軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

博之が各店舗をゆっくり巡回する。伊勢、鳥羽方面。普段来ない大旦那が来て緊張する周囲。焼印を押したり情報交換。足らないものないかい??

博之が、唐突に言った。

「ちょっと伊勢をぐるっと回るか」

お花は、また何か始まったという顔をした。

「今度はどこですか」

「伊勢全体や。と言うても、まずは伊勢の港と鳥羽やな」

ヨイチが帳面を開く。

「鳥羽ですか」

「うん。最近、運用の話ばっかりしてるやろ。料理札、焼印、料理頭、布団寄進、

飯のモト。仕組みはできかけてるけど、現場がちゃんと分かってるか見なあかん」

「つまり、巡回ですね」

「そうや。わしが回ったことないところも増えてきたしな」

博之は指で道筋をなぞるように説明した。

「まず伊勢の港を見る。そこから鳥羽の港へ行く。鳥羽の郊外と城下町の横丁を見る。

そこで一泊する。翌日、鳥羽の郊外から伊勢の城下町側へ戻って、また一泊。最後は

松阪まで陸路で帰る」

お花が少し頷いた。

「伊勢神宮には寄らないんですか」

「今回は寄らん」

「珍しいですね」

「伊勢神宮はよく行くし、帰り道で寄ろうと思えば寄れる。今回は港と横丁や。

海の道を考えるなら、鳥羽をちゃんと見なあかん」

ヨイチが帳面に書く。

「鳥羽港、鳥羽郊外、城下町横丁、料理焼印確認、足りないもの聞き取り、布団寄進の説明」

「そうそう。焼印の札や料理札も持っていく。こういう運用をするんや、と現場に言う。

ついでに、足らんもんないか聞く」

「旦那様が数日空けることで、本店の運用確認にもなりますね」

「それもあるな」

お花が言った。

「旦那様がいなくても回るか、見られます」

「怖いこと言うな」

「でも必要です」

「まあな」

博之は少し苦笑した。

「わしがいちいち全部見てたら、いつまで経っても伊勢松坂屋にならん。博之屋のままや」

そうして数日後、博之はお花、ヨイチ、数人の料理番、帳場役、焼印用の木札を

持った者たちを連れて、まず伊勢の港へ向かった。

伊勢の港は、すでに伊勢松坂屋の荷が出入りする場所になっていた。

干物、海藻、魚、塩、飯の元、瀬戸物、常滑の壺、布団寄進用の古布。

人が動き、荷が動き、帳面が動く。

「前より、だいぶ整ってるな」

博之が言うと、港のまとめ役が頭を下げた。

「旦那様の料理札の話、聞いております。こちらでも、海鮮焼きとすり身揚げの手順を

まとめ始めています」

「ええやん」

「ただ、魚の種類が日によって違うので、札どおりにいかないこともあります」

「そこは、札に書いとけ。魚が違う時の逃げ方や。全部同じにしようとせんでええ」

料理番がすぐに頷いた。

「はい」

博之は、実際に海鮮焼きを焼かせ、すり身の丸め方を見た。

「うん。悪くない」

焼き加減もよい。油の量も多すぎない。客の流れも見えている。

「海鮮焼き任せ印、一人出してもええな」

その言葉に、若い料理番が目を見開いた。

「わ、私ですか」

「他に誰がおるねん。安定してる。焦げも少ない。油の使い方も分かってる」

博之は木札を受け取ると、焼印を押させた。

小さな木札に、海鮮焼きの印が焦げ跡として浮かぶ。

「ほら。これからは、自分の味だけやなくて、人にも教えろ」

「はい!」

その場にいた者たちが、小さく拍手した。

お花が横で笑う。

「旦那様、こういう時はちゃんと格好いいですね」

「こういう時は、って何や」

「普段はにやにやが多いので」

「厳しいな」

伊勢の港を見たあと、一行は鳥羽へ向かった。

鳥羽の港に着くと、空気が少し違った。

潮の匂いが強い。

船が多い。

漁師、船頭、水軍に近い荒い男衆、荷運び、魚を捌く者、干物を並べる者。

伊勢松坂屋の横丁はまだ小さいが、海鮮焼き、干物焼き、つみれ汁、焼きおにぎりを出していた。

博之が来たと分かると、港の者たちがざわついた。

「旦那様や」

「ほんまに来たんか」

「伊勢松坂屋の旦那や」

鳥羽の従業員たちは、明らかに緊張していた。

初めて博之が直に見に来る。

それだけで、手つきが少し固くなる。

「普通にせえ。普通に」

博之が言うと、料理番の一人が大きく頷いた。

「はい!」

「いや、固いって」

周りが笑った。

だが、すぐに料理番たちは自分たちの持ち場を見せ始めた。

「旦那様、これ見てください。鳥羽では、魚のすり身に海藻を少し混ぜております」

「ほう」

「崩れにくくなりますし、香りもつきます」

「ええやん」

別の者が言う。

「こちらは干物焼きです。炭の当て方で、身が固くなりすぎないようにしています」

「見せてみ」

また別の若い料理番が、少し照れながら言った。

「あの、海鮮焼きの返し方を工夫しました。見ていただけますか」

「おう」

博之は一つ一つ見ていった。

完璧ではない。

だが、港の魚に合わせて、現場なりに工夫している。

それが嬉しかった。

「ええな」

博之は素直に言った。

「本店の真似だけやなくて、鳥羽の飯になってきてる」

その言葉に、鳥羽の者たちはぱっと顔を明るくした。

「ほんまですか」

「ほんまや。港の飯は港の飯でええ。魚が違う、客が違う、匂いが違う。全部同じにせんでええ」

ヨイチが横で帳面に書き込む。

「鳥羽式すり身、海藻入り。干物焼き、炭当て調整。料理札に追記」

「それも焼印候補やな」

博之は、腕の良い者を二人呼んだ。

一人には、すり身揚げ見習い印。

もう一人には、干物焼き任せ印。

木札に焼印が押されるたびに、周りの従業員たちは大きく湧いた。

「おお!」

「やったな!」

「鳥羽で初めてやないか!」

博之は少し笑った。

「これで終わりやないぞ。焼印持ちは、次から人に教える側や」

「はい!」

「偉そうにするなよ」

「はい!」

「下働きに怒鳴ったら剥奪やぞ」

「はい!」

お花が小さく笑う。

「それは、毎回言った方がいいですね」

「焼印持ちが調子乗るのが一番あかんからな」

鳥羽の港では、歓迎も受けた。

港の者たちは、魚を持ってきた。

「旦那様、これで何か作れませんか」

「こっちの雑魚、いつも余るんです」

「干物にするには小さすぎるんですが、捨てるのも惜しい」

博之は魚を見ながら、少し考えた。

「すり身に回せるな。小さい魚は、小さい魚で役目がある」

「ほんまですか」

「骨が細かいなら、叩いて揚げる。臭みがあるなら、酒と味噌や。摂津の酒が入ったら、

こういう魚も化けるかもしれん」

港の者たちは、目を輝かせた。

「また新しい飯ですか」

「試すだけや」

お花がすぐ言う。

「旦那様の“試すだけ”は信用できません」

「港の飯は試さんと分からんやろ」

夕方、一行は鳥羽の城下町側にある伊勢松坂屋の屋敷へ入った。

城下町と言っても、大きな城を中心にした華やかな城下ではない。港と船と小さな屋敷、

地元の有力者たちの気配が混ざった場所だった。

博之は中へ入るなり、持ってきた布団を指差した。

「これ、俺の布団やから置いとくな」

お花が即座に眉を上げた。

「旦那様?」

「いや、巡回するなら寝床いるやろ。毎回違う布団やと落ち着かんし」

ヨイチが静かに言った。

「旦那様、どんどん自分の寝床を増やしていくつもりですね」

「ええやんけ。松坂、伊勢、鳥羽。次は津か白子やな」

「完全に各拠点に旦那様用の寝床を作る流れです」

「巡回のためや」

お花が呆れたように笑う。

「本音は?」

「自分の布団の方が寝やすい」

「やっぱり」

女衆が布団を運び入れながら、くすくす笑った。

「旦那様用の布団、鳥羽にも置かれるんですね」

「湿気には気をつけろよ。港やからな。干せ。絶対干せ」

「はい」

「濡れた布団で寝たら、わし泣くからな」

「旦那様、子どもみたいです」

「寝るもんは大事なんや」

夜、その屋敷で鳥羽の者たちを集めて、簡単な話し合いが開かれた。

料理札の運用。

焼印の段階。

料理頭の候補。

布団寄進の扱い。

港で足りないもの。

女衆の安全。

港の魚の余り。

船頭との関係。

話は次々と出た。

博之は少し疲れたが、どこか安心もしていた。

鳥羽は鳥羽で、ちゃんと動き始めている。

本店の真似ではなく、港の店として育ち始めている。

「悪くないな」

博之が呟くと、ヨイチが頷いた。

「はい。鳥羽は、海の拠点として育てる価値があります」

「南回りはまだ先やけどな」

「まず鳥羽を太くすることです」

「せやな」

お花が茶を出しながら言った。

「旦那様も、少し安心した顔をしています」

「そうか?」

「はい」

博之は、置いたばかりの自分の布団を見た。

「まあ、寝床が増えたしな」

「そこですか」

「そこも大事や」

座敷に笑いが起きた。

その夜、博之は鳥羽の屋敷に置いた自分用の布団で眠った。

潮の匂いが、ほんの少し部屋の中まで入ってくる。

松坂とは違う音。

伊勢とも違う空気。

港の人声、遠くの波、船の軋む音。

博之は目を閉じながら思った。

飯は、土地ごとに変わる。

店も、人も、道も、寝床も。

全部、本店の形に押し込むのではなく、その土地で回る形にしていかなければならない。

翌朝、鳥羽の港をもう一度見る。

それから伊勢の城下町側へ戻り、さらに松坂へ帰る。

小さな巡回ではある。

けれど、伊勢松坂屋が「博之一人の店」から「各地で自分たちの飯を作る店」へ変わるための、

大事な一歩だった。

博之は布団の中で、ぽつりと呟いた。

「……やっぱり、寝る場所があると違うな」

隣の部屋から、お花の声がした。

「旦那様、聞こえていますよ」

「寝言や」

「起きています」

「寝るわ」

鳥羽の夜に、また小さな笑いが落ちた。