作品タイトル不明
松坂城での料理対決。第三部第四部。任せ印持ちや師範代候補の対決。城の料理人も殿様の飯を出すものが参加。
第三部、第四部に入ると、庭の空気が少し変わった。
見習いの部では、客もどこか温かかった。
若い者の飯を食べ、ああでもないこうでもないと言いながら、育つ姿を見る楽しさがあった。
だが、師範代部門となると違う。
伊勢松坂屋からは、任せ印を持つ者、あるいはすでに師範代として名を上げ始めた者たち。
城からは、松阪のお殿様の膳を実際に支えている料理人たち。
つまり、どちらも「飯で顔を張っている者たち」である。
参加者の数は、どうしても伊勢松坂屋の方が多かった。
「うちは任せ印持ちが多いからな。三分の二ぐらいがうち、三分の一がお城側になるのは、
まあ仕方ない」
博之がそう言うと、ヨイチが帳面を見ながら頷いた。
「人数差はありますが、客は飯を見ます。誰の所属かではなく、食べて竹串を入れるはずです」
「そこは信じたいな」
博之は庭を見た。
「それに今回は、客から二百五十文取ってる。安い飯やない。だから客も真剣に食う」
その横で、木下秀吉が目を丸くした。
「二百五十文ですか。飯を食べ比べるのに、それだけ取るのですか」
「取ります」
博之はあっさり言った。
「竹串五本つきです。五品食べられる。しかも、師範代級や城の料理人の飯を食べ比べられる。
この空気まで味わえるとなると、なかなかすごないですか」
秀吉は庭を見渡した。
料理台が並び、煙が上がり、客が串を握って真剣に飯を選んでいる。
城の料理人と飯屋の料理人が、同じ庭で腕を競っている。
しかも、それを町人や下級武士が食べて評価する。
「確かに、これは銭を払う価値がありますな」
「うちとしても、実力を見せる場ですし、これがそのまま収入にもなりますから」
博之は少し満足げに言った。
秀吉は苦笑する。
「鍛錬の場であり、商売の場でもあるわけですか」
「武士は命がけで戦ってる中で、飯屋だけが戦わへんってわけにもいかないですからね」
その言葉に、松坂のお殿様が笑った。
「なるほどな。飯屋には飯屋の戦場があるわけや」
「そういう見方もできます」
秀吉も頷いた。
「客の前で飯を出し、竹串で評価される。これはこれで、逃げ場がありませんな」
「そうなんです。料理人にとっては、結構きついですよ」
博之は続けた。
「あと、単純に先があります。伊勢松坂屋としては、師範代御膳というのを作ろうとしてますから」
秀吉が首を傾げた。
「師範代御膳?」
「はい。仮の名ですけどね」
博之は手で膳の形を作るようにして説明した。
「師範代が作った小鉢を六つ。そこに混ぜ飯と汁物。これで二百文。
昼と夕で二十食ずつ限定にするつもりです」
「二百文で、師範代の飯が六品も」
「そうです。ただ、これに上の部屋でくつろげる場所、湯浴み、あと寝床をつけると別値段にする。
熱田神宮で考えている鰻の高い席と似た形ですね」
「鰻でやるものを、師範代御膳でもやると」
「はい。海沿いなら穴子もあります。鰻、穴子、師範代御膳。その土地で強い飯を出して、
少し休める場所をつける。昼寝できる場所までつけたら、旅人には刺さると思います」
秀吉は少し呆れたように笑った。
「何でも商売にしますな」
「でも、行きたくないですか」
「行きたいです」
即答だった。
博之も笑った。
「でしょう」
庭では、第三部の飯が次々と出されていた。
伊勢松坂屋側は、やはり派手な飯が強い。
魚の揚げ酢漬け。
鶏の天ぷら酢漬け。
つみれ汁。
焼き魚。
味噌を利かせた肉あん。
混ぜ飯。
客の目を引く。香りが強い。飯に合う。竹串が入りやすい。
一方、城の料理人たちは、派手さでは一歩引くものの、細かな仕事で粘っていた。
きれいに炊いた根菜。
澄んだ出汁の汁物。
薄味ながら深みのある和え物。
魚の身を崩さず仕上げた小鉢。
盛りつけの美しい蒸し物。
「派手な方には、やっぱり竹串が寄りますな」
秀吉が言うと、博之は頷いた。
「そうですね。ただ、地味な飯にも全然人が集まってます」
お殿様が満足げに言った。
「うちの料理人も、なかなかやるやろ」
「かなり奮闘してます。単純な売れ筋ではうちの方が強いかもしれませんけど、
細かい仕事はお城の料理人に学ぶところが多いです」
「そう言うてもらえると、連れてきた甲斐がある」
お殿様は少し身を乗り出した。
「博之よ」
「はい」
「うちの料理人で、もし師範代を取れそうなやつがおったら、師範代の焼印をくれへんか」
博之は少し驚いた。
「お城の料理人に、ですか」
「そうや。この中で揉んでやった方が箔がつく。城の料理人の一番を決めるより、
伊勢松坂屋の師範代として認められる方が、あいつらにとっても刺激になる」
「なるほど」
「それに、わしの飯の幅も広がるしな」
博之は笑った。
「お殿様も貪欲ですね」
「当たり前や。うまい飯が食えるなら、城も変わる」
秀吉は、そのやり取りを見て感心した。
「普通は、城の料理人を町の飯屋の仕組みに入れるのは、抵抗がありそうなものですが」
お殿様は肩をすくめた。
「抵抗して飯がうまくなるならする。せんでもうまくなるならせん」
「毒見などは気にされませんか」
秀吉が何気なく言うと、博之が先に笑った。
「うちほど広げたところで毒なんか入れ始めたら、伊勢松坂屋は終わってしまいますよ」
「終わる?」
「ええ。飯屋は信用で食ってます。客に毒を入れる、上役に毒を入れる、
そんな噂が立った時点で終わりです。根なし草から始めた私の心根が、そんなこと許しませんわ」
お殿様も頷いた。
「そこは全面的に信用してる。こいつは危なっかしいことをする。
比叡山に首を差し出しかねんこともする。けど、飯だけは信用してる」
「それはありがたいですね」
博之が頭を下げると、お殿様は笑った。
「お前の飯を疑い出したら、松坂がつまらん」
秀吉は思わず言った。
「仲がよろしいですね、お二人は」
博之は即座に言う。
「いえいえ、一応、上役と部下です」
お殿様がにやりとした。
「部下のはずやけどな。こいつ、ありがたいことに大膳亮やからな」
「それは北伊勢の件でいただいたものでして」
「その官位持ちの飯屋が、わしのところに弁当持って来るんやから面白い」
秀吉は笑うしかなかった。
上役と部下。
殿様と飯屋。
しかし、その会話の速度はまるで長年の仲間のようだった。
城の料理人に伊勢松坂屋の師範代印を与える。
勝った者を買い付け隊に混ぜる。
旅費は寄進分から出す。
飯屋の規律に従わせる。
師範代御膳へつなげる。
話が次々と進む。
秀吉は内心で舌を巻いた。
信長が面白がる理由が、また一つ分かった。
博之はただ飯を出すだけではない。
飯を評価に変え、評価を人材育成に変え、人材育成を商売に変え、商売を町の熱に変える。
そして松阪のお殿様は、それを面白がりながら後押ししている。
庭では、竹串が次々と竹筒に入っていく。
伊勢松坂屋の派手な飯。
城の料理人の繊細な飯。
どちらにも人が集まる。
秀吉は、ふと呟いた。
「これは、ええ勝負ですな」
博之が頷く。
「はい。勝ち負け以上に、ええ勝負です」
その言葉どおり、第三部、第四部は、ただの対決ではなくなっていた。
飯屋と城。
町人と武士。
派手な飯と繊細な飯。
商売と鍛錬。
それらが松坂城の庭で混じり合い、伊勢松坂屋の次の形を作り始めていた。