作品タイトル不明
比叡山の件で催しがストップしたことを問題視。小さくていいから催しを止めないことが大事。紅葉の催し、城下町の子供たちが山菜摘んで郊外の寺で山菜の天ぷらを食べさせる食育をする。
博之は、師範と師範代、古参衆を前にして、もう一つだけ話しておきたいことがあった。
「あと、比叡山の件で分かったことがある」
座敷の空気が、少し引き締まる。
「大津でああいうことがあった時、各拠点で師範代催しの運用がうまく回らんかった。
炊き出しは続けた。そこはええ。けど、催し物は止まったところが多かった」
ヨイチが帳面を開く。
「大津の騒動の噂が広がり、松坂本店でも周辺でも、催しは一時中止になりました」
「うん。気持ちは分かる。わしが首に傷を負ったと聞けば、そら動揺する。
けどな、俺はそこを少し問題視してる」
お花が静かに見ている。
博之は続けた。
「別に大きくなくてええ。客から二百五十文取る大きな会でなくてもええ。
百五十文でも、百文でもええ。小さくても、定期的に催しを回す空気を作らなあかん」
師範の一人が頷いた。
「つまり、非常時でも完全に止めず、小さく形を残すということですね」
「そうや。客が五十人集まらんでもええ。十人でもええ。料理人が十人出られんでも、
三人でもええ。竹串五本が重ければ三本でもええ。大事なのは、飯の場を閉じきらんことや」
博之は地図の伊勢方面を指した。
「だから、各拠点に教えてきてほしい。古参の者や、昨日運営を見た者が行って、
やり方をちゃんと教える。一回、小さい催しを開いてから帰ってくる。そういう形を作ろう」
「まずは伊勢ですか」
「うん。伊勢は関係ができてる。次に鳥羽、津、白子、関。この辺から順繰りや」
ヨイチが書き込む。
「小規模催しの運用指導。客単価百文から百五十文。竹串三本から五本。参加料理人は三人からでも可」
「そうそう。焦らんでええ。急に全部やれと言っても無理や。まずは見せる。
こうやって客を入れる、竹串を渡す、食べてもらう、竹筒へ入れてもらう、集計する、
終わった後に料理人へ声をかける。そこまで一回やって見せる」
古参の一人が言った。
「旦那様が求めるのは、大きな催しではなく、各拠点が自分たちで回せる形ですね」
「そうや。俺は最初から百点を求めへん。小さい拠点が、ちょこちょこ催しを回せるようになれば、
それでまずはよしや」
話が一区切りついたところで、博之は少し表情を緩めた。
「それと、なんか面白い話ないんかいな」
急に空気が変わり、師範代たちは顔を見合わせた。
「面白い話、ですか」
「そうや。飯だけやなくて、季節の催しやな。今、俺が思いついてるのは、
紅葉を見に行こうという会や」
お花が少し驚いた顔をする。
「紅葉ですか」
「うん。秋やろ。松阪郊外の寺や山道で、紅葉を見る。そこで少し飯を出す。
弁当でもええし、汁物でもええ。そういう季節の催しがあってもええ」
ヨイチが筆を止めずに書く。
「紅葉見物会。郊外、寺、山道、弁当、汁物」
「もう一つは、山菜取りや」
博之は少し楽しそうに言った。
「松阪の城下の子どもたちを郊外に連れていく。郊外の子どもたちは、野草や山菜を知ってるやろ。
大人が見守る中で、一緒に摘む。で、それをその場で天ぷらにする」
師範代の一人が目を輝かせた。
「山菜の天ぷらですか」
「そうや。もちろん、危ない草を取らせたらあかんから、大人がちゃんと見てやる。
食えるものだけ選ぶ。足りない分はこっちで用意する。山菜だけやなくて、鶏の酢漬け、
魚の酢漬け、揚げ物系も添えたら、ちゃんと催しになる」
お花が頷いた。
「子ども向けには良さそうですね」
「そうやろ。城下の子どもは、飯がどこから来るか分からんこともある。米は買うもの、
魚は店にあるもの、野菜は誰かが持ってくるもの。けど、郊外へ行けば、
食える草もある。山で取れるものもある。飯は全部、店の中だけで生まれるわけやないって分かる」
ヨイチが言った。
「教育にもなりますね」
「そうや。足腰も鍛えられる。郊外の子どもは、自分たちの知っていることを
城下の子どもに教えられる。城下の子どもは、郊外の子どもを少し尊敬するかもしれん」
古参の一人が笑った。
「それは面白いですな。郊外の子どもたちにとっても、自信になります」
「そうや。子ども同士が混ざるのも大事や」
師範代の一人が言った。
「その場で揚げるなら、火の管理が大事ですね」
「そこは大人がやる。子どもには摘ませる、洗わせる、並べさせるぐらいでええ。
揚げるのは料理人や。山菜の天ぷらを揚げて、塩でも味噌だれでも、少し酢だれでも食わせる」
「鶏の天ぷら酢漬けも出せますね」
「そう。魚の揚げ酢漬けも、魚があれば出せる。揚げて何かする飯の見本にもなる」
お花が少し笑った。
「旦那様、今日はまともですね」
「今日は、ってなんや」
「かなりまともです」
「まあ、自覚はある。まともじゃないことも結構多いからな」
座敷に笑いが広がった。
博之は、その笑いを受けながら続けた。
「でも、こういうものをみんなで考えてほしいんや。俺が全部考えるんやなくて、
各拠点で季節の催しを考える。紅葉、山菜、港の魚、冬の汁、春の花見、夏の水遊び。
飯と一緒にできることは、たぶんいくらでもある」
ヨイチが項目を増やしていく。
「季節催し案。紅葉見物、山菜取り、港魚見学、冬の汁会、春の花見飯、夏の水辺飯」
「そうそう。全部やる必要はない。できそうなものから、小さくやる」
博之は、師範たちを見た。
「お前らは、飯を作るだけやなくて、飯の場を作る側にもなってくれ。客が何を楽しむか。
子どもが何を覚えるか。町と郊外がどう混ざるか。そういうことも見てほしい」
師範の一人が、深く頭を下げた。
「承知しました。まずは小さい催しを各拠点で回すこと。それから、季節の催しも考えます」
「うん。で、何か思いついたら文で送ってくれ。文章が下手でもええ。箇条書きでええ。
『紅葉がきれい』『山菜が取れる』『子どもが集まる』『寺が場所を貸してくれそう』。
それだけでも十分や」
ヨイチが頷いた。
「こちらで形にできます」
「そうや。わからん文章を無理に組み立てんでええ。見たもの、聞いたもの、思いついたことを書け」
お花が静かに言った。
「旦那様が動けない間に、皆が小さく動く。そういうことですね」
「そうや」
博之は首筋の布に手をやった。
「俺が動けんから止まる、では困る。俺が動けん間に、各地で小さい催しが増える。それが一番ええ」
座敷の者たちは、静かに頷いた。
比叡山の騒動で、催しが止まったこと。
それは弱さだった。
だが、その弱さが見えたからこそ、次の形も見える。
大きな会でなくていい。
百文でもいい。
三人でもいい。
小さくても、飯の場を開き続ける。
そして、季節を飯に変える。
紅葉を見る。
山菜を摘む。
天ぷらにする。
子どもに食わせる。
町と郊外をつなぐ。
博之は、少し笑って言った。
「まあ、まずは松阪郊外で山菜取りやな。これは多分、みんなできる」
師範代の一人が言った。
「旦那様も行かれるんですか」
お花が即答した。
「行きません」
「ええ?」
「安静です」
座敷に笑いが起きた。
博之は肩をすくめた。
「ほな、俺は文で参加するわ」
そう言って、また一つ、伊勢松坂屋の新しい催しの種が生まれた。