作品タイトル不明
お料理教室を開催してみる。普段忙しい女衆にもウケる。意外とご飯のモトを買う従業員がいて驚く博之。楽な方がイイとみんな口をそろえる。新たな従業員向け収益www
お料理教室は、試しに一度だけやってみることになった。
名前は、そのまま「一緒にご飯作りましょう会」。
博之が言い出した時、お花は少し警戒していた。
「旦那様、また変な催しになりませんか」
「変ではないやろ。飯を作るだけや」
「旦那様が“だけ”と言う時は、だいたい増えます」
「今回は増やさん」
そう言っていたが、実際に準備してみると、やはり少しずつ増えた。
豚汁の具材。
魚のすり身。
肉あんの元。
焼きおにぎり用の味噌だれ。
簡単なあら汁。
それに、火の起こし方、鍋の扱い、味噌を入れるタイミング、魚の臭みの取り方を
まとめた小さな料理札。
参加するのは、伊勢松坂屋の女衆だけではない。
町の女衆、若い男衆、仕事で忙しくて料理を覚える機会が少なかった者、
親から縁談の話が来ている者、ただ伊勢松坂屋の飯の作り方を見てみたい者。
思ったより、集まりはよかった。
「意外と来るな」
博之が言うと、お花が横で頷く。
「触れ合う機会が少ない人には、ありがたいんですよ」
「そうなんか」
「はい。仕事で忙しい女衆は、親から縁談を持ってこられることはあっても、
こうして自然に話す場はあまりありません」
会は、最初こそぎこちなかった。
男衆は、包丁を持つ手が硬い。
女衆も、店の台所とは違う家庭向けの小さな鍋や火加減に戸惑っている。
「味噌はいつ入れるんですか」
「最後や。煮立たせすぎたら香りが飛ぶ」
「魚のすり身って、これで合ってます?」
「もうちょっと丸めろ。崩れるぞ」
「焼きおにぎり、すぐ焦げます!」
「たれ塗りすぎや。まず軽く焼いてからや」
失敗するたびに、周囲から笑いが起きる。
ただ、嫌な笑いではない。
誰かが失敗すると、別の誰かが助ける。
火が弱ければ、男衆が薪を足す。
味が薄ければ、女衆が味噌を少し足す。
魚のすり身が崩れれば、料理番が横から手本を見せる。
最後には、皆で作った飯を囲んで食べた。
「自分で作ると、なんかうまいですね」
「店の味とは違うけど、家でこれ作れたら十分やな」
「肉あんの元があれば、かなり楽です」
「焼きおにぎりのたれ、これ買って帰りたいです」
場は、思った以上に和やかだった。
若い男衆と女衆が、少し照れながら同じ鍋を覗き込む。
町の女が、伊勢松坂屋の女衆に火加減を聞く。
料理番の男が、少し得意げにすり身の丸め方を見せる。
博之は、その様子を離れたところから見ていた。
「……まあ、悪くないな」
お花が言う。
「評判は良さそうです」
「でも、ここまで面倒見なあかんのかなとも思うんや」
「面倒見、ですか」
「いや、世の中には荒い男もおるやろ。変なこと言うやつ、強引なやつ、口の悪いやつ。
そういうのに慣れへんまま、こっちで綺麗な場ばっかり用意するのも、どうなんかなと思って」
お花は、少し呆れた顔をした。
「旦那様は、面白い揉め話を聞きすぎです」
「そうか?」
「揉め事ありきの恋愛なんて、ないに越したことはありません」
「でも、多少のあしらいは必要やろ」
「それはそうです」
お花は、少し真面目な顔になった。
「店として場は用意する。でも、その先は本人たちが学ぶことも必要です。何でもかんでも店が守る、
という形にすると、かえって本人たちのためになりません」
「そこやな」
博之は頷いた。
「うちは場を作る。変なやつは入れんようにする。けど、全部の恋愛や縁談まで面倒見るわけではない」
「はい。それくらいがよいと思います」
「他のご縁会では、もうちょっと適当にやってもらうか」
「適当という言い方はよくありませんが、少し余白があってもいいでしょう」
今回の料理教室は、伊勢松坂屋の管理下で行われている。
お花や女衆のまとめ役が見ている。
料理番もいる。
変な男が入り込む余地は少ない。
その安心感もあって、参加者の評判はよかった。
「伊勢松坂屋の飯を、そのままではなくても覚えられるのはありがたいです」
「最後に皆で食べるのが楽しいです」
「ただのご縁会より話しやすいですね」
そういう声がいくつも上がった。
博之は、少し満足そうに言った。
「一回目としては、まあええな」
夜市が帳面に書き込む。
「参加者数、反応、使用食材、売れた飯の元、次回改善点。まとめておきます」
「また仕事にする気やな」
「旦那様が始めたことです」
「それを言われると弱い」
そして、もう一つ予想以上の効果があった。
下ごしらえ済みの「おうち飯の元」である。
豚汁の具材。
肉あんの具。
つみれ汁の元。
焼きおにぎりのたれ。
あら汁用の魚と味噌。
最初は従業員向けに、少しだけ売るつもりだった。
ところが、これが意外なほど受けた。
「これ、家で温めるだけでいいんですか」
「肉あんの具、包まなくても汁に入れていいんですか」
「焼きおにぎりのたれ、これだけ売ってください」
「つみれの下ごしらえって、自分でやると面倒なんです」
女衆だけではない。
男衆にも売れた。
独り身の荷運び。
帰りが遅い料理番。
家で妻に少しでも楽をさせたい者。
老いた親に温かい汁を出したい者。
それぞれが、少しずつ買っていった。
ある男衆は、包みを受け取りながら笑った。
「家に帰ってから下ごしらえするの、正直嫌なんですわ」
別の女衆も言う。
「嫁さんにしても、楽な方がええに決まってます」
博之は思わず言った。
「みんな楽する気満々やな」
すると、お花が即座に返した。
「楽な方がいいでしょう」
「またそれか」
「仕事して、洗濯して、火を起こして、一から飯を作るのは大変です。
下ごしらえがあるだけで助かります」
「それはまあ、そうやな」
ヨイチが数字を見せた。
「小さく売っただけですが、かなり動いています。特に焼きおにぎりだれと、つみれ汁の元が強いです」
「また収益立ちそうやな」
「立ちそうです」
お花が、少し複雑そうに博之を見た。
「旦那様、また商売になってしまいますよ」
「なってしまうって言い方やめてくれ」
「困っていることを少し助けようとしたら、ことごとく当たるのが怖いです」
「当てに行ってるつもりはないんやけどな」
「だから怖いんです」
博之は腕を組んだ。
「下ごしらえが面倒。家で伊勢松坂屋っぽい味を出したい。仕事帰りに楽したい。
そこに需要があるってことか」
「はい」
「でも、一般に広げすぎるのは怖いな」
ヨイチが頷く。
「まずは従業員と家族向けに限定した方がいいです。外へ出すなら、品目を絞り、
値段も変えるべきです」
「うちの店に来なくても家で食える、となると困るしな」
「はい。ただ、逆に言えば、家で食べて気に入った者が店へ来る可能性もあります」
「それもあるか」
お花が言う。
「まずは暮らし支援としてやるのがよいと思います。商売は後からついてくる形で」
「それが一番やな」
博之は、少しだけ真面目な顔になった。
「最近、戦とか調略とか、そういう話が多かったやろ」
「はい」
「だから、こういう話をしてる方が楽なんや。女衆が飯で困らんようにする。
男衆も料理を覚える。家で温めるだけの飯の元がある。そういう方が、わしはええ」
お花は、静かに頷いた。
「逃げではないと思いますよ」
「そうか」
「はい。これは暮らしを支える話です」
ヨイチも言った。
「それに、店としても意味があります。従業員の生活が楽になる。料理の基本が広がる。
伊勢松坂屋の味が家庭に少し入る。将来的には、家庭用商品として育つ可能性もあります」
「また仕組みか」
「はい」
「ほんま、何でも仕組みになるな」
「旦那様が始めるからです」
座敷に笑いが起きた。
お料理教室は、ぎこちなかったが順調だった。
ご縁会としても、料理稽古としても、地域交流としても、十分に手応えがあった。
おうち飯の元も、思った以上に受けた。
面倒な下ごしらえを店が引き受け、家では火を起こして温めるだけ。
それだけで、人の暮らしは少し楽になる。
「よう分からんなあ」
博之は呟いた。
「困ってることをちょっと減らそうとしてるだけやのに、商売になる」
お花が微笑んだ。
「それが、旦那様の商売なのかもしれません」
「褒めてる?」
「今日は褒めています」
「今日は、か」
博之は少し苦笑した。
戦の話から離れて、飯の話に戻る。
家で食べる飯。
誰かと作る飯。
泣いて帰ってこなくて済むようにする飯。
そういう小さな飯の積み重ねが、伊勢松坂屋らしさなのかもしれない。
「まあ、もう少し続けてみるか」
博之が言うと、ヨイチがすぐに筆を取った。
「次回の品目を決めましょう」
「早いな」
「順調なら、続ける準備が必要です」
「はいはい」
お花が横で笑った。
「旦那様、また仕事が増えましたね」
「でも、これは嫌いやない」
博之はそう言って、少しだけ明るい顔をした。