作品タイトル不明
京都の店を視察して京都郊外のお寺まで戻ってくる。方針確認と大津・草津で師範代催しをするように告知
京都の端の店を見終え、方針をいくつか決めたところで、博之は京都郊外の寺へ戻った。
朝から慣れない正式な装束を着て、山科言継に挨拶し、朝廷への礼と寄進の筋を通し、
京都の店まで見て回ったのである。
寺へ着くなり、博之はほとんど倒れ込むように言った。
「もう疲れたわ」
お花がすぐに言う。
「まず着替えてください」
「着替えたら寝る」
「ここは我が家ではありません」
「分かってる。分かってるけど、今日はもうゴロゴロさせてくれ」
ヨイチが冷静に言った。
「まだ今後の方針確認が残っています」
「寝ながら聞く」
「それは確認とは言いません」
それでも、着替えを終えた博之は、畳の上にごろんと横になった。
京都郊外の寺の一室で、伊勢から来た大膳亮が完全にくつろいでいる。
住職が見たら苦笑するような姿だった。
お花は呆れながらも、薄い布をかけた。
「本当に、外では少し締まってくださいね」
「今日は締まってたやろ」
「途中までは」
「途中までは、か」
ヨイチは帳面を開き、今後の予定を整理し始めた。
「では、京都滞在中の方針を決めます」
「うん。とりあえず、京都の真ん中には深く入らん」
博之は寝転がったまま言った。
「朝廷への礼は済ませた。山科様にも筋は通した。京都の店も見た。あとは、
京都郊外を何日かぐるぐる回って、寺社に寄進して、炊き出しして、様子を見て帰ろう」
「京都中心部で大きな催しはしない、ということですね」
「せえへん。怖い。今の京都で派手に飯の催しなんかしたら、どこから何を言われるか分からん」
お花が頷く。
「郊外で小さく、丁寧にですね」
「そう。寺社に顔を出して、困ってることを聞く。炊き出しをする。必要なら布団や古布を
置いていく。あとは小さな市の様子を見る」
夜市が書き込む。
「京都郊外巡回、二日。寺社寄進、炊き出し、物資確認」
「それで、その後やな」
博之は少し体を起こした。
「大津と草津で催し物をやろう」
「師範代催しですか」
「正確には、師範代候補の催しやな。まだこの辺は焼印もそんなに回ってない。
だから、料理に自信がある者に出てもらう」
「日程は?」
「大津が三日後。草津が四日後」
お花が少し驚いた。
「近いですね」
「近い。でも、今のうちにやらんと、帰り道で忘れる。大津は大津の飯があるやろ。
湖の魚とか、旅人向けの飯とか。草津は街道飯や。冷めても食える飯、焼きおにぎり、
干物のほぐし飯、旅人弁当。そこを見たい」
夜市が頷く。
「大津と草津で、催しの運用が回るかを見るのですね」
「そうや。松坂本店、港、白子、関とやる話はしてきたけど、この辺はまた違う。京都に近い。
客層も違う。旅人も多い。寺社関係も多い」
「集客を見る意味もありますね」
「ある。前売り札がどれだけ出るか。竹串がどう動くか。薄味が刺さるのか、
濃い味が刺さるのか。魚が強いのか、弁当が強いのか。見たいことは多い」
お花が言った。
「ただ、今回は旦那様があまり深く関わらない方がよいのでは」
「そのつもりや」
博之はまたごろんと寝返りを打った。
「ちょっと任せすぎ感はあるけどな。けど、俺らが絡まん方が課題は見えやすい。
失敗したら失敗したでええ。どこで詰まったか、どの飯が出なかったか、客の流れがどう崩れたか、
それを見ればええ」
ヨイチが静かに言う。
「では、こちらから出すのは概要と注意点。実際の運用は大津・草津のまとめ役に任せる」
「そうそう」
「料理番は、まだ焼印がない者も参加可。ただし、料理に自信があり、まとめ役が認めた者」
「うん。あと、不正は禁止。身内贔屓も禁止。飯と向き合え、やな」
「竹串は五本ですか」
「基本は五本。ただ、初回は規模を少し小さくしてもええ。客三十人、一刻ごと、料理人十人。
この形を目安にして、無理なら減らす」
「分かりました」
お花が、博之の横で茶を置いた。
「その二日間、旦那様はどうされますか」
「京都郊外を回る。寺に寄進して、炊き出しして、住職や町の人と話す。あとは、
もし挨拶に来たいという人がおるなら、適宜受ける」
「山科様から話が回れば、誰か来るかもしれませんね」
「あるやろな」
博之は少し顔をしかめた。
「公家筋、寺社筋、商人、三好方の誰か。誰が来るか分からん。けど、全部断るのも角が立つ。
だから、寺で受ける。飯屋の店で受けるより、寺の方が穏やかや」
夜市が頷く。
「京都郊外の寺を拠点にするのは、かなり安全です。寺社の顔も立ちます」
「やろ。あと、わしが変なこと言いそうになったら止めてくれ」
お花が即答した。
「止めます」
ヨイチも言う。
「強めに止めます」
「そんなに信用ないか」
「京都では特にありません」
「ひどいな」
それでも、方針は固まった。
一日目、京都郊外の寺社巡り。寄進と炊き出し。
二日目、同じく郊外巡回。挨拶希望者がいれば寺で受ける。
三日目、大津で催し。博之たちは直接仕切らず、見守りと記録中心。
四日目、草津で催し。街道飯の反応を見る。
その後、荷と挨拶の状況を見て、帰路を決める。
ヨイチは帳面にまとめながら言った。
「京都中心部には、必要以上に踏み込まない」
「そう」
「郊外支援を中心にする」
「そう」
「大津・草津で催しの自走性を見る」
「そう」
「挨拶希望者は寺で受ける」
「そう」
「旦那様は余計な飯の実験を始めない」
「それは分からん」
「そこは守ってください」
お花が苦笑する。
「でも、牡蠣の時もそうでしたからね」
「あれは港飯として大事やった」
「今日明日は京都郊外です。牡蠣はありません」
「野菜の天ぷらくらいはあるかもしれん」
「やりすぎないでください」
住職が後で顔を出すと、博之は寝転がったまま慌てて起きようとした。
「あ、すみません。ちょっと疲れてまして」
住職は穏やかに笑った。
「大旦那、都の一日目でそれほどお疲れなら、明日からは少し肩の力を抜かれることです」
「抜きすぎて今こうなってます」
「それもまた、よろしいかと」
お花が小さく言った。
「よくはないです」
博之は住職へ方針を伝えた。
「明日から二日ほど、京都郊外を回りたいです。寺社に寄進し、炊き出しをして、
困っていることを聞きます。大津と草津では、料理の催しを試したいと思ってます」
住職は頷いた。
「都の中より、郊外を見られるのはよいことです。困っている者の声は、中心より端に出ます」
「そう思います」
「ただし、あまり出しすぎませぬように」
「そこは気をつけます」
「そして、来客があれば、こちらで取り次ぎましょう」
「助かります」
住職が下がると、博之はまた畳に倒れ込んだ。
「よし。方針決まったから、わしゃ寝るぞ」
ヨイチが言った。
「まだ荷の確認が」
「それはヨイチがやってくれ」
「旦那様」
「失敗は許す。裏切りは許さん」
「その言葉を便利に使わないでください」
お花が笑いながら布を掛け直した。
「少しだけ寝てください。夕方には、明日の炊き出しの荷を確認します」
「少しだけな」
博之は目を閉じた。
京都へ入り、山科言継に会い、朝廷への筋を通し、京都の店を見た。
疲れていた。
だが、次にやることは見えた。
京都の中心で派手に動くのではなく、郊外で飯と施しを積む。
大津と草津で、催しが自分なしで回るかを見る。
必要な挨拶は受けるが、深入りしすぎない。
伊勢松坂屋は、京都でも飯屋である。
銭を持ち、荷を持ち、官途を持っていても、やることは変わらない。
困っている者に飯を出す。
必要なところへ物を回す。
人を育てる。
博之は、畳の上で小さく呟いた。
「京都、怖いな」
お花が静かに答えた。
「だから、慎重に進みましょう」
ヨイチは帳面を閉じながら言った。
「まずは一眠りです」
「それが一番ありがたい」
そう言って、博之は本当に眠りに落ちた。
京都郊外の寺の一室で、伊勢の大膳亮は、正式な装束から解放され、
ただの疲れた飯屋の旦那として眠った。
その間にも、ヨイチとお花は、明日からの段取りを静かに詰めていく。
京都での伊勢松坂屋の動きは、ここから本格的に始まろうとしていた。