作品タイトル不明
催し物が終わり、熱戦の空気冷めやらぬ中、秀吉、博之、お殿様は話す。土産話をどう話そうか悩む秀吉。飯の仕組み、比叡山、美濃のこと。
催しがひと通り終わり、松阪城の庭に残っていた熱気が少しずつ夕方の風に溶けていく頃、
木下秀吉は、まだ興奮の抜けない顔で博之に向き直った。
「いやあ、面白かったです」
秀吉は心底そう思っている顔だった。
「また土産話が増えましたわ。信長様に何から話したらええか、迷うぐらいです」
「そんな大げさな」
「大げさやありません。大膳亮殿が飯の有用性を説いて、信長様がそれを調略に
近い形で使われるようになった。そこから少し距離ができたようにも思えて、
こちらも伊勢松坂屋との連絡をどうしたものかと考えておりました」
秀吉は、庭の片づけをしている料理人たちを見た。
「そこへ今回の京都の一件。お見舞いとして来させてもらいましたが、戻ってすぐに、
これだけの会を開いておられる。しかも、ただの慰めの催しではない。見習いを鍛え、
師範代を選び、師範を立て、城の料理人まで巻き込む。やはり旦那は、ただでは転びませんな」
博之は苦笑した。
「揉めたくて揉めてるわけでは、一切ないんですけどね」
「それは分かっております。けれど、揉め事が旦那のところへ寄ってくるのか、
旦那が揉め事を飯に変えるのか、どちらにせよ、見ている側としては面白い」
横にいた松坂のお殿様が、げらげら笑った。
「せやろ。こいつは面白いんや。もうちょっと泳がしてみたら、もっと面白いものが
見えるかもしれへんぞ」
「泳がすって、私は魚ですか」
「飯屋やし、魚もよう扱うやろ」
「そういう問題ですか」
お殿様は笑いながら続けた。
「ただな、戦の目線だけで見ると見誤るぞ。伊勢松坂屋単品で追いかけた方が、
こいつの動きは分かる。戦のために飯を使うんやなくて、飯を広げた結果、
戦にも効く。そこが厄介で面白い」
秀吉は深く頷いた。
「確かに。今回も、話が大きくなって、三好と六角が味方につくような形になり、
比叡山と対峙することになっている」
「比叡山も、今ごろ困ってるやろな」
お殿様は楽しそうに言った。
「攻めりゃええって話ちゃうからな。飯屋を攻めると、三好や六角に銭が流れる。
荒らせば噂になる。人を脅せば、飯場に逃げ込まれる。あっちも、朝廷筋や本願寺、
浅井や朝倉あたりを引き込みながら、どこで落とすか考えとるはずや」
秀吉は少し驚いた顔をした。
「そこまでお読みで」
「昨日こいつとも似たような話をしたわ」
お殿様が博之を見る。
「たぶん、松坂屋にも探りを入れてくる。どれだけの網があるのか、どこまで本気なのか、
三好六角とどれだけつながっているのか。そこを見に来るやろうな」
博之は頷いた。
「なので、見せていいものは見せるつもりです。炊き出し、市、飯場、人の流れ。
帳簿や銭の流れは見せませんけど」
「ほらな。こいつ、もうそこまで考えとる」
お殿様は秀吉に向かって笑った。
「だから、信長公に会って帰ったら伝えたれ。松坂では、城の料理人が伊勢松坂屋の買い付け隊に
同行して、伊勢の飯や港飯を見て回ることになったとな」
「それは、ぜひお伝えしたいです」
「熱田や津島の料理人にも、そういう機会を作ったらどうや。港飯を食わせ、炊き出しを見せ、
飯屋の現場で揉ませる。織田の殿様の食卓も、少し潤うかもしれんぞ」
秀吉は目を輝かせた。
「それは面白い。城の料理人や台所の者を、外へ出して飯を見せる。普通はなかなか考えませぬが、
今日の会を見ると意味が分かります」
「ただし、兵糧の話ばっかりにするなよ」
お殿様が釘を刺した。
博之も苦笑しながら話す。
「飯は、兵だけのもんやないです。町人、下級武士、旅人、子ども、年寄り、みんな食う。
そこを見てくれへんと、ただの戦の道具になります」
「承知しております」
秀吉は少し苦笑した。
「もっとも、信長様はそこも含めて見ておられるでしょうが」
お殿様が、ふと思い出したように秀吉へ聞いた。
「ところで、美濃の方はどうや」
秀吉は一瞬、言葉を選んだ。
「ようやく城を一つ、きれいに落としました。今は二つ目の城を攻略中でございます」
「ほう。調略か」
「はい。炊き出しの者たちや、裏で動いた者たちも、それなりに褒められました。
ただ、銭を使いすぎていると叱られております」
博之は思わず笑った。
「それは耳が痛いですな」
「大膳亮殿は桁が違いますから」
「うちは飯屋ですので」
「飯屋の方が銭を使うている気もします」
お殿様は、少し考えてから言った。
「なら、美濃でも一つやればええ」
「何をでございますか」
「今日みたいな催しや。城までは言わんでも、奉行所や武家屋敷の庭、
広い寺の境内でもええ。飯の会を開いて、売上の一部を寄進させる。
そこに城の料理人の下っ端や、台所方を放り込んで揉ませる」
秀吉は目を見開いた。
「料理人の交流の場にするわけですか」
「そうや。飯で人を集める。人が集まれば噂が立つ。噂が立てば、土地の空気が変わる。
戦で落とした城の空気を、飯で柔らかくすることもできるやろ」
博之も頷いた。
「炊き出しだけやと、どうしても困っている人向けになります。催しにすると、
町の人も、武士も、子どもも、見に来られる。そこに地元の料理人を混ぜると、
土地の飯として根づきやすいです」
「これは、進言いたします」
秀吉は真剣な顔で言った。
「今日の熱気を見て、よう分かりました。松阪は特にそうなのかもしれませんが、
飯に対する意識が高い」
お殿様が笑う。
「それは伊勢松坂屋のせいやぞ」
「せい、でございますか」
「そうや。こいつが根を張ってやってきた。炊き出しも、祭りの飯も、港飯も、うなぎも、
師範代も、全部じわじわ町に染み込ませた。特に伊勢界隈、南伊勢はもう飯の馴染みがえぐい」
博之は少し照れた。
「そこまで言われると、やりにくいです」
「事実や。尾張にはまだそこまでの馴染みは少ない。だから、今日の松阪と同じ熱が
すぐ出るかは分からん。けど、逆に言えば、これから染み込ませる余地がある」
秀吉は何度も頷いた。
「熱田、津島、尾張の港町。そこで鶏の天ぷら酢漬けや魚の揚げ酢漬け、あるいは港飯を出す。
飯で人を集め、料理人を揉ませ、土地に馴染ませる」
「そのうち、尾張の師範代も出るかもしれませんな」
博之がそう言うと、秀吉は笑った。
「それは信長様が面白がりそうです」
「面白がられるのはありがたいような、怖いような」
「両方でしょうな」
松坂城の庭では、まだ片づけが続いていた。
新しく師範になった者たちが、若い料理人に囲まれている。
城の料理人は、伊勢松坂屋の者と真剣に話している。
下級武士たちは、振る舞い飯の話で盛り上がっている。
秀吉はその光景を胸に焼きつけた。
美濃の城攻めだけではない。
飯で土地を和らげる。
飯で人をつなげる。
飯で噂を作る。
それは、戦の外側にあるようで、確かに戦の後を支える力だった。
「これは、良い土産話になります」
秀吉がそう言うと、お殿様が笑った。
「信長公に言うたれ。博之はまだまだ泳がせる価値があるとな」
博之は困ったように笑った。
「できれば、泳がすより、ほどほどに見守ってください」
秀吉は頭を下げながら笑った。
「それは、信長様次第でございますな」