肉を作り上げた。
大きなボウルに挽き肉を移す。
ここに加える玉ねぎは、みじん切りにした後、『極・生活魔法』で一瞬にして水分を飛ばして飴色に炒め上げ、氷温の魔力で瞬時に粗熱を取っておく。
肉に塩を加え、手の熱で脂が溶け出さないように魔力で適温を保ちながら、肉の繊維が絡み合って粘り気が出るまで徹底的にこねる。そこに飴色玉ねぎ、卵、牛乳に浸したパン粉、ナツメグと黒胡椒を投入し、空気を抜きながら一つにまとめ上げた。
「エミリア、フライパンを埋め尽くすサイズって言ったな」
「はいっ! 夢の特大サイズでお願いします!」
俺は籐子が置いていった直径四十センチの【絶対焦げない魔導ダッチオーブン】の蓋をフライパン代わりにし、そこに巨大な肉のタネを広げた。
その中心に、クロエが「わたくしのシャトーで熟成させた最高級品ですわ」と提供してくれたモッツァレラとチェダーの混合チーズを、これでもかというほど大量に詰め込み、肉でしっかりと包み込んで分厚い円盤状に成形する。
魔力で鉄板を熱し、巨大なハンバーグを乗せた。
ジュワァァァァッ!!
ミノタウロスの野性味溢れる脂が弾け、周囲の空気が一気に濃厚な肉の匂いに支配される。
「うわぁ……っ!」
エミリアが顔を覆い、隣でユジンも「反則的な匂いね……」と喉を鳴らした。ハクに至っては俺の足元でピョンピョンと跳ね回り、今にも鉄板に飛びつきそうな勢いだ。
表面にしっかりと香ばしい焼き色がついたところで、ハンバーグを慎重に裏返す。
ここからが煮込みの工程だ。
フライパンの空いたスペースに、バター、ケチャップ、ウスターソース、そして赤ワインをドバドバと注ぎ込む。そこに濃厚な牛のブイヨンを加え、魔力で温度を完璧にコントロールしながら、ソースをグツグツと煮詰めていく。
赤ワインの酸味が飛び、ソースにとろみがついていくと同時に、肉の中心までじっくりと熱が浸透していく。
「よし、完成だ。特大チーズイン煮込みハンバーグ」
木のテーブルの中央に、煮えたぎるデミグラスソースの海に浮かぶ、巨大な肉の島をドンッと置いた。
取り分けるためのナイフをハンバーグの中心に突き立てる。
プツッ。
弾力のある表面を突破し、刃を引いた瞬間だった。
「おおおっ……!」
「嘘でしょ!?」
切れ目から、ミノタウロス肉の透明な肉汁と共に、熱でトロトロに溶けた黄金色のチーズが、まるで火山から溢れ出す溶岩のようにドロリと雪崩れ出してきたのだ。
デミグラスソースの海が、黄金色のチーズと混ざり合い、罪深いまでのシズル感を演出している。
「さあ、冷めないうちに食え」
俺の合図と共に、食卓は一瞬にして戦場と化した。
「いただきますっ! はふっ、んんんっ! お肉が粗挽きでガツンとくるのに、チーズがまろやかで……ご飯が止まりませんっ!」
エミリアは歓喜の涙をポロポロと流しながら、自分の顔ほどもあるハンバーグの塊を白飯の上に乗せ、無我夢中で掻き込んでいる。
「ちょっとエミリア! 真ん中のチーズが多いところばっかり取らないでよ! 公平に切り分けてやるわ!」
ユジンが目にも留まらぬ速さでナイフを振るい、チーズがたっぷり絡んだ美味しい部分を自分の皿へと強奪していく。
「あーっ、ユジンずるいです! 返してください!」
「早い者勝ちよ!」
二人が小競り合いをしている間に、クロエがフォークを伸ばし、最も分厚い肉塊をエレガントに串刺しにした。
「お黙りなさい貴女たち。この濃厚なデミグラスソースには、わたくしが用意したピノ・ノワールが最高に合うんですの。ほら、騒いでいないで味わいなさいな」
「あ、クロエ様まで!」
「ふふっ……このソース、反則ね……バゲットに吸わせて……たまらないわ……」
籐子はもはや魔道具の研究や分析など完全に頭から抜け落ちており、スライスしたパンでフライパンの底のソースを無我夢中で掬い取っている。
その騒ぎの死角で、久美子がいつの間にか一番大きな塊を確保し、寝転がったまま器用にモグモグと咀嚼していた。
「ワフゥゥッ!!」
ハクには、ネギ類や香辛料を抜いた特製の巨大ハンバーグを木桶に入れてやったが、文字通り三秒で吸い込み、「俺にもそのチーズとやらをよこせ」とばかりにテーブルの上に身を乗り出してきている。
「こらハク、お前はこっちのプレーンなやつを食ってろ。エミリア、焦らなくても肉はまだあるから少し落ち着け。ユジン、お前もナイフを振り回すな危ないだろ」
俺はカオスと化した食卓を宥めながら、自分用の皿にハンバーグを取り分けた。
粗挽きのミノタウロス肉の力強い噛み応え、溶け出す濃厚なチーズ、そして赤ワインの効いた大人のデミグラスソース。
一口食べるだけで、ガツンとした満足感が胃袋を直撃する。これは確かに、探索で疲れた身体には最高のメニューだ。
岩の上に立てかけた端末の画面では、数十万人の視聴者がこのドタバタとした巨大ハンバーグ争奪戦を前に、阿鼻叫喚のコメントを垂れ流し続けていた。
★★★★★★★★★★★
夜。
天井の発光苔が静かな青い光を放ち、湖畔に涼しい風が吹き抜ける時間帯。
巨大ハンバーグと山盛りの白飯を平らげた女性陣は、すっかり満腹になってそれぞれのテントでくつろいだり、仮眠を取ったりしていた。ハクも俺の足元で丸くなり、いびきをかいて熟睡している。
俺がかまどの火の始末をし、明日の朝食の仕込みを考えていると、背後から微かな足音が近づいてきた。
気配を殺す技術は世界トップクラスのはずだが、わざと音を立てているのだろう。
「……おじさん。ちょっと、歩かない?」
振り返ると、漆黒のダンジョンウェアではなく、少しラフなパーカー姿のユジンが立っていた。
長い黒髪が夜風に揺れ、切れ長で勝気な瞳が、少しだけ照れくさそうに俺を見つめている。
「散歩か? まあ、食休みにはちょうどいいな」
俺は立ち上がり、ハクを起こさないようにそっと歩き出した。
ユジンは俺の隣に並び、湖畔に沿ってゆっくりと歩き始める。
戦闘配信の時の彼女は常に周囲を威圧するようなオーラを放っているが、今はただの年相応の女性のように、足元の小石を蹴りながら歩いている。
「……静かよね、ここ」
しばらく無言で歩いた後、ユジンがポツリとこぼした。
「深淵の迷宮の最深部なんて、普通なら一瞬たりとも気が抜けない地獄のはずなのに。おじさんのキャンプにいると、自分がSランクの探索者だってこと、時々忘れそうになるわ」
「それは褒め言葉として受け取っておくよ。まあ、ハクがいるから魔物も寄ってこないしな」
「それだけじゃないわ」
ユジンは立ち止まり、湖の水面に反射する青い光を見つめた。
「地上にいると、常に『トップD-Tuber』で『最強のアサシン』でいなきゃいけない。誰かに隙を見せたら、すぐに足を引っ張られる。視聴者の期待に応え続けるために、ずっと気を張ってた」
彼女の言葉には、トップを走り続ける者特有の孤独とプレッシャーが滲んでいた。
「でも、ここはおかしいのよ。エミリアも、クロエ様も、誰も自分のランクや立場なんて気にしてない。ただ、次にご飯が炊ける時間を気にして、美味しいって笑って、子供みたいにおかずの奪い合いをしてる」
ユジンはそこで言葉を区切り、俺の方へと顔を向けた。
「……おじさんが、そういう空間を作ってるのよ。戦闘力ゼロのくせに、誰よりも図太くて、信じられないくらい美味しいご飯を作るから」
「買い被りすぎだ。俺はただ、美味い飯が食いたいだけのおっさんだぞ」
「ふふっ、知ってるわ。でも……」
ユジンは一歩だけ俺に近づき、俺の顔を真っ直ぐに見上げた。
普段のキツい印象のメイクを落とした素顔は、驚くほどあどけなく、そして綺麗だった。
「……ありがとう。少しだけ、息継ぎができた気がするわ」
彼女が小さく微笑んだ瞬間、俺の胸の奥で何かがトクンと跳ねた。
大人の男として、このシチュエーションで気の利いた言葉の一つも返すべきなのだろう。
だが、俺が口を開きかけたその時。
「ワフッ!!」
突如、俺たちの間の空気を切り裂くように、豆柴サイズのハクが全力で飛び込んできた。
「うわっ!?」
ハクは俺の足に勢いよくぶつかると、そのままユジンの足元にすり寄り、「散歩なら俺も連れて行け」とばかりに尻尾をパタパタと振り回し始めた。
「もーっ! なによあんた! いい雰囲気だったのに空気読みなさいよ!」
ユジンが顔を真っ赤にしてハクを睨みつけるが、ハクはどこ吹く風で「キュゥン」と甘えた声を出している。
「ははっ、どうやらお迎えが来たみたいだな。戻るぞ、ユジン」
「……ホント、このキャンプはおちおちデートの真似事もできないわね!」
ユジンは照れ隠しのようにハクの頭を軽く小突くと、プイッとそっぽを向いて俺より先に歩き出した。
その耳まで真っ赤に染まっている後ろ姿を見ながら、俺は苦笑して夜の湖畔を後にした。