作品タイトル不明
京都の店を視察して野菜の天ぷらの可能性や鶏の天ぷらの酢漬けの可能性を話す。米や漬物は京都の店で仕入れて筋通す話をする
京都の端の店を見て回りながら、博之は腕を組んでいた。
人はそこそこ入っている。飯も悪くない。寺社の者、町人、旅人が、静かに椀をすすっている。
松阪や白子、港のような勢いはないが、京都らしい落ち着きがある。
「うん。京の真ん中を狙うには、まだ早いな」
博之が言うと、京都のまとめ役は少し恐縮した。
「やはり、まだ弱いでしょうか」
「弱いというより、慎重でええと思う。都の真ん中は、昔からの店もあるし、寺社や公家の
しがらみもある。こっちが急に派手に出ると、角が立つ」
お花も頷いた。
「まずは端で根を張る方がよろしいかと」
「そうやな」
博之は店の小鉢を見ながら言った。
「野菜の天ぷらはどうや」
「野菜の天ぷらですか」
「うん。精進料理にも近いし、寺社向けにも合う。茄子、蓮根、芋、青菜、きのこ。
軽く揚げて、塩か味噌だれで食わせる」
京都の料理番は、少し考え込んだ。
「確かに、寺社の方には合いそうです。ただ、精進料理に近いからこそ、こちらが大きく出すのは
少し遠慮があります」
「そこは分かる。だから最初は、店の端で小さくやる。寺の人に相談して、怒られへん形でな」
「はい」
博之は、さらに続けた。
「ほな、鶏はどうや」
「鶏ですか」
「鶏は郊外でもやってるやろ。京の端なら、鶏の天ぷらもいけると思うねん」
「鶏の天ぷら……」
「ただ揚げるだけやと、ちょっと重い。そこで酢漬けや」
料理番たちが首を傾げた。
「酢漬け、ですか」
「そう。たぶん手紙で届いてると思うけど、師範代の催しを各地で始めてるやろ」
「はい。松坂本店と港で行われたと聞いています」
「その中で、酢の和え物がな。料理としては大事やのに、竹串があんまり集まらんかったんや」
「酢のものは、地味ですからね」
「そう。それで、なんとかならんかなと思って、酢をいじった」
博之は、調理場にあった小鉢を借りた。
酢を少し。
酒を少し。
蜂蜜をほんの少し。
味噌を溶いた濃い調味液を少し。
そこへ刻みねぎを加える。
くるくると混ぜて、小皿に取った。
「ちょっと舐めてみ」
京都の料理番が恐る恐る舐める。
「……これは」
「どうや」
「酢だけとは、全然違いますね。酸っぱいのに、角が丸いです」
別の料理番も舐める。
「酒と蜂蜜が入ると、きつさがなくなります。味噌の旨みもあります」
お花も味を見て言った。
「京向けなら、蜂蜜は控えめでもよさそうですね。上品にできます」
「そうやな。港飯なら濃いめ。京なら軽めや」
博之は頷いた。
「松阪ではこれで小アジやサバを揚げて漬けた。魚の揚げ物を熱いうちにくぐらせると、
味が染みて、冷めても食える。小骨も少し柔らかくなる」
「魚は、こちらでは安定しません」
「せやから、こっちでは鶏や」
料理番たちは顔を見合わせた。
「鶏の天ぷらを、この酢だれにくぐらせる」
「そう。鶏を小さめに切って、塩して、粉をはたいて揚げる。熱いうちにこの甘酢味噌だれにくぐらせる。揚げたてのうまさとは違うけど、飯に合うし、冷めてもいける」
「それは……受けそうです」
「やろ」
博之は少し身を乗り出した。
「それをご飯、漬物、味噌汁と合わせる。定食みたいにするんや」
「定食?」
「一揃いの飯やな。鶏の酢だれ天ぷら、飯、漬物、味噌汁。腹も膨れるし、
見た目も整う。京の端で働く者、寺社の使い、旅人にも出しやすい」
京都のまとめ役は、真剣な顔で頷いた。
「それは、店の柱になるかもしれません」
「ただし、味は濃くしすぎるな。京都やからな。酢は立てすぎず、蜂蜜は控えめ、味噌も少し。
鶏は小さめ。飯と一緒に食わせる」
「はい。試します」
そこで博之は、ふと飯櫃を見た。
「ところで、ご飯はどうしてるんや」
「基本は、伊勢松坂屋の物流で郊外まで運んだ米を使っております。足りない時は近場で買っています」
「うーん」
博之は少し考えた。
「筋を通すなら、京都では京都の米を仕入れて使ってあげる方がええかもしれんな」
「京都の米を、ですか」
「全部でなくてもええ。けど、店で出す飯の一部は、近くの米屋から買う。そうすれば、
こちらが勝手に伊勢の米を持ち込んで売ってるだけやなくて、京の商いにも金を落としてる形になる」
ヨイチがすぐに反応した。
「関係作りですね」
「そうそう。京はしがらみが多い。だったら、うちも金を回す。全部自前で抱え込むと嫌われる」
お花も頷いた。
「漬物も同じですね」
「そうや」
博之は続けた。
「郊外の炊き出し用の漬物は、うちの漬物でええ。安く、量を出す必要があるからな。
でも、店で出す漬物は、よそさんから仕入れさせてもらうのもありや」
「京都の漬物屋へ頭を下げる」
「そう。『うちの飯に合う漬物を分けていただけませんか』ってな。そうすれば、店の味も
京に寄るし、相手との関係もできる」
京都のまとめ役は、深く頷いた。
「確かに、それは大事かもしれません。今までは、伊勢松坂屋の荷で足りるものは、
それで回すことを考えていました」
「それはそれで強みや。でも京都では、全部自前でやると嫌味になる」
博之は、店の外を見た。
京都の通りには、米屋、漬物屋、味噌屋、茶屋、小物売りが並ぶ。長く根を張った商いがある。
「うちは京都では新参や。なら、買うところは買う。頼むところは頼む。飯で関係を作る」
「はい」
「鶏の酢だれ天ぷら定食をやるなら、米は近くの米屋、漬物は京の漬物屋。味噌汁の味噌は、
うちの味噌と京の味噌を混ぜてもええかもしれん」
「味噌も混ぜるのですか」
「京の口に合わせるならな。全部伊勢の味では重いかもしれん」
料理番たちは、真剣に聞いていた。
今まで、伊勢松坂屋の強みは、自前の物流と仕入れだった。
だが京都では、それだけでは足りない。
土地のものを使う。
土地の商人とつながる。
土地の味に寄せる。
その上で、伊勢松坂屋らしい工夫を入れる。
それが、都で生き残る道なのだと、博之は感じていた。
「次に作る時は、そう動いてみます」
京都のまとめ役が言った。
「近くの米屋と漬物屋に声をかけます。鶏の仕入れは郊外の筋を使い、酢だれは店で調整します」
「ええな」
「野菜の天ぷらも、寺社の方へ相談しながら小さく始めます」
「それでええ。いきなり大きくやるな。京では、まず小さく、丁寧にや」
お花が少し笑った。
「旦那様、京都では珍しく慎重ですね」
「怖いからな」
「正直ですね」
「正直が一番や」
ヨイチ帳面にまとめた。
「京都店方針。鶏の酢だれ天ぷら定食を試作。飯は一部京都米を使用。漬物は京の漬物屋から
仕入れ相談。野菜天ぷらは寺社筋へ確認の上、小規模に開始。伊勢松坂屋の物流を使いつつ、
京都の商いにも金を回す」
「完璧や」
「また仕事が増えました」
「京都に来たんやから、しゃあない」
京都の料理番が、少し緊張しながらも言った。
「大旦那様。鶏の酢だれ天ぷら、必ず試します」
「うん。最初は小鉢でええ。うまくいったら飯と漬物と味噌汁をつけて、ちゃんとした一膳にする」
「はい」
「で、客の反応を見てくれ。京の人がどう食うか、旅人がどう食うか、寺社の人がどう言うか。
そこが大事や」
博之は、もう一度店を見回した。
京都の端の小さな店。
まだ細い。
けれど、ここには可能性があった。
野菜の天ぷら。
鶏の酢だれ天ぷら。
京の米。
京の漬物。
伊勢の味噌。
松坂の飯屋の工夫。
「焦らんでええ」
博之は言った。
「京都は、取る場所やなくて、馴染む場所やな」
京都のまとめ役は深く頭を下げた。
「心得ました」
お花が静かに頷き、ヨイチが帳面を閉じた。
京の店は、また少しだけ進む方向を得た。
伊勢松坂屋は、都を力で押すのではなく、飯で少しずつ染み込んでいく。
博之はそのつもりで、店を後にした。