作品タイトル不明
松坂城での料理勝負。第一部第二部は見習い印持ちの前哨戦。ただ空気はいい。松坂の殿様と博之の距離の近さと意思決定の速さに驚く木下秀吉。飯で城と町と店をつなぐことに驚愕
松坂城の庭に、第一部の太鼓が鳴った。
まずは見習いの部である。
伊勢松坂屋からは、見習い印を持った者たち。城からは、台所で下働きや補助をしている
若い料理人たちが出た。
客は百五十文を払い、竹串五本を受け取る。竹串一本三十文。食べて、気に入った飯の
竹筒に串を入れる。
庭には、町人、下級武士、城の雑役、伊勢松坂屋の常連たちが入り混じっていた。
「お、これは松坂屋の方か」
「うん、うまいけど、もう一歩やな」
「確かに。任せ印の奴らとは、ちょっと違う気がするな」
「でも見習いでこれなら十分ちゃうか」
伊勢松坂屋の見習いたちは、客の声に耳を真っ赤にしていた。
褒められているようで、まだ足りないと言われてもいる。竹串が入ると嬉しいが、
隣の竹筒に多く入ると胸がきゅっとなる。
博之は少し離れたところで、その様子を見ていた。
「まあ、あんまりいじめんといてやってください。精進させますから」
客が笑う。
「旦那、見習いでも十分うまいで」
「そう言うてもろたらありがたいです」
「ただ、任せ印もろてる奴らの飯を食うた後やと、舌が肥えてまうな」
「それは困ったもんですな」
博之は苦笑した。
一方、城の見習いたちの台にも人が集まっていた。
城の料理人たちは、見た目が整った小鉢や汁を出している。切り方、下ごしらえ、
盛りつけは確かに丁寧だった。
下級武士たちは、箸を動かしながら唸る。
「おお、これは仕事が細かいな」
「たしかに。野菜の切り方が揃っとる」
「出汁もきれいや」
城の若い料理人たちは、少し誇らしげな顔をした。
だが、次の声で表情が固まる。
「ただ、味がちょっとあっさりやな」
「うん。塩がもう少し欲しい」
「わしら、普段から動いとるからな。特に鍛錬があった日なんか、塩が強い方がありがたいんや」
「汗かいた後に食うなら、もう一押しやな」
城の見習いは、たじたじになった。
「し、塩が足りませんでしたか」
「足りんというか、上品やな」
「殿様に出す飯ならええんやろうけど、わしらが昼に食うには、もうちょい力が欲しい」
その様子を見て、松阪のお殿様がげらげら笑った。
「おいおい、うちの料理人をあんまりいじめたるな。こいつら、貧乏舌に慣れてへんのや」
下級武士たちが笑う。
「殿、それはひどいですわ」
「けど、当たっとります」
城の料理人たちは苦笑するしかなかった。
博之も横から言った。
「お手柔らかにお願いします。お城の方々は、やっぱり下ごしらえや見た目が綺麗ですから」
「旦那、それはそうやけど、飯は腹に入るもんやからな」
「まったくその通りで」
第一部、第二部は、そうした笑いとざわめきの中で穏やかに進んでいった。
竹串の入った竹筒を見ていくと、傾向ははっきりしていた。
伊勢松坂屋側では、魚を使った飯が強い。
焼き魚、つみれ汁、魚のほぐし飯。やはり普段から港や白子、鳥羽の魚を扱っているだけあり、
魚の火入れや塩加減に強みがある。
ただ、思ったより健闘していたのが酢の系統だった。
鶏の天ぷら酢漬け。
魚の揚げ酢漬け。
以前なら、酢の物は竹串が集まりにくかった。地味で、派手な肉や魚に負けやすい。
ところが、揚げたものを甘酢にくぐらせる形にしたことで、客の反応が変わっていた。
「これ、油っこいかと思ったら、酢でさっぱりするな」
「飯に合うわ」
「魚の方もええけど、鶏もいけるな」
「冷めても食えそうや」
博之は遠目に見ながら頷いた。
「酢の部門、まだまだ戦えるな」
ヨイチが帳面に書き込む。
「鶏の天ぷら酢漬け、魚の揚げ酢漬け、ともに反応良し。見習いでも扱いやすい。
ただし、酢の加減に差が出る」
「そこやな。酢がきついと一気に嫌われる。甘さが強すぎても飽きる。
これは師範代に見てもらう価値あるわ」
一方、城の料理人側では、少し奇妙な現象が起きていた。
派手な料理よりも、地味な料理に竹串が集まっている。
きれいに炊いた根菜。
薄味ながら出汁の利いた汁。
細かく刻んだ菜の和え物。
小さな蒸し物。
松阪の町人たちは、最初こそ肉や魚へ流れたが、食べ比べるうちに、城の料理人の
丁寧な仕事へ串を入れ始めた。
「これ、地味やけどうまいな」
「味は薄いけど、後から出汁が来る」
「普段の飯とは違うわ」
「こういうのもたまにはええな」
松阪のお殿様は、それを見て満足そうに言った。
「派手さでは松坂屋に負けるかもしれんが、細かい仕事ではうちも負けてへんやろ」
博之も頷く。
「ええ勝負してますね。単純に鶏、魚などの単品・主菜の料理だけなら、うちの方が強いと
思ってる人が多いかもしれません。普段から飯屋として客相手に出してますから」
「うむ」
「でも、繊細な飯はお城の方が強い。見た目、下ごしらえ、出汁の綺麗さ。これはうちも学ばな
あかんところです」
秀吉は、そのやり取りを横で聞いていた。
信長に言われて急ぎ来たが、ただの料理見物だと思っていたわけではない。
だが、実際に見てみると想像以上だった。
客の声が直接料理人に届く。
料理人は竹串の数で評価される。
城の料理人は町人や下級武士の舌を知る。
飯屋の料理人は城の細やかな仕事を知る。
これは、単なる勝負ではない。
育成の場であり、交流の場であり、町の空気を戻す場だった。
「なるほど……」
秀吉は小さく呟いた。
「飯で人を育て、飯で町を動かすか」
その時、松坂のお殿様が博之に声をかけた。
「博之よ」
「はい」
「うちの方で勝った奴らな。よかったら、買い付け隊に混ぜて伊勢の各地を見せてやってくれへんか」
「え、私持ちですか?」
博之が反射的に聞くと、お殿様は笑った。
「いやいや、小遣いや旅費は、今日お前がうちに寄進してくれる分から出す。そこはこっちで見る」
「それならまあ」
「見聞を広めるのと、ちょっとした褒美や。うちの料理人にも、城の中だけやなく、
外の飯を見せてやりたい」
博之は少し考えて、頷いた。
「それはええですね。伊勢の港、白子、鳥羽、津、松阪本店。見せる場所はいくらでもあります」
「やろ」
「ただ、行かせるなら、うちの買い付け隊の規律には従ってもらいます。
荷運びも見る。炊き出しも見る。飯屋がどう動いてるかも見てもらう」
「それでええ。遊びだけやと身にならん」
お殿様は満足そうに笑った。
「いつもお前、大目に見てるやろ。こっちも少し乗らせてもらってもええか?」
博之は頭を下げた。
「もちろんです。お殿様には、本当にお世話になっておりますから」
「今さらや。話が早い方がええやろ」
「確かに、話が早いです」
二人は普通に話していたが、横で聞いていた秀吉は目を丸くしていた。
松阪のお殿様と伊勢松坂屋の旦那が、まるで長年の相棒のように話を進めている。
城の料理人を飯屋の買い付け隊に混ぜる。
旅費は寄進分から出す。
外の飯を見せる。
飯屋の規律に従わせる。
話が速い。
速すぎる。
秀吉は思わず言った。
「お二人、話が早すぎませんか」
博之が振り返る。
「そうですか?」
松坂のお殿様も笑う。
「これぐらい普通やろ」
「普通ではございません」
秀吉は苦笑した。
「普通、城の料理人を商人の買い付け隊に混ぜる話は、もう少し揉むものです」
「揉んでる時間がもったいないやろ」
お殿様はあっさり言った。
「こいつは、銭も出す。飯も出す。人も育てる。なら、こちらも乗った方が得や」
博之も続ける。
「お城の料理人が外を見れば、城の飯も良くなります。うちの料理番も城の仕事を見る。
どちらにも得があります」
秀吉は、ただ感心するしかなかった。
信長が面白がる理由が、また一つ分かった気がした。
伊勢松坂屋は、ただ飯を売っているだけではない。
人を動かす。
町を動かす。
殿様まで巻き込む。
しかも、それを麦飯や魚や酢漬けの話の延長でやってしまう。
庭では、第二部の竹串が締められようとしていた。
見習いたちは、緊張と悔しさと誇らしさの混じった顔をしている。
城の料理人たちは、町人の舌に戸惑いながらも、何かをつかみ始めている。
そして、客たちは口々に言う。
「ええ勝負やな」
「次も見たいわ」
「城の飯も、松坂屋の飯も、それぞれ違うな」
「竹串五本じゃ足りんわ」
秀吉は、その声を聞きながら、内心で思った。
信長様の読みは当たっていた。
博之は帰ってすぐ、飯で場を動かしていた。
しかも、ただの催しではない。
城と町と飯屋をつなぐ催しだった。