作品タイトル不明
大和八木の拠点からの遊び金報告で受けた三輪そうめんの流しそうめんをしたいぞ。家族向けにやってみよう
大和八木から届いた「三輪そうめんを流して食べた」という報告は、博之の中でずっと
引っかかっていた。
竹を半分に割り、湧き水を流し、そこへそうめんを流す。
それを箸ですくって、つゆにつけて食べる。
ただそれだけの遊びである。
だが、報告書には、子どもが笑った、女衆が喜んだ、大人も失敗して笑い合った、と書かれていた。
「……これ、今度の市でやろう」
博之が言うと、お花が少し警戒した顔をした。
「旦那様がそう言う時は、だいたい準備が大変です」
「大変やけど、面白そうやん」
「水はどうします?」
「井戸水や。上から桶で流す」
「手作業ですか」
「手作業でええ。女衆か若い衆に上で水を流してもらう。竹は切って、半分に割って、節を抜く。
下に桶を置いて、水は使い回さへん。落ちたそうめんは客には戻さん」
ヨイチがすぐに帳面を開いた。
「衛生面は大事ですね」
「そこはちゃんとやる。食べ物で腹壊したら終わりやからな」
「値段は?」
「家族一組で百文ぐらいやな」
「一組ですか」
「そう。子どもだけやなくて、親も一緒に楽しめるようにする。そうめん代は
そこまで高くせん。ただ、ほどほどに取って、寺への寄進に回す」
お花が頷いた。
「炊き出しというより、寄進つきの夏の催しですね」
「そうや。飯と遊びの間や」
そうして、次の市で流しそうめんが試されることになった。
朝から若い衆が竹を切り、半分に割り、節を削った。長くつなげると、思ったより見栄えがする。
竹の青さが涼しげで、そこに水を流すだけでも、子どもたちは目を輝かせた。
「何あれ!」
「水流れてる!」
「そうめん流すんやって!」
井戸水を汲み、上の桶へ入れる。
女衆が柄杓で少しずつ水を流し、その合間に茹でた宮そうめんをぱらぱらと流す。
白いそうめんが、竹の上をつるつると滑っていった。
「来た来た!」
「取れ!」
「早い早い!」
子どもたちは箸を構え、流れてくるそうめんをすくおうとする。
うまく取れた者は歓声を上げ、取り損ねた者は悔しがる。
下の桶に落ちたものは別に取り分け、客には戻さない。新しいそうめんをまた上から流す。
大人たちも、最初は笑って見ていたが、すぐに参加したくなった。
「ちょっと父ちゃんにもやらせろ」
「大人が本気出してどうすんの」
「意外と難しいな、これ!」
すくったそうめんは、天つゆを少し薄めたつゆにつけて食べる。
薬味には、ねぎ、しょうが、少しの梅。
暑い日の昼には、それだけで十分うまかった。
「つるつるいけるな」
「奈良のそうめんって、こんなうまいんや」
「三輪そうめん、名前は聞いたことあったけど、これはええな」
「普通に食うより、流れてくるだけで楽しいわ」
子どもたちは、目をきらきらさせながら何度も挑戦した。
流れてくるそうめんを取る。
それだけなのに、なぜか笑いが起きる。
隣の子が取ったら悔しい。
自分が取れたら嬉しい。
親が失敗すると、子どもが大笑いする。
市の一角は、いつものお好み焼きや海鮮焼きの催しとは違う、涼しげで軽い賑わいになっていた。
博之は、その様子を少し離れたところから見ていた。
「……これやな」
お花が横に立つ。
「何がですか」
「これがやりたいんや」
博之は、少しだけ真面目な顔で言った。
「政治がどうのこうのやない。調略がどうのこうのやない。近所の人が来て、
子どもが笑って、親も一緒に笑って、“今日はなんかええ日やったな”って帰る。これやねん」
お花は静かに聞いていた。
「旦那様は、こういう場を作りたいんですね」
「そうや。で、ついでに“旦那様はええことしてるな”って噂が、ちょっとええ方向に行くのがいいんや」
お花がすぐに言った。
「旦那様、それを言わなかったら最高なんですけどね」
「ええやんけ。正直で」
「正直すぎるんです」
博之は少ししょぼんとしたが、すぐに竹の方を見て笑った。
「でも、うまくいってるな」
「はい。かなり受けています」
「これ、宮そうめんをたくさん仕入れて、夏のうちに各拠点でやったらどうや」
夜市が近づいてきて、すでに帳面を開いていた。
「全拠点ですか」
「全部とは言わんけど、できるところや。井戸水がきれいで、竹が用意できて、
場所があるところ。炊き出し代わりというか、夏の寄進催しとして一回やってみる」
「宮そうめんの購入強化月間、ですか」
「それや」
博之は指を鳴らした。
「絵が上手い者がいるなら、竹の組み方、水の流し方、下に桶を置くこと、
落ちたそうめんを客に戻さないこと、そういうのを絵付きで書かせる。全拠点に配る」
「かなり実務的ですね」
「やるならちゃんとやる。雑にやって腹壊したら最悪や」
お花が頷く。
「三輪そうめんの宣伝にもなりますね」
「そうや。奈良の名産が、伊勢や松坂や津島や熱田で食える。しかも楽しい。これは売れる」
「確かに、宮そうめんはかなり動きそうです」
夜市が言った。
「ただ、竹の準備と水の管理、人手が必要です」
「それは拠点ごとに考えさせる。せっかく遊び金も出してるんや。こういうのを考えてほしいんや」
博之は、さらに考えを広げていった。
「そう考えると、拠点ごとの名産品も、もっと季節でやれるな」
「季節ですか」
「夏は三輪そうめん。冬は奈良の葛を葛湯にする。蜂蜜葛湯でもええ。寒い日に温かい葛湯を配る。
体も温まるし、ちょっと贅沢や」
お花の目が少し明るくなった。
「蜂蜜葛湯は、かなりよさそうですね」
「やろ。女衆にも年寄りにも受ける」
「薬っぽさもあります」
「そうや。飯と薬の間やな」
夜市が書き込む。
「夏、三輪そうめん。冬、奈良葛。蜂蜜葛湯。寄進催し候補」
博之はさらに続けた。
「墨とか、硯とか、そういうものが名産なら、書初め大会でもええ」
「書初め?」
「新年の抱負や。子どもも大人も、今年やりたいことを書く。
字が下手でもええ。しばらく店や寺に飾る」
「それをどうするんですか」
「しばらくしたら、寺か神社でまとめて焼く。お札と一緒に、願いが届きますようにって」
お花が少し感心した顔をした。
「それは、かなり綺麗ですね」
「やろ」
「旦那様が考えたにしては」
「余計や」
ヨイチも頷いた。
「寺社との相性もよいです。読み書きの場とも繋がります」
「そうや。読み書きして、書初めして、飾って、最後に焼く。
そこに寄進が生まれる。炊き出しだけやと、毎回同じになるやろ」
「当たり前になる、ということですか」
「当たり前って言うと語弊があるけどな」
博之は少し言葉を選んだ。
「炊き出しは大事や。腹が減ってる人には必要や。でも、毎回同じ粥、同じ汁、
同じ施しやと、受ける側も出す側も固まる。味変がいるんや」
「味変」
お花が笑う。
「飯屋らしい言い方ですね」
「実際そうや。夏には涼しいもの。冬には温かいもの。正月には書くもの。
秋には収穫のもの。季節で変えると、寄進も炊き出しも、ただの配給やなくて行事になる」
ヨイチが顔を上げた。
「行事にすると、人が来る理由になりますね」
「そう。人が来る。飯を食う。品を見る。名産を知る。寄進が生まれる。寺社も助かる。
うちも名産品を仕入れて売れる。銭が回る」
「うちで銭が回る、ですね」
「うちだけやない。産地にも回る。寺にも回る。拠点にも回る。従業員にも回る」
お花が言った。
「でも、そういうことを考える人を、各拠点で増やさないといけませんね」
「そこや」
博之は大きく頷いた。
「みんな給料もらってるんやから、こういうの考えてくれよって話や。別に大発明じゃなくてええ。
三輪そうめんを流したら楽しかった。葛を蜂蜜葛湯にしたら喜ばれた。
書初めを飾ったら親が喜んだ。そういうのでええ」
ヨイチが帳面に書き足した。
「各拠点、季節催し案を提出。名産品を使うこと。寄進につながること。子ども、年寄り、
旅人のいずれかが楽しめること」
「ええやん」
「また宿題が増えましたね」
「給料分や」
お花が笑う。
「旦那様、今日はかなり楽しそうですね」
「楽しい」
博之は素直に言った。
「こういうのは楽しい。人が笑って、そうめん食って、寺に銭が入って、三輪そうめんが売れる。
誰も傷つかん」
「そうですね」
「これがええんや」
流しそうめんの竹の前では、また子どもが歓声を上げていた。
「取れた!」
「ずるい!」
「次、私!」
女衆が上から水を流し、白いそうめんが竹を滑る。
大人たちは笑いながら見守り、つゆを手に持って待っている。
和尚さんも近くで眺めていた。
「旦那様」
「なんです」
「これは、なかなかよい娯楽ですな」
「でしょう」
「そうめん一つで、ここまで人が笑う。しかも寄進にもなる。ありがたいことです」
「その言い方、また俗物っぽいですね」
「寺も米と味噌が要りますので」
博之は笑った。
「まあ、こういう形でええんですよ。炊き出しだけじゃなくて、行事にする。
名産を知ってもらう。季節を楽しむ」
和尚さんは頷いた。
「よろしいと思います。施しだけでは、人は続きません。楽しみがあれば、また来ます」
「ですよね」
博之は、少し胸が軽くなった。
信長公とのやり取りで重くなっていた気持ちが、竹を流れる水音で少し洗われる気がした。
飯は薬にも毒にもなる。
ならば、今日は薬でありたい。
涼しく、楽しく、腹に優しく、人を笑わせる飯でありたい。
博之は、流れていく宮そうめんを見ながら呟いた。
「夏のうちに、これは広げよう」
ヨイチがすぐに聞く。
「三輪そうめん購入強化月間、正式にやりますか」
「やる」
「全拠点へ絵付きの手順書」
「作る」
「寄進比率」
「決める」
「衛生管理」
「最重要」
お花が横で笑った。
「旦那様、また仕事が増えましたね」
「これはええ仕事や」
「それは分かります」
「こういう仕事なら、いくらでも増えてええ」
ヨイチが冷静に言った。
「いくらでもは困ります」
「そこは帳面係やな」
「はい」
三人は笑った。
その日、流しそうめんは最後まで盛況だった。
三輪そうめんはよく売れ、寺への寄進も集まった。
子どもたちは名残惜しそうに竹を見つめ、大人たちは「またやってくれ」と言って帰っていった。
博之は、その背中を見ながら満足そうに頷いた。
「こういうのでええんや」
お花が小さく言う。
「はい。こういう旦那様は、いいと思います」
「いつもの私は?」
「にやにやしなければ、まあ」
「またそれか」
竹の中を、最後の水がさらさらと流れていった。
伊勢松坂屋の夏の行事が、また一つ増えようとしていた。