作品タイトル不明
博之は安静の中、松坂郊外で山菜取りの催しを子供向けに開催する。始まってみると順調で飯になるとにぎやかになり無事終わる。
十月に入り、博之はまた妙な催しを思いついた。
「山菜取りをして、その場で天ぷらにして食う会や」
そう言うと、お花はすぐに眉を寄せた。
「旦那様は要安静です」
「分かってる。わしが行けるかどうかは知らん。けど、やってみなはれという話や」
「つまり、旦那様は口だけ出すと」
「言い方よ」
とはいえ、博之自身も首の傷がまだ完全には癒えていない。比叡山の件もあり、
松阪から大きく動くのは控えるべきだった。
だから今回は、師範代と古参衆、それに郊外のお寺の和尚に任せる形になった。
松阪城下の子どもたちに声をかけると、反応はあまりよくなかった。
「えー、郊外まで歩くん?」
「なんで山まで行かなあかんの」
「寺子屋で勉強する方がましかもしれん」
「いや、それはそれで嫌やけど」
子どもたちは、口々に文句を言った。
付き添いの大人が苦笑しながら言う。
「今日は飯の勉強や。寺子屋とは違う」
「飯の勉強って何やねん」
「お前らが食うてる飯は、勝手に膳に並んどるわけやない。誰かが山で取り、
畑で作り、川や海で獲り、町まで運んで、それを料理してるんや」
「でも、歩くのしんどいやん」
「ご飯って、だいたいそんなもんやで。しんどい思いして誰かが運んできたものを、
うちらはいただいとるんや」
子どもたちはまだ不満そうだったが、結局ぞろぞろと郊外へ向かった。
城下の横町を抜け、少しずつ道が細くなる。家並みも変わっていく。
「なんか、城下と違うな」
「家ちっちゃい」
「でも、ええ匂いする」
「あそこで飯食って帰ろうや」
「何言うてんの」
付き添いに叱られながら、子どもたちは郊外のお寺へ着いた。
そこには、すでに郊外の子どもたちが集まっていた。
城下の子どもたちより、少し日に焼けていて、足取りも軽い。
和尚さんが笑って言った。
「今日は、この子らと一緒に山菜を取りに行きます。この辺の子らは慣れておりますから、
分からんことは聞きなさい」
「山菜って、どれが食えるん?」
「行けば分かる」
郊外の子どもが、少し得意げに言った。
近くの山へ入ると、立場はすぐに逆転した。
城下の子どもたちは、草を見ても何が何だか分からない。
だが、郊外の子どもたちは、さくさく進んでいく。
「これ食えるで」
「こっちはあかん。似てるけど苦い」
「これは大人に見てもらってからや」
「根っこから抜いたらあかん。次、生えへんやろ」
城下の子どもたちは、最初こそ面倒くさそうだったが、少しずつ目つきが変わっていった。
「これ、ほんまに食えるん?」
「食える。天ぷらにしたらうまい」
「こんなん道に生えてるやん」
「だから、知ってるやつはちょっと得すんねん」
「暇ちゃうん? こんな端っこ住んでて」
城下の子が何気なく言うと、郊外の子は肩をすくめた。
「暇な時もあるけど、なんやかんやあるで。伊勢松坂屋さんが炊き出ししてくれるようになってから、
飯もうまいし。こういう山菜も、持っていったらちょっとした小遣いになることあるしな」
「え、これが銭になるん?」
「ちゃんとしたやつならな」
「へえ……」
少しずつ、子ども同士の距離が縮まっていった。
大人たちは、少し離れたところでそれを見守っていた。
城下の親たちが言う。
「こういうの、ありがたいですわ。うちの子、ご飯をありがたがらへんのです。
特に野菜なんか、全然食べへん」
郊外の親が笑った。
「うちの子らも、別にありがたがって食べてるわけやないですよ。ただ、
どこに生えてるか知ってるだけで」
「でも、それが大事なんでしょうな」
「伊勢松坂屋さんが来てから、子どもらも飯に少し興味持つようになりましたわ」
和尚さんは、そんな会話を聞きながら、静かに笑っていた。
昼頃になると、採った山菜を寺へ持ち帰った。
伊勢松坂屋の料理人たちが待っている。
山菜は一つずつ確認され、食べられるものだけが選ばれた。苦味の強いものは湯がいてあくを抜く。
軽く塩を振り、水気を切る。
「これはそのまま揚げる」
「これは一度湯がいてから」
「これは子どもには苦いかもしれんな。大人用や」
油が温まると、衣をまとった山菜が次々と鍋に入った。
じゅわ、と音が立つ。
子どもたちが一斉に身を乗り出した。
「うわ、ええ音」
「めっちゃ匂いする」
「これ、さっき取ったやつ?」
「そうや。取れたてや」
山菜の天ぷらだけではない。
店から持ってきた魚、鯖の切り身を子ども用に小さく切って揚げたもの。
魚の揚げ酢漬け。
鶏の天ぷら酢漬け。
味噌だれ。
酢だれ。
塩。
小さな握り飯。
熱い汁。
簡単な催しのはずが、立派な昼飯になっていた。
揚げたての山菜を、子どもたちに配る。
「熱いから気をつけや」
「ふーふーして食べ」
「塩をちょっとだけつけるんや」
城下の子どもが、恐る恐る口に入れる。
「あつっ……うまっ」
「山菜うまいぞ」
「ちゃんと料理したら、そら山菜もありやぞ」
料理人が笑った。
「しかも、これは取れたてやからな」
別の子が、魚の揚げ酢漬けを食べる。
「これもええな。すっぱいけど、うまい」
「油もんやけど、酢でさっぱりするやろ」
鶏の天ぷら酢漬けも人気だった。
「これ、飯に合う」
「おかわりある?」
「順番や」
郊外の子どもたちは、城下の子どもたちが山菜をうまいうまいと言うのを、少し誇らしげに見ていた。
「な、食える言うたやろ」
「ほんまやった」
「今度から道端の草、全部食えそうに見えるわ」
「全部は食うな。死ぬぞ」
大人たちが慌てて止めると、周りが笑った。
料理人の一人が、子どもたちに言った。
「大事に食べてくれたら、うちらも美味しく作る。飯はな、取る人、運ぶ人、作る人、
食べる人、みんなでできてるんや」
子どもたちは、分かったような、分からないような顔で頷いた。
母親の一人が、天ぷらを食べながら言った。
「これ、家でもできるんやろか」
料理人は頷いた。
「できますよ。油と火の扱いは気をつけなあきませんけど。うち、料理教室もやってますから、
こういうのをおかあさんたちと一緒に作ることもできます」
それを聞いた子どもが、母親の袖を引っ張った。
「おかちゃん、料理教室通って」
「簡単に言うな。日々やること、山ほどあんねん」
「でも、これ家で食べたい」
「それは……まあ、覚えられたらええな」
そんな会話があちこちで起きた。
城下の子どもと郊外の子ども。
その親たち。
寺の和尚さん。
伊勢松坂屋の料理人。
山菜を摘み、揚げて食べるだけの小さな会だった。
けれど、終わる頃には、子どもたちの顔つきが少し変わっていた。
飯は膳の上に突然現れるものではない。
山に生え、誰かが見つけ、誰かが選び、誰かが料理して、ようやく口に入る。
そのことを、子どもたちは腹で少しだけ知った。
寺の和尚さんは、片づけを見ながら言った。
「これは、なかなかよい催しでしたな」
料理人は笑った。
「旦那様は来られませんでしたけど、文句言いながら喜ぶと思います」
「いや、きっと次はもっと大きくしようと言い出しますぞ」
「それは困ります」
そう言って、皆が笑った。
松坂郊外の小さな山菜取りは、伊勢松坂屋の新しい季節催しとして、静かに成功したのだった。