軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

伊勢松坂屋本店の奥座敷。各地へ概要の手紙を書く。伊勢城主・伊勢神宮・織田家。帳簿を締める話をする。

松坂本店の奥座敷で、博之は麦茶を飲みながら、ようやく一息ついた。

首筋には、まだ布が巻かれている。お花が朝から何度も替えたものだ。

本人は「もう大丈夫や」と言っているが、お花はまったく信用していない。

その横で、ヨイチは帳面を広げていた。

「とりあえず、帳簿つけるぞ」

博之が言うと、ヨイチは少しだけ目を丸くした。

「旦那様が、自分から帳簿をつける話をされるとは珍しいですね」

「珍しい珍しい言うな。今回はな、数字だけやない。わしらが京都へ行って戻ってくる間に、

何が起きたかをちゃんと押さえなあかん」

「各拠点の動き、催し会、炊き出し、荷の移動、銭の流れ、噂の広がりですね」

「そうや。大津で会場荒らされて、草津は催しを続けた。松阪では催し物を止めたけど、

炊き出しは続けた。そこらへん、どこが自分たちで判断できて、どこが止まったかを見る」

ヨイチは筆を取った。

「帳簿としては、まず京都行きの出費。朝廷への寄進一千万文相当。道中の荷。京都郊外、

大津、草津での炊き出し費用。大津で壊された器と台。草津の催し会の売上。三好・六角へ流す

五百万文ずつの準備金」

「そうやな。あと、大津で壊された分は損失として書いとけ。飯を踏まれた分も、ちゃんと書く」

「飯までですか」

「飯までや。飯屋やからな。踏まれた飯も、うちの損やし、怒りの記録や」

お花が小さく頷いた。

「記録しておくべきです。後で話が大きくなった時、何があったか分からなくなります」

「そういうことや」

博之は地図を見ながら続けた。

「それと、三好方へ流す銭は奈良、大和八木、宇治方面から。六角方へ流す銭は草津、大津方面から。

いっぺんに動かすな。荷と一緒に分けて動かせ」

「承知しました。帳簿上も、まとめて一括ではなく、道ごとに分けて記録します」

「頼む。あと、各拠点から報告を上げさせてくれ。催し会を止めた理由、炊き出しを続けたかどうか、

客の反応、比叡山の噂がどれぐらい来てるか」

「分かりました」

ヨイチがさらさらと項目を書き出していく。

博之はそれを見て、少し安心したように息を吐いた。

「で、帳簿と並行して、文や」

「伊勢の城主様、伊勢神宮、木下秀吉様ですね」

「そう。相手ごとに書き方を変える」

ヨイチは新しい紙を置いた。

「まず、伊勢の城主様宛てから」

「伊勢の城主様には、きちんと事の顛末を書く。京都へ官位の礼に行ったこと。

朝廷へ一千万文相当を寄進したこと。山科様に会ったこと。京都郊外や大津、草津で飯場と催しを

試したこと。そして、大津で比叡山筋の僧兵に催しを荒らされたこと」

「かなり率直に書くのですね」

「伊勢の城主様には隠してもしゃあない。うちは伊勢松坂屋や。伊勢に根を置いてる。

だから、揉め事を勝手に大きくしたと思われんよう、先に筋を通す」

「三好と六角への五百万文ずつも書きますか」

「書く。ただし、戦を頼むわけではない。飯場や市を荒らす者がいた場合、治安維持として

動いてもらうための協力金やと。うちは兵を持たず、戦を求めず、飯と市を守るために

動いております、という形や」

「松阪のお殿様との料理他流試合の件も?」

「入れる。松阪のお殿様から見舞いを受け、城の庭を借りて料理人同士の他流試合をする話になったと。見習い、認め印、師範代、師範決めまでの催しや。伊勢の地でも、将来的に料理人育成と

炊き出しの質向上のため、同じような催しを相談するかもしれません、と添えといてくれ」

ヨイチは頷き、筆を走らせた。

「次に、伊勢神宮宛てです」

「これは柔らかく。京都へ礼に行き、無事松阪へ戻りました、という報告や。

大津で寺社筋の者による騒動があり、飯場が荒らされましたが、幸い大きな人的被害は

ありませんでした、と」

「旦那様の傷は?」

「書かんでもええやろ」

お花が即座に言った。

「書きます」

「やっぱり?」

「当然です」

ヨイチも静かに頷いた。

「『私も首筋に軽き刃傷を負いましたが、命に別状なく、松阪へ戻っております』でよろしいかと」

「軽き、ならまあええか」

博之は渋々頷いた。

「伊勢神宮には、今後も炊き出しと寄進を続け、困っている者へ飯を出し、布団や古布も回し、

伊勢の心を忘れずにやっていくと書いてくれ。料理催しの話も、勝負ではなく、

料理人の精進と炊き出しの質を上げるための取り組みとして触れる」

「承知しました」

ヨイチは二通目の下書きを整えた。

「最後に、木下秀吉様宛てですね」

「これは、信長公へ直接では刺激が強いから、秀吉様に噛み砕いて伝えてもらう形や」

「内容は料理中心で」

「そうや。京都から戻ったこと、大津で寺社筋との行き違いがあったこと、

草津では催しを止めず続けたこと。それはさらっとでええ。中心は飯や」

博之は少し身を乗り出した。

「まず、鶏の天ぷらの酢漬けや」

「魚ではなく、鶏ですね」

「いや、魚も試した。小鯵や鯖を揚げて、酢、酒、醤油、少し蜂蜜、刻み葱を合わせたたれに漬けたら、これがうまかった。熱いうちに漬けると味が染みるし、小骨も柔らかくなる。飯にも酒にも合う」

「魚の揚げ酢漬けは試作済み」

「そう。ただ、熱田では魚が難しい。伊勢や白子みたいに、毎日安定して魚を揃えられるか分からん。

そこで鶏や。鶏を小さく切って天ぷらにして、同じ酢だれにくぐらせる。熱々でもうまいし、

少し置いても味が馴染む。旅人にも出しやすい」

「熱田神宮門前での店構想ですね」

「そうや。熱田のことは忘れていません。尾張の地では、無理に伊勢の魚を押すのではなく、

尾張で安定して出せる飯を考えています。まずは鶏の天ぷら酢漬けを柱に、

魚が安定すれば魚の揚げ酢漬けも試します、と」

ヨイチが筆を走らせながら確認する。

「絵は、鶏の天ぷら酢漬け定食を大きく。横に魚の揚げ酢漬けを小さく」

「うん。飯、味噌汁、漬物、小鉢付きやな。あと、牡蠣料理も忘れんでくれ」

「牡蠣ですね。柿ではなく」

「そうそう、柿やない。牡蠣や。伊勢の牡蠣を使って、牡蠣の天ぷら、牡蠣鍋、牡蠣鍋の汁に

米を入れて雑炊にするやつ。最後に溶き卵を二つ入れて、火が通って馴染んだらまろやかになる。

あれも絵付きで軽く入れてくれ」

「秀吉様宛てに、牡蠣鍋と牡蠣雑炊も添えるわけですね」

「そうや。季節の飯として面白いし、伊勢らしさもある。尾張に伝えるなら、伊勢の海の飯も見せたい」

ヨイチは三通の内容を見比べた。

「整理します」

まず、伊勢の城主様宛て。

「京都行きの顛末、大津の騒動、三好・六角への治安維持協力金、松阪のお殿様との料理他流試合、

今後も伊勢に根を置いて飯と働き口を作る旨」

「うん」

次に、伊勢神宮宛て。

「無事帰還の報告、大津での騒動は柔らかく、旦那様の軽き刃傷、今後も炊き出しと寄進を続け、

伊勢の心を忘れずに飯を出す旨」

「うん」

最後に、木下秀吉様宛て。

「京都からの帰還、大津での寺社筋との行き違い、草津で催しを続けたこと。料理の話として、

魚の揚げ酢漬け、鶏の天ぷら酢漬け、熱田神宮門前での店構想、厚田・熱田を忘れていないこと、

伊勢の牡蠣料理、牡蠣鍋、牡蠣雑炊を絵付きで」

「それでいこう」

お花が少し呆れながら言った。

「帳簿をつけるだけでも大変なのに、手紙も三通ですか」

「こういう時こそ、こっちの言葉を置いとかんとあかん。噂だけ走ったら、

比叡山と喧嘩した飯屋で終わる。ちゃんと伊勢に筋を通して、神宮に無事を知らせて、

尾張には次の飯を考えてると伝える」

ヨイチは静かに頷いた。

「噂ではなく、こちらの記録と文で残す」

「そうや」

博之は麦茶を飲み干した。

「飯屋は飯を出す。けど、ここまで来たら、帳簿と文も飯と同じくらい大事や」

ヨイチは筆を取り直した。

「では、帳簿の項目をまとめた後、三通の下書きに入ります」

「頼む」

お花が博之を見た。

「旦那様は休んでください」

「少しだけな」

「しっかりです」

「はい」

松坂本店の奥座敷で、ヨイチの筆が静かに走り始めた。

帳簿を締め、出来事を記録し、文で筋を通す。

京都で荒れた飯屋は、松坂に戻ってからも、飯だけではなく、数字と言葉で次の道を作っていた。