軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

博之がゴロゴロしながら各拠点の相場が一目でわかる板が必要なことを思いつく。古参集に相談

松阪へ戻ってから、博之はしばらく畳の上でごろごろしていた。

鳥羽、伊勢、街道沿いの拠点を回った疲れもある。だが、それ以上に頭の中で、

ぐるぐる回っているものがあった。

「なあ、ヨイチ」

「はい」

「定期便とは別に、必要なもんが分かったわ」

ヨイチは嫌な予感がした顔で帳面を開いた。

「また仕事が増える話ですね」

「増えるけど、これは必要や」

博之はむくりと起き上がった。

「松坂本店に、各地の相場を一覧で見れる板がいる」

「相場の板、ですか」

「そう。米、味噌、酒、油、酢、塩、魚、干物、木綿、古布、布団、瀬戸物、常滑の壺、信楽焼、

小豆、砂糖、葛、紙。うちが普段使うもの、売るもの、仕入れるものの値段を、

国や拠点ごとに見れるようにする」

ヨイチの目つきが変わった。

「それは……必要です」

「やろ」

お花が茶を置きながら首を傾げる。

「板に書くんですか」

「最初は板でもええ。大きめの板を店の奥か帳場の近くに置く。そこに紙を貼る。松阪、伊勢、鳥羽、

津、白子、伊賀、奈良、大和、堺、京都、近江、熱田、津島、瀬戸、常滑。各地の値段を、

日付つきで貼っていく」

「日付が大事ですね」

夜市がすぐに言った。

「昨日の値と、半月前の値では意味が違います」

「そこや」

博之は指を鳴らした。

「例えば米が、松阪では百文、伊賀では百二十文、奈良では百五十文、

堺では百三十文やとする。何日付の値か分からんかったら、判断できへん。古い値段で

買いに行ったら損する」

「はい」

「逆に、ずっと記録してたら、どこが高くなってるか、どこが安くなってるかが見えてくる。

米が上がってるなら不作かもしれん。味噌が上がってるなら豆が足りんのかもしれん。

酒が上がってるなら米か水か、あるいは戦の影響かもしれん」

夜市はすでに筆を走らせていた。

「相場を見ることで、土地の不調も見えるわけですね」

「そうや。飯屋の値段表やけど、実際は土地の体調表みたいなもんや」

お花が感心したように言う。

「体調表」

「人間も熱があったら分かるやろ。土地も、米や味噌や酒の値が上がったら、何か起きてるかもしれん」

博之は続けた。

「あと、伊賀越えがしんどい時でも、近江経由で持ってくるとか、海で回すとか、道を変えられる。

どこの値段が高くて、どこの値段が安いかが分かれば、荷の流れを変えられる」

「つまり、相場板は道を選ぶための道具でもある」

「そうや」

夜市が頷いた。

「本店には必須です。各拠点にも、簡易版はあった方がよいかもしれません」

「まずは本店やな」

博之は言った。

「本店が全体を把握する。各地から来た手紙や定期便の情報を、帳面にしまうだけやと、

わしみたいなやつは見えへん」

「旦那様は帳面を読まないですからね」

「読む気はある」

「気だけです」

「ひどい」

お花が笑った。

博之は気にせず続ける。

「帳面は大事や。でも、帳面の中に入ってる情報は、見に行かな分からん。板に貼ってあれば、

誰でも一目で分かる。米はどこが高い。酒はどこが安い。布団は三河で集めやすい。

瀬戸物は今値が上がってる。そういうのが見える」

「紙を貼り替える形がよさそうですね」

ヨイチが言った。

「はい。品目ごとに板を分けましょう。米、味噌、酒、油、魚、布、器、甘味材料、特産品」

「特産品もいるな」

「はい。葛、宮そうめん、柑子、茶、小豆、砂糖、瀬戸物、信楽焼、常滑甕、木綿、古布。

これらは、季節や流通で値が変わります」

「そうや。特産品は特に、ずっと記録つけてたら高い時、安い時が見えるはずや」

お花が言う。

「土産物や小物は、値段が一定ではなさそうですね」

「そこは測りにくい。でも、ざっくりでもええ。高い、普通、安い。品薄、余り気味。

そういう書き方でもいい」

「なるほど」

「全部を銭で厳密に書こうとしたら続かん。大事なのは、見えることや」

ヨイチは、少し考えてから言った。

「では、こうしましょう」

帳面に線を引く。

「品目。拠点。値段。日付。量。質。備考」

「備考?」

「例えば、“雨で魚少なし”“寺社の催しで米高し”“船便遅れ”“戦の噂あり”“布団古布多し

”“酒樽漏れ注意”などです」

「ええやん」

「値段だけではなく、理由も書いた方がよいです」

「それ、めっちゃ大事やな」

博之は膝を叩いた。

「高い理由が分からんと、ただの数字や。雨で魚が少ないなら一時的かもしれん。

戦の噂で米が上がってるなら、しばらく続くかもしれん」

お花が少し真面目な顔になった。

「それ、かなり大きな情報ですね」

「そうやな」

博之は少し苦笑した。

「また、情報が力になる話や。嫌やけど、店を回すには必要や」

「今回は調略ではありません」

夜市が静かに言った。

「飯と荷を止めないための情報です」

「そうやな」

博之は少し安心したように頷いた。

「これは戦のためやない。飯を安く出すため、布団をちゃんと集めるため、

酒や酢を無駄なく運ぶためや」

夜市は、さらに具体化していく。

「定期便の者には、必ず相場紙を持たせます。各拠点で、主要品目の値を聞いて書く。

分からなければ、だいたいでもよい。次の便で更新する」

「半月ごとか」

「基本は半月ごと。急変があれば臨時便」

「急変って?」

「米の急騰、酒不足、布不足、港止まり、戦の噂、疫病、寺社の大きな催し」

「怖いな」

「だから必要です」

博之は腕を組んだ。

「店の真ん中に貼ると、誰でも見られるな」

「全部を客に見せる必要はありません」

ヨイチが即答した。

「帳場奥に置きましょう。従業員と買い付け係、料理頭、拠点まとめが見られる場所です」

「そらそうか。客に全部見せたら、こっちの仕入れ値丸見えや」

「はい」

「じゃあ、帳場奥やな。大板を置いて、紙を貼る。古い紙は外して、帳面に綴じる」

「過去分も残すのですね」

「残す。去年の今ごろはどうやったか、半年前はどうやったか、見られるようにする」

ヨイチの筆が止まった。

「旦那様、それはかなり重要です」

「そうなん?」

「はい。相場の流れが見えます。季節ごとの高低、祭礼前の値上がり、収穫後の値下がり、

港の荒れによる変動。数年積めば、かなり強い帳面になります」

博之は、少し照れた。

「勘で言うただけや」

「その勘が怖いです」

お花が笑う。

「旦那様、また仕事を増やしましたね」

「でも、これは必要やろ」

「はい。必要です」

「やろ」

博之は少し嬉しそうにした。

「焼印の管理も大事やけど、それは後でもええ。まずは数字や。相場が見えんと、

飯の値段も、寄進の量も、布団の買い方も決められへん」

ヨイチが頷いた。

「焼印は人の管理。相場板は店の血流の管理です」

「また難しいこと言うな」

「店が大きくなった以上、血流を見ないと詰まります」

「確かに」

博之は天井を見上げた。

「米が高い。味噌が高い。酒が足りん。布団が集まらん。そういうのを、後から聞いたら遅いんやな」

「はい。早く知れば、道を変えられます」

「伊賀越えが高いなら近江経由。海が使えるなら船。三河の布が安いならそっちへ。

堺の油が高いなら別筋。そういう判断やな」

「その通りです」

お花が言った。

「現場の人も、自分の拠点の値段を意識するようになりますね」

「それもある」

博之は頷いた。

「本店だけが知っててもあかん。各拠点も、自分たちの値段が高いのか安いのか、分からなあかん。

高い理由があるならええ。理由もなく高いなら、買い方が悪いかもしれん」

「料理頭にも見せた方がいいですね」

「そうやな。料理頭は味だけやなく、材料の値段も見なあかん」

夜市が新しい紙に大きく書いた。

相場板。

一、米、味噌、酒、油、酢、塩。

二、魚、干物、海藻、肉、豆。

三、木綿、古布、布団、枕布。

四、器、甕、小壺、鉄板、道具。

五、葛、茶、小豆、砂糖、柑子、特産品。

六、日付、拠点、値、量、質、理由。

「かなり大きな板になりますね」

「本店の真ん中やなくて、帳場奥やな」

「はい」

「紙を貼るなら、美濃紙がいるな」

「また紙の消費が増えます」

「美濃紙の値も板に貼ろう」

お花が吹き出した。

「相場板のための紙の相場まで見るんですね」

「そらそうや。紙が高くなったら相場板も困る」

ヨイチは真面目に頷いた。

「実際、必要です」

「冗談やったのに」

「冗談では済みません」

座敷に笑いが広がった。

だが、その笑いの中で、全員が分かっていた。

これは、ただの思いつきではない。

伊勢松坂屋が、松坂の飯屋から、各地に拠点を持つ大きな商いへ変わった以上、

相場を見ずに動くことはできない。

飯の味を守るには、材料の値を知らなければならない。

冬支度寄進を続けるには、布団や古布の値を知らなければならない。

船便を使うには、酒や酢や油の値と、帰り荷の値を知らなければならない。

そして、土地の変化を知るには、数字の揺れを見る必要がある。

「よし」

博之は言った。

「相場板、作ろう」

「はい」

「定期便の者に、相場紙を持たせる。各拠点は半月ごとに値段を書く。本店は板に貼る。

古いものは綴じる」

「すぐ準備します」

夜市が答えた。

お花が微笑む。

「旦那様、また大事な仕組みが増えましたね」

「ほんま仕組みばっかりや」

「でも、これは店を守る仕組みです」

博之は少しだけ黙ってから、頷いた。

「そうやな。飯を止めへんための仕組みや」

松阪本店の帳場奥に、大きな相場板が置かれる。

そこに各地から届く紙が貼られる。

米の値。

味噌の値。

酒の値。

布団の値。

魚の値。

その一枚一枚が、伊勢松坂屋の道を照らす灯になる。

博之は、少しだけ満足そうに笑った。

「これがあれば、どこが苦しいか、どこが余ってるか、少し見えるかもしれんな」

ヨイチが頷く。

「はい。帳面の中に眠っていたものが、板の上で見えるようになります」

「見えるのは大事やな」

「はい」

お花が茶を注ぎ直した。

「旦那様、今日は珍しく商人らしいです」

「いつも商人や」

「飯屋です」

「飯屋で商人や」

「最近は、だいぶ商会です」

博之は苦笑した。

「伊勢松坂屋、どこまで行くんやろな」

ヨイチは淡々と言った。

「少なくとも、相場板なしでは進めないところまで来ています」

「それは怖いな」

「だから、作ります」

「はい」

また仕事は増えた。

だが、これは必要な仕事だった。

飯のために。

布団のために。

道のために。

そして、各地で働く者たちが、迷わず商いを続けるために。