軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

草津の朝に焼印のための品評会があり、草津→大津→京都郊外。住職と挨拶を交わし明日京都へ入る心得を説いてもらう

草津の朝は、まだ少し肌寒かった。

博之は、昨晩の疲れも残っていて、正直なところ、さっさと飯を食べて大津へ向かい、

京都郊外まで入りたいと思っていた。

だが、朝餉の座敷へ出ると、小鉢が並んでいた。

焼きおにぎり。

薄味のつみれ汁。

街道向けの肉あん。

干物のほぐし飯。

少し酸味を利かせた和え物。

博之は膳を見た瞬間、顔をしかめた。

「……また品評会みたいになってるやんけ」

草津の料理番たちは、そろって頭を下げた。

「旦那様、京都へ向かわれる前に、少しだけ見ていただければと」

「いや、わしは戻ってきてから見るって言うたやろ。今日は先に京都へ入らなあかん。

大津抜けて、京都郊外まで行って、明日の段取りせなあかんねん」

「それは分かっております」

「分かってるなら」

「ですので、品目を少なくしておきました」

「そういう問題じゃなくてやな」

お花が横で笑いをこらえている。

ヨイチは、もう帳面を開いていた。

「旦那様、品目は五つだけです」

「五つ“だけ”って言うな」

「一口ずつなら、時間はそこまで取りません」

「ヨイチまで向こう側か」

「記録は必要です」

結局、博之は箸を取った。

まず、つみれ汁を一口。

「……これは塩気がええ塩梅やな。草津は街道やから、港ほど濃くなくてええ。

でも薄すぎたら旅人には頼りない。これはちょうどええ」

料理番の顔がぱっと明るくなる。

「ありがとうございます」

「任せ印でええやろ」

夜市が木札を出し、焼印が押される。

じゅ、と音が鳴ると、料理番たちの空気が一気に変わった。

次に焼きおにぎりを食べる。

「味噌だれの焦げはええ。ただ、少し固い。旅人にはええけど、年寄りにはきついかもしれん」

「見習いでしょうか」

「見習いやな。方向は悪くない」

干物のほぐし飯は、思ったよりよかった。

「これ、冷めてもいけるな。弁当に向いてる」

「はい。街道で持たせることを考えました」

「それはええ視点や」

ぽん、とまた焼印が押された。

博之はため息をつく。

「京都へ行く朝に、なんで俺は焼印押してるんやろな」

お花が言った。

「それだけ皆、旦那様に見てもらいたいんです」

「嬉しいけど、胃が重い」

「小鉢です」

「小鉢でも重いもんは重い」

それでも、朝餉は悪くなかった。

草津の飯は、港飯とも城下町飯とも違う。旅人が食う飯、街道を歩く者の飯、

冷めても持つ飯。そういう色が出始めていた。

飯を終え、荷を整えると、一行は草津を出た。

昼過ぎには大津を抜ける。

琵琶湖の気配を横に感じながら、大津郊外で少し休みを取った。

荷の確認。

銭の確認。

布団の濡れ。

瀬戸の焼き物の割れ。

伊勢の小物、木綿、寄進用の品。

ヨイチは一つずつ確認し、お花は人の疲れ具合を見た。

「京都郊外まで入れそうやな」

博之が言うと、ヨイチが頷いた。

「はい。今晩は京都郊外の寺で泊まり、明日の昼頃にご挨拶できるよう、

先触れを出すのがよいでしょう」

「ほな、文をしたためてくれ。明日の昼ごろ、挨拶に伺えればありがたい、と」

「承知しました」

大津から京都郊外へ入る道は、空気が変わった。

人が増える。

荷も増える。

言葉も少し変わる。

寺社の気配、商人の気配、貴人の気配。

博之は、荷車の上から周囲を見ながら、少し緊張していた。

「京都やな」

お花が言う。

「まだ郊外です」

「それでも、空気が違う」

ヨイチが淡々と言った。

「ここからは、今まで以上に言葉と金の出し方に気をつける必要があります」

「分かってる」

「旦那様の“分かってる”は、時々不安です」

「今日は牡蠣とか言わへんから」

「それは当然です」

その晩、一行は京都郊外の寺へ入った。

ここは、伊勢松坂屋が以前から施しや小さな市、炊き出しで関わっている寺である。

奈良や松坂とはまた違うが、京都の外側で人と荷をつなぐ、重要な場所になっていた。

住職は、博之を見るなり深く頭を下げた。

「大旦那が、まさか京都郊外まで直に来てくださるとは思いませんでした」

「いやいや、こちらこそお世話になっております」

博之は慌てて頭を下げた。

「こちらの寺でいろいろ動いていただいているおかげで、人の流れも、荷の流れも、

すごく良くなっています。施しの時に小さな市まで開いてもらって、情報も入ってくる。

ほんま助かっています」

住職は穏やかに笑った。

「伊勢松坂屋さんに関わっていただいてから、こちらもすこぶる良くなりました。

食べるものがある。人が集まる。人が集まれば話が集まる。話が集まれば、

困っている者も見つけやすい」

「それはよかったです」

「ただ」

住職は少し声を落とした。

「明日、官位を持って京都へ入られるとなると、いろいろなしがらみも出てきます」

「やっぱり、そうですよね」

「取って食われる、とまでは言いません。ですが、翻弄される可能性はあります。

銭を持っている者、物を持っている者、飯を出せる者は、京都では必ず見られます」

博之は静かに頷いた。

「気をつけます」

「特に、出しすぎないことです」

「はい」

「ただし、出さなすぎても失礼になる。そこが難しい」

「それが一番怖いです」

住職は少し笑った。

「それで、今回は何をお持ちに?」

夜市が荷の目録を広げた。

「寄進用の銭。伊勢の小物。木綿。瀬戸の焼き物。布団。古布。飯の元。小さな土産物。

道中で一部は入れ替えております」

「かなりの荷ですね」

「一応、形として整えたつもりです」

博之が言うと、住職は頷いた。

「やるかやらぬかで言えば、やる方がよろしいでしょう。官位をいただいた礼ですから」

「そう思いました」

「で、どれほどお持ちに?」

博之は、少し言いにくそうに言った。

「とりあえず、一千万文ほど」

住職の表情が止まった。

「……一千万文?」

「全部が銭ではありません。物も含めてです」

「それでも、驚かれますよ」

「やっぱりですか」

「驚かれます」

住職は、はっきり言った。

「京都でも、一千万文相当の寄進を“とりあえず”と言う人は多くありません」

ヨイチが横で小さく頷く。

「私もそう思います」

「いや、でも少なすぎてもあかんかなと」

博之が言うと、住職は苦笑した。

「大旦那、少ないということはありません。むしろ、どのように見せるかです。

一度にすべて見せるのではなく、礼としての銭、品としての小物、継続的な支援の意思。

その三つに分けた方がよろしい」

「なるほど」

「銭だけを積めば、金持ちに見えます。物だけを積めば、商人に見えます。

継続支援を語れば、信用を積めます」

博之は、思わずヨイチを見た。

「今の書いといて」

「すでに書いています」

「早いな」

お花が言った。

「明日は、言葉も整理しておきましょう」

「うん。余計なことを言わんようにせな」

ヨイチが冷静に返す。

「それが一番難しいです」

「そこまで言うか」

「旦那様は、飯の話になるとすぐ広がります」

「朝も焼印押してたしな」

住職は、少し驚いた顔をした。

「今朝も何か?」

お花が笑いながら説明した。

「草津で、朝餉が小鉢の品評会になりまして」

「京都へ来る朝に?」

「はい」

住職は声を出して笑った。

「やはり伊勢松坂屋さんは、どこへ行っても飯なのですな」

「笑いごとではないです」

博之は少し恥ずかしそうに言った。

「でも、草津の飯も悪くなかったんですよ」

「その話は明日の挨拶では控えめに」

「分かってます」

その晩、博之たちは京都郊外の寺で、明日の段取りを詰めた。

挨拶の言葉。

官位をいただいた礼。

寄進の趣旨。

銭と物資の分け方。

今後も道中の寺社や困っている者への支援を続ける意思。

出しすぎず、引きすぎず。

偉ぶらず、卑屈にもならず。

博之は何度も言葉を練習し、途中でつい「飯を」と言いかけて、お花に睨まれた。

「明日は、まず礼です」

「はい」

「飯は後です」

「はい」

ヨイチが帳面を閉じた。

「明日の昼、挨拶。先触れは出しました。荷は朝に再確認します」

「いよいよやな」

博之は、寺の一室で横になった。

草津の小鉢、道中の荷、大津の風、京都郊外の住職の忠告。

一千万文相当の寄進。

翻弄されるかもしれない京都。

それでも、来た。

「やるかやらんかで言ったら、やる方がええ、か」

博之は小さく呟いた。

明日は、京都へ入る。

飯屋として、商人として、寄進者として、そして官位をいただいた者として。

松坂から始まった道は、とうとう京都の門前まで来ていた。