作品タイトル不明
博之がお花さんに女衆の料理の腕を聞く。結婚予定の旦那衆とかが勝手に料理上手と妄想している危険性あり。料理教室と従業員向けにさっとできるおうち飯のモトを売ろうwww
唐突に、博之がお花に聞いた。
「なあ、お花さん」
「はい」
「うちの女衆の料理の腕って、どんなもんなん?」
お花は、ぴたりと動きを止めた。
湯呑みに茶を注いでいた手が、ほんの少しだけ止まる。
「……旦那様」
「なんや」
「私たちは、給仕が仕事です」
「いや、それは分かってんねん」
博之は畳の上でごろごろしながら、手をひらひらさせた。
「給仕、座敷回し、湯浴みの案内、客あしらい、帳場の手伝い、荷の整理。めちゃくちゃ助かってる。
それは分かってる」
「では、なぜ急に」
「いやな」
博之は少し起き上がった。
「結婚は自由やんか」
「また急ですね」
「うち、ご縁会とかもやってるやろ。地元の人と顔合わせたり、店の女衆が町の若いもんと話したり、
そういう機会も増えてる」
「はい」
「そこでやな。相手方が勝手に思ってへんかなって」
「何をですか」
「伊勢松坂屋の女やから、うまい飯が食えるんちゃうかって」
お花は黙った。
その沈黙で、博之は察した。
「やっぱりあるやろ」
「……ないとは言いません」
「せやろ」
博之は少し得意げに言った。
「伊勢松坂屋で働いてる。豚汁もうなぎも海鮮焼きも肉あんも知ってる。じゃあ家でも
飯がうまいやろって、勝手に思う男衆はおると思うねん」
「それは、少し困りますね」
「困るやろ」
「実際には、料理番が作るものも多いですし、女衆は給仕や裏回しが中心です」
「そうやねん。いざ付き合うなり、結婚するなりして、相手が料理を楽しみにしてたら、
“私、あんまりできないんです”ってなったら、ちょっと格好つかへんやろ」
お花は少しだけ眉を寄せた。
「旦那様、女衆に料理を強制するつもりですか」
「違う違う」
博之は慌てて手を振った。
「別に、女は料理できなあかんとか、そういう話やない。男も覚えたらええ。けど、
飯で困らんようにはしておきたいんや」
「飯で困らんように」
「そう。うちで働いてた子が、外で暮らすようになって、火も起こせへん、汁も作れへん、
飯の段取りも分からへんってなったら、かわいそうやろ」
お花は少し表情を緩めた。
「それは、確かに」
「で、二つ考えてんねん」
「また増えましたね」
「聞けって」
博之は指を一本立てた。
「一つ目は、“一緒にご飯作りましょう会”や」
「名前はかわいいですね」
「やろ」
「中身が怖いですが」
「怖くない」
博之は続けた。
「うちが材料を用意する。あら汁の元、魚のすり身、肉あんの具、豚汁の具、焼きおにぎりのたれ。
そういうのを使って、家でも作れる飯を一緒に作る」
「女衆だけでですか」
「女衆同士で練習してもええ。けど、男衆も入れてもええと思う」
「男衆も」
「そうや。料理できる男が、町の女の人に見せるのもありやろ。焼印持ちの料理人が、
“私は伊勢松坂屋でこれを任されています”って見せるのも、ええ格好になる」
お花が少し笑った。
「旦那様、結局ご縁会にもつなげる気ですね」
「そらそうや。飯を一緒に作ると、距離が縮まるやん」
「まあ、それはあります」
「しかも、料理ができるようになる。うちの食材も売れる。町の人も伊勢松坂屋の味を覚える。
ええこと多いやん」
「商売の匂いがします」
「それは少しある」
「少しですか」
「まあまあある」
お花は呆れた顔をした。
博之は、もう一本指を立てる。
「二つ目は、従業員向けの“飯の元”や」
「飯の元?」
「仕事終わって、まかない食って帰るだけやとするやん。でも家に旦那さんとか、親とか、
子どもとかが待ってたら、“自分だけ食べてきました”って言いにくいやろ」
「それはありますね」
「だから、うちで下ごしらえしたものを小分けにして売る」
「従業員向けに」
「そう。一般に売りすぎると、そこら中で伊勢松坂屋の飯が家で食えるみたいになって、
店の客が減るかもしれんし、訳分からんことになる。せやから、まずは内々や」
ヨイチも呼ばれ、話に加わった。
「具体的には何を売るんですか」
「豚汁の具。肉あんの具。つみれ汁の元。焼きおにぎりのたれ。あら汁用の魚と味噌。葛湯の元。
ふくふく焼きの餡。そんなところやな」
「温めるだけ、煮るだけ、焼くだけにするわけですね」
「そう。家に帰って火を起こして、鍋に入れて温めたらそれっぽくなる。簡単な料理札も付ける」
「料理札」
「味噌は最後。すり身は煮立たせすぎない。焼きおにぎりは一回表面を乾かしてからたれを塗る。
そういう短いやつや」
ヨイチは帳面に書き込んだ。
「従業員向け家庭用飯の元。販売制限あり。料理札付き」
お花が博之を見た。
「旦那様は、すぐ仕事にしますね」
「仕事にした方が続くやろ」
「本当に商売下手ですね」
「いや、商売下手なんか上手なんかどっちやねん」
「下手というか、情が先に来るくせに、形にすると商売になるんです」
「それは褒めてる?」
「半分くらいは」
「少ないな」
博之は少し不満そうだったが、すぐ真面目な顔に戻った。
「でもな、かわいいとか、愛でられるとか、そういうのも大事やけど、飯が作れへんって
先々不安やんか」
お花が少し目を伏せる。
「確かに、嫁いだ先でそれを言われると、つらい子もいると思います」
「やろ」
「でも、旦那様」
「なんや」
「結婚してないくせに、めちゃめちゃ考えますね」
ヨイチが少し吹き出しそうになった。
博之はむっとした。
「考えるよ。泣いて帰ってこられたら空気悪いやんけ」
「そこですか」
「そこや。うちで働いてた子が、“料理できへんって言われました”って泣いて帰ってきたら、嫌やろ」
お花は少しだけ笑った。
「それは、嫌ですね」
「せやろ。だから先にできることはしておく」
そこへ、女衆のまとめ役たちも呼ばれた。
話を聞いた女衆の一人が、すぐに言った。
「温めるだけの飯の元があるなら、正直かなり助かります」
「楽する気満々やんけ」
博之が言うと、その女衆はまったく悪びれなかった。
「楽な方がいいでしょう」
「開き直ったな」
「仕事終わりに火を起こして、米を見て、洗濯して、家のことをして、それから一から
汁を作るのは大変です」
「それはそうやな」
「肉あんの具とか、つみれの元とか、豚汁の具があれば、本当に助かります。
しかも伊勢松坂屋の味なら、家の者も文句言いません」
「文句言わへんための飯か」
「大事です」
別の女衆も言った。
「料理教室も、あったら行きたいです。店では見てるだけのことも多いので、
実際に自分で作る場があるなら覚えたいです」
「男衆も入れるぞ」
「それはそれで面白いかもしれません」
「ご縁会っぽくなるやろ」
「旦那様がにやにやしなければ、よいと思います」
「またそれか」
お花がまとめるように言った。
「筋は通っています。女衆のためにもなりますし、男衆も料理を覚えられます。家庭用の飯の元は、
従業員の暮らしを助けます」
ヨイチも頷いた。
「ただし、制限は必要です。一般販売に広げる場合は別管理。まずは従業員向け、家族向け、
小さく試すべきです」
「分かってる」
博之は頷いた。
「あと、値段は安くしすぎない。ちゃんと銭は取る。でも、従業員が買える値段にする」
「福利厚生ですね」
「また難しい言葉を」
「従業員の暮らしを支える仕組みです」
「それや」
博之は少し考えたあと、言った。
「名前は、“おうち飯の元”でどうや」
場が少し静かになった。
お花が言う。
「悪くはありません」
「また微妙な反応やな」
「分かりやすいです」
「褒めてる?」
「今回は、少し」
ヨイチが帳面に書いた。
一緒にご飯作りましょう会。
おうち飯の元。
従業員向け。
料理札付き。
男衆・女衆とも参加可。
ご縁会との連携あり。
博之はそれを見て、少し満足そうに頷いた。
「まあ、今は暇やねん」
「暇ではないです」
ヨイチが即座に言う。
「暇というか、戦に絡むことを忘れたいんや」
その言葉に、場が少し静かになった。
博之は苦笑した。
「織田様の話とか、調略とか、そういうの考えてるとしんどい。だから、こういうこと
考えてる方が楽なんや」
お花は、少し優しい声で言った。
「でも、これは逃げではないと思いますよ」
「そうか」
「はい。女衆が飯で困らないようにする。従業員が家で伊勢松坂屋の味を出せるようにする。
男衆も料理を覚える。暮らしを支える話です」
ヨイチも言った。
「店が大きくなった以上、こういう仕組みは必要です」
博之は、少しだけ肩の力を抜いた。
「なら、ちょっと考えてもええな」
「はい」
「まずは、豚汁の具、つみれ汁の元、焼きおにぎりだれ。この三つからやろう」
「肉あんの具も入れてください」
女衆がすぐに言った。
「楽する気満々やな」
「楽でおいしいのが一番です」
座敷に笑いが広がった。
博之は、その笑いを聞きながら思った。
戦のための飯ではない。
暮らしのための飯。
家に帰って、火を起こして、誰かと食べる飯。
そういうものを作る方が、やはり自分には向いている。
「よし」
博之は言った。
「おうち飯の元、試してみるか」
お花が微笑んだ。
「旦那様、今日はいい思いつきです」
「今日は?」
「今日は、です」
「厳しいなあ」
けれど、博之の顔は少し明るかった。