作品タイトル不明
木下秀吉は博之からの丁寧だが自分はこないという距離の取り方をした文を信長に見せる。信長、博之のハラを読むwww
木下藤吉郎秀吉は、伊勢松坂屋から届いた文を前に、しばらく腕を組んでいた。
文は丁寧だった。
流しそうめんという催しのこと。
竹を半分に割り、水を流し、宮そうめんを流して、子どもも大人も箸で追いかけながら
食べるという。添えられた絵には、庭先で水を流す女衆、箸を構える子ども、横で笑う大人たちが
描かれていた。
さらに、うなぎの祝い飯。
普通のうな重やうな丼とは違い、酒と酢で軽く整えた飯を桶に広げ、細く切ったうなぎと
出し巻き卵を美しく敷き詰める。まずはその姿を見せ、祝いの場を華やかにしてから、
皆で混ぜて取り分けるというものだった。
これも絵が添えられていた。
桶一面に並ぶうなぎと卵。
見ただけで、場が湧くのは分かる。
「……相変わらず、うまいこと考えるな」
藤吉郎はそう呟いた。
だが、文の後半が引っかかった。
伊勢松坂屋として、必要であれば料理人を派遣する。流しそうめんを組める者、
うなぎを扱える者、祝い飯を作れる者を出すことはできる。
ただし、博之本人は、拠点巡回、料理の基準作り、焼印制度、料理人育成、相場の整理で
多忙を極めている。体調も少し崩しており、すぐに尾張へ伺うことは難しい。
藤吉郎は、文を畳みかけて、また開いた。
「これは……丁寧に断っとるな」
はっきりとは言っていない。
むしろ、礼は尽くしている。
新しい飯も報告する。
絵図も送る。
人も出す。
だが、本人は来ない。
藤吉郎は、そこに博之の意思を感じた。
「殿に見せるしかないな」
自分だけで握りつぶす文ではない。むしろ、信長が見るべき文だった。
藤吉郎は、流しそうめんの絵、うなぎ祝い寿の絵、そして博之の返書を整え、信長のもとへ持参した。
信長は文を受け取ると、まず絵を見た。
「なんだ、これは」
「流しそうめん、というものにございます」
「そうめんを流すのか」
「はい。竹を割り、水を流し、そこにそうめんを落として、箸で取って食べるそうでございます」
信長はしばらく絵を見ていた。
そして、鼻で笑った。
「馬鹿馬鹿しい」
「はい」
「だが、面白い」
「はい」
「子どもは喜ぶな」
「大人も、思わず箸を出すかと」
「なるほどな」
信長は次に、うなぎの祝い飯の絵を見た。
「これは、うな重とは違うのか」
「違うようでございます。酒と酢で飯を整え、うなぎと卵を並べ、祝いの席で
皆に見せてから混ぜるものだと」
「見せてから食わせる、か」
信長の目が少し細くなった。
「飯を、場の道具にしとるな」
「はい」
「一人で食う飯ではない。皆で見る。皆で混ぜる。皆で分ける。祝いの場を作る飯か」
「そのようにございます」
信長はしばらく黙っていた。
やがて文の後半へ目を移した。
博之本人は多忙につき、すぐには参上できない。
代わりに、焼印を持つ料理人を派遣する。
伊勢松坂屋として対応する。
信長は最後まで読むと、文を置いた。
「藤吉郎」
「はっ」
「これは、来ぬと言うておるな」
「……はい」
「だが、礼は尽くしておる。飯も出す。人も出す。絵も送る。喧嘩を売ってはおらん」
「その通りにございます」
「厄介な断り方を覚えたな」
信長は、少し笑った。
だが、その笑いは軽いものではなかった。
「理由は分かるか」
藤吉郎は少し迷った。
「おそらく、先日の話でございます」
「飯や話を、調略に使えると言うたことか」
「はい。旦那は、あれをあまり快く思っておらぬのではないかと」
「そうだろうな」
信長は、絵図を指で軽く叩いた。
「こやつは飯屋だと言い張る。だが、飯の力を分かっておる。分かっておるからこそ、
使われ方を選びたいのだ」
「はい」
「わしらは、飯を見れば兵站を見る。人の集まりを見る。噂の流れを見る。調略を見る。
国を取る道具を見る」
信長は、うなぎ祝い飯の絵を見た。
「だが、あやつは違う。飯を出して、人が笑う場を見る。土地の者が立ち上がる場を見る。
寺社に銭が回る場を見る。自分の店が根を張る場を見る」
藤吉郎は黙って聞いていた。
「だから、同じ炊き出しでも違う」
信長は続けた。
「わしらがやれば、先が見える。織田へ寄れ、尾張は豊かだ、こちらにつけ。そういう腹が見える」
「……」
「伊勢松坂屋がやれば、飯を食え、手伝え、働け、売れたら寺にも返す。施しではなく、
自分らも混ざれ。そう見える」
信長は、少し悔しそうに笑った。
「そこが一段違う」
「殿……」
「藤吉郎、わしはあの者を褒めておるのだ」
「はっ」
「飯を配れば人は靡く。そう簡単に考えれば、外す。あやつの飯は、ただの施しではない。
相手の土地の飯を聞き、相手に手を動かさせ、相手が自分で立った気にさせる。これが強い」
信長は、流しそうめんの絵を持ち上げた。
「この流しそうめんも同じだ」
「同じ、でございますか」
「ただの食い物ではない。水を流す者、取る者、笑う者、見ている者。場にいる者を巻き込む。
食うだけではなく、参加させる」
藤吉郎は、思わず息を呑んだ。
「うなぎの祝い飯もそうだ。一人で食わせるのではない。見せて、混ぜて、分ける。
場を一つにする。こういう飯は、人を集める」
「はい」
「そして、あやつはそれを分かっておる。分かっておるから、軍の手先になるのを嫌がる」
信長は、文の後半をもう一度読んだ。
「拠点巡回。料理の基準作り。焼印。料理人育成。相場の整理」
そこで、信長の顔つきが変わった。
「これは、ただ忙しいという話ではない」
「と申しますと」
「博之は、自分がおらんでも店が回るようにしておる」
藤吉郎は顔を上げた。
「はい。それは私も少し思いました」
「少しではない」
信長の声が鋭くなった。
「あやつは、切られることを考えておる」
その場の空気が少し重くなった。
「大名に嫌われる。呼ばれても行けぬ。あるいは、どこかで足を取られる。
そうなっても伊勢松坂屋が止まらぬようにしておる」
「……そこまで」
「考えておるかどうかは分からぬ。だが、動きはそうだ」
信長は静かに言った。
「焼印とは、飯の腕を札にすることだ。料理札とは、味を紙にすることだ。相場板とは、
土地の値を目に見えるようにすることだ。巡回とは、各地の者に“見られている”と思わせることだ」
藤吉郎は背筋を伸ばした。
「飯屋の仕組みではある。だが、国の仕組みに似ておる」
「国の仕組み……」
「そうだ。人を育て、基準を作り、値を見て、道を選び、拠点を回す。あやつは飯屋と言いながら、
国を回すようなことをし始めておる」
信長は笑った。
「本人は嫌がるだろうがな」
「はい。間違いなく」
「そこがまた厄介だ。野心でやっておる者なら読みやすい。だが、あやつは飯をうまくしたい、
従業員を食わせたい、困った者に布団を渡したい、そういう顔でやる。下心が薄く見える」
「実際には商売の利もあります」
「ある。だから強い。利があるから続く。情だけでは続かぬ。だが、利だけでも嫌われる。
あやつはその真ん中を、勘で歩く」
信長は少し黙ったあと、鳥羽という文字に目を止めた。
「鳥羽へ行ったとあるな」
「はい。巡回の一環かと」
「ただの巡回か」
「……違うかもしれませぬ」
「海を見たな」
信長は断じるように言った。
「鳥羽から南、志摩、尾鷲、熊野、紀州。あるいは常滑、三河湾。
あやつは荷の道を探しておるのかもしれん」
「摂津の酒、酢、油。帰りに布団や木綿」
藤吉郎は、博之から以前聞いた話を思い出した。
信長は頷く。
「行き荷と帰り荷を考えれば、船は強い。伊賀越えだけに頼らぬ道を作るつもりかもしれん」
「殿、それは伊勢松坂屋がさらに大きくなるということでは」
「そうだ」
信長は楽しそうに、しかし目だけは鋭く笑った。
「そして、こちらから遠くなる」
藤吉郎は言葉を失った。
「熱田や尾張の拠点が回っておるうちはよい。だが、伊勢松坂屋が鳥羽、堺、京都、三河、
紀州へ目を向ければ、尾張だけに縛れぬ」
「では、また呼びますか」
「呼ぶ」
信長は即答した。
「だが、呼び方を考えねばならん。飯を持ってこい、では来ぬかもしれん。仕組みを聞きたい、
と言えば警戒するかもしれん」
「では、どうなさいます」
「まずは人を受ける。焼印持ちの料理人を出すと言うなら、出させろ。流しそうめんも、
祝い飯もやらせる。伊勢松坂屋が、博之なしでどこまで動くかを見る」
「はい」
「その上で、また文を出す」
信長は筆を取らせた。
「飯は面白かった。料理人の腕も見たい。だが、博之にも伝えろ」
「何と」
信長は、少し間を置いて言った。
「飯屋なら飯屋でよい。だが、飯屋の道が国の道に重なることもある。そこから目を逸らすな、と」
藤吉郎は、少しだけ苦い顔をした。
「それを伝えれば、ますます距離を取るかもしれませぬ」
「だろうな」
信長は笑った。
「だから、今すぐではない。まずは泳がせる」
「泳がせる、でございますか」
「見ろ。あやつは、何かを掴む。飯、布団、酒、海、相場。適当に見えて、必ず利と道を拾う。
ならば、しばらく見た方がよい」
信長は、絵図を藤吉郎へ返した。
「流しそうめんとうなぎの祝い飯、まずはやらせろ。殿中の者にも食わせる」
「はっ」
「ただし、覚えておけ」
信長の声が低くなった。
「あの飯屋は、ただの飯屋ではない。本人がそう言い張るほどにな」
藤吉郎は深く頭を下げた。
「承知いたしました」
部屋を下がる時、藤吉郎はもう一度、手元の文を見た。
丁寧な報告。
美しい絵図。
柔らかな断り。
そして、その奥にある、距離を取る意思。
信長はそれを見抜いた。
そして、さらにその奥にある、仕組み作りと海の道への目線まで見抜いていた。
「旦那、これはますます厄介なことになりそうやな」
藤吉郎は小さく呟いた。
流しそうめんの絵の中では、子どもたちが楽しそうに笑っている。
だが、その竹の水の流れの先に、信長は人の流れと国の流れを見ていた。
飯は、ただの飯ではない。
それを一番嫌がっている博之自身が、誰よりもその力を持っていた。