軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

博之が帰った後に木下秀吉に博之との問答で出た話をまとめて対応するよう織田信長に命令される

信長は、博之が下がったあともしばらく黙っていた。

座敷には、穴子天丼の香りがまだ残っている。

だが、信長の目はもう飯を見ていなかった。

「猿」

そう呼ばれて、木下藤吉郎秀吉が顔を上げた。

「はっ」

「今の博之の話、聞いただろう」

「はい」

秀吉は、少し嫌な予感を覚えながら頭を下げた。

信長は、竹串を一本指先で転がしながら言った。

「尾張を中心に、国境にいる者どもを雇え」

「国境の者を、でございますか」

「そうだ。商い、荷運び、炊き出しの手伝い、道案内、薪運び、何でもよい。

まず雇う。銭を渡す。飯を食わせる。そこから、不満を持っている者を炙り出せ」

秀吉は、すぐに博之の顔を思い浮かべた。

あの男は、そんな使い方を望んでいない。

「殿、それは旦那に悪いのでは」

信長は、ちらりと秀吉を見る。

「何が悪い」

「博之殿は、間者を作るつもりはないと申しておりました。飯屋として、食えぬ者に

飯を出したいだけだと」

「分かっておる」

信長は、軽く言った。

「わしも、別に伊勢松坂屋の名を使って間者を放てとは言っておらん」

「では」

「尾張の宣伝をするだけだ」

信長は、にやりと笑った。

「尾張は飯が食える。銭払いが早い。熱田に市ができる。瀬戸物が回る。津島には荷が集まる。

そういう話を、国境の者に聞かせる」

秀吉は黙っていた。

「そして、美濃の者には聞く。お前たちの祝いの飯は何か。祭りでは何を食うのか。

正月はどうだ。子どもは何を喜ぶ。年寄りは何を懐かしがる」

信長は、博之が語った言葉を自分のものにしていた。

「それを一緒に作るだけだ」

「一緒に、でございますか」

「そうだ。米を少し足す。味噌を足す。足りぬ材料を用意する。食わせる。すると、民は思う。

昔は食えた。今は食えぬ。なぜか」

信長の声は静かだった。

「飯は薬にも毒にもなる、とあいつは言った」

秀吉は、背筋に冷たいものを感じた。

「ならば、薬になるように使えばよい。腹を満たし、働く場を作り、話を聞く。

毒になるかどうかは、向こうの政がどうであるか次第だ」

「殿、それはかなり……」

「すっとぼければよい」

信長は笑った。

「こちらは飯を出しているだけだ。話を聞いているだけだ。美濃の郷土料理を一緒に作りましょうと

言っているだけだ。何も悪いことはしておらん」

秀吉は、内心で思った。

これは、博之が一番嫌がる使われ方に近い。

だが同時に、博之の言う「人をあまり死なせない」という願いに、確かに近づく可能性もあった。

信長は続けた。

「東美濃に限らん。美濃が欲しいなら、そういうことを始める。槍を出す前に、飯と話を染み込ませる」

「話のうまい者も、育てるのですね」

「そうだ」

信長は頷いた。

「買い付け係でもよい。荷運びでもよい。寺社に顔が利く者でもよい。

人前で話せる者を育てろ。土地の話を聞き、尾張の話を混ぜ、美濃の者が何に食いつくかを見る」

「話家見習い会のように」

「そうだ。ただし、下世話な話は控えろ。女衆に怒られても困る」

座に少し笑いが起きた。

だが、秀吉は笑えなかった。

信長は、今度は少し声を落とした。

「それと、蟹江だ」

「はっ」

「休戦期間の間は、表立って何もせん」

「はい」

「だが、尾張がよい場所だという話は広げろ。商売が回っている。

飯がある。瀬戸物がある。熱田が動いている。津島に荷が集まる。織田に近づけば仕事がある。

そういう話を、じわじわ広げる」

「蟹江の国人衆や一向宗には」

「今は刺激するな。だが、炊き出しや復興の場に話のうまい者を混ぜるのはよい」

「話を広げる」

「そうだ。あからさまに誘うな。ただ、尾張の良いところを意識的に話す。飯を出しながらな」

信長は、そこで少し間を置いた。

「休戦の期限が近づいたら、少し揺らす」

秀吉は、思わず顔を上げた。

「揺らす、でございますか」

「蟹江がどこへ行くか。北伊勢連合が本当に固まるか。北畠へ寄るか。織田へ振るか。そこを見極める」

信長の目は鋭かった。

「今日の博之の話で、皆も分かっただろう。狙い目は、ああいうところだ」

座にいた家臣たちは、静かに頷いた。

蟹江。

北伊勢。

国境。

炊き出しで人が戻り、飯場で心が動く場所。

兵で攻めるだけではなく、飯と銭と話で揺れる場所。

信長はそこを見ていた。

秀吉は、もう一度言った。

「殿。やはり、旦那に悪いです」

信長は、少しだけ笑った。

「猿」

「はっ」

「旦那に悪いのと、戦は別だ」

秀吉は黙った。

「それにだ」

信長は、膝に置いた手を軽く叩いた。

「わしがやろうとしていることは、結果的にはあいつの願いに近づくはずだ」

「博之殿の願いに」

「そうだ。あいつは、人があまり死んでほしくないのだろう」

秀吉は、小さく頷いた。

「効率よく攻める。先に腹と耳を取る。相手の不満を見極め、折れるところを折る。

戦う前に傾かせる。そうすれば、こちらの死人も少なく、向こうの死人も少なくて済む」

信長の声には、冷たさと合理があった。

「わしだって、死人は少ない方がよいに決まっておる」

秀吉は、返す言葉を失った。

信長は、博之の考えを歪めているようで、同時に本質を掴んでいた。

飯で人を救う。

仕事を与える。

土地の飯を一緒に作る。

話を聞く。

それは確かに優しい。

だが、優しさは、人の心を動かす。

心が動けば、土地も動く。

信長は、その力を戦に使うつもりだった。

「猿」

「はっ」

「まずは尾張の国境沿いから始めろ。商人、荷運び、薪売り、寺社の手伝い、炊き出しに来る者。

使える者を拾え」

「はい」

「話のうまい者を見つけろ。話せぬ者は、聞き役でもよい。どこの村で何が食われているか。

誰が不満を持っているか。どこの寺が揺れているか。誰が銭を欲しがっているか。集めろ」

「承知しました」

「ただし、伊勢松坂屋の名を汚すな」

秀吉は、そこで少しだけ顔を上げた。

「はい」

「博之は飯屋として使う。あいつの信用は、飯屋だからこそある。そこを潰したら意味がない」

「承知しました」

「炊き出しも、伊勢松坂屋のようにはできぬだろう」

「はい。あれほどの人数も、手際も、銭も、すぐには用意できませぬ」

「なら、できる範囲でよい。粥だけでなく、少しうまいものを出せ。施しだけではなく、

仕事を渡せ。寺社へ筋を通せ」

「はい」

秀吉は頭を下げた。

しかし胸の内では、博之に対する申し訳なさがあった。

旦那、すまん。

そう思う。

博之は、飯屋でいたいと言っていた。

自分の周りの者を食わせ、笑わせ、働かせたいだけだと言っていた。

だが、その考えは、信長に見つかってしまった。

そして信長は、それを戦略に変える。

秀吉には、それを止める力はなかった。

むしろ、自分が実行する役になる。

「猿」

信長が最後に言った。

「博之には、今すぐ全てを言うな」

「はっ」

「だが、必要なところは聞け。飯屋の理屈でな」

「飯屋の理屈で」

「そうだ。“どうすれば人が集まるか”“どうすれば施しに見えぬか”“どうすれば土地の者が喜ぶか”。

その形で聞けば、あいつは考える」

秀吉は苦笑しそうになった。

確かに、博之はその聞き方をされると逃げにくい。

「承知しました」

信長は満足そうに頷いた。

「兵は兵で整える。飯と話は飯と話で染み込ませる。二段構えだ」

「はっ」

「美濃は、槍だけで取るものではない」

そう言って、信長は立ち上がった。

座は終わった。

秀吉は屋敷を出ると、しばらく空を見上げた。

「旦那、申し訳ない」

小さく呟く。

だが、やらざるを得ない。

尾張の国境沿いで、人を雇う。

炊き出しを整える。

寺社への寄進を考える。

話のうまい者を探す。

美濃の飯を聞く。

尾張の豊かさを語る。

それは伊勢松坂屋のようにはできない。

博之のように、飯と商いと人の心を同時に扱うことは簡単ではない。

だが、少しずつやるしかなかった。

「順繰り順繰りに、やな」

秀吉は、自分に言い聞かせた。

急ぎすぎれば、露骨になる。

露骨になれば、警戒される。

飯も話も、染み込ませるには時間がいる。

博之が作ったものを、そのまま盗むのではない。

織田のやり方に合わせて、形を変える。

そう自分に言い訳しながら、秀吉は歩き出した。

それでも胸の奥には、博之への申し訳なさが残っていた。

飯屋の思いつきは、ついに戦の道具になり始めていた。