軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

蟹江の戦いは砦の取り合いに。ただ負担が重くなった住人は郊外、港の拠点や桑名方面へ逃げ、城下の人が少なくなる。織田、国人衆、一向一揆も異変に気付く

蟹江では、砦を巡る騒ぎが収まるどころか、じわじわと町そのものを削り始めていた。

織田方が入ったと思えば、炊き出しの米にまで目をつけ、矢銭だ普請だ改修だと、

町人や寺社に負担を求める。かと思えば、一向衆や国人衆が奪い返し、今度は「砦を守るため」

「城下を立て直すため」と、また人と銭を求める。

旗が変わるたびに、求められるものは変わらない。

飯を出せ。

人を出せ。

銭を出せ。

荷を出せ。

蟹江の住人たちは、とうとう嫌になった。

「もう城下にはおれん」

誰かがそう言い出すと、流れは早かった。

表向きは、親類を頼る。寺に身を寄せる。港の仕事へ移る。郊外の飯場で働く。そういう名目である。

だが実際には、城下から人が抜けていった。

伊勢松坂屋の郊外拠点と港拠点には、日に日に人が集まり始めた。

荷運びの若い衆。

子を連れた女。

寺に世話になっていた老人。

城下で小商いをしていた者。

普請に駆り出されて逃げてきた者。

矢銭を求められて、もう払えぬと泣く町人。

蟹江のまとめ役は、松阪からの文を思い出した。

――横丁はまた作れる。人は戻らぬ。危うければ桑名へ下がれ。

だから、無理に城下へ戻せとは言わなかった。

「まず飯を食うてください。湯浴みも順番に回します。寝る場所は狭いですが、今夜は何とかします」

郊外拠点では、すぐに湯浴みの数を増やした。といっても、立派な湯殿を作れるわけではない。

大きな桶を増やし、湯を沸かす場所を増やし、薪を確保し、女衆と男衆で時間を分ける。

体を洗い、泥を落とし、少しでも眠れるようにする。

港側でも、炊き出しの回数を増やした。

朝に粥。

昼にまぜ飯。

夕方に汁物。

働ける者には、荷運びや魚の選り分け、包み紙作り、薪運び、見張りの補助を頼んだ。

ただ施すだけでは、人は折れる。

少しでも役目があれば、人は踏みとどまれる。

それが伊勢松坂屋のやり方だった。

しかし、人が集まれば、それを狙う者も出てくる。

「戦で町が乱れとる。荷を守るためや。米を出せ」

「逃げてきた者を匿うなら、こちらにも分け前を出せ」

「港を通る荷を改める」

そんなことを言って、武装した連中が何度か現れた。

織田方の落ち武者まがいもいれば、国人衆の下働きのような者もいる。

一向衆の名を出す者もいたが、本当にそうかは分からない。ただ戦にかこつけて奪いに

来ただけの輩も多かった。

伊勢松坂屋の護衛衆は、前に出た。

「ここは飯場です。怪我人と子どもがおります。荷を改めるなら、まず代表者を通してください」

「飯屋が邪魔をするか」

「飯屋だから邪魔をします」

押し入ろうとした者とは、実際に刃を交えた。

短い戦いだった。飯場を守る護衛衆は、無闇に追わない。相手を斬り伏せて

名を上げるための者ではない。飯場と逃げてきた者を守るための者である。

相手が引けば、追わなかった。

「追わんでええ。深追いしたら、別の火種になる」

蟹江のまとめ役はそう命じた。

「ここを守れ。荷を守れ。人を守れ。勝ちに行くな」

護衛衆もそれを分かっていた。

追えば恨みが残る。

追えば相手の背後にいる者が出てくる。

ここは戦場ではなく、飯場なのだ。

それでも、噂は広がった。

伊勢松坂屋の飯場は、飯が出る。

湯浴みもある。

護衛もいる。

無理なら桑名へ逃がしてくれるらしい。

その噂を頼って、さらに人が動いた。

ある者は郊外の寺社に身を寄せた。寺は伊勢松坂屋から受け取った米と味噌で炊き出しをした。

ある者は港へ出て、魚の選り分けを手伝った。

ある者は、夜のうちに荷とともに桑名へ向かった。

年寄りや子ども連れは、無理をせず寺に預けられた。

すべてが一斉ではない。

じわじわと、蟹江の城下から人が減っていった。

朝、普請の人足を集めようとしても、集まりが悪い。

矢銭を求めに行っても、店が閉まっている。

荷を出せと言っても、荷そのものが港側へ移っている。

町を歩いても、以前のざわめきがない。

最初に不審に思ったのは、織田方の者だった。

「人が少なくないか」

「普請に出ぬ者が増えております」

「どこへ行った」

「寺社へ身を寄せた者、港へ移った者、桑名へ向かった者がいるようで」

「誰が逃がしている」

その問いに、はっきり答えられる者はいなかった。

伊勢松坂屋が人を逃がしている、と言えば言えた。だが、伊勢松坂屋は兵を

集めているわけではない。飯を出し、湯を沸かし、寝床を作り、危うい者を桑名へ

下げているだけである。

一向一揆の者たちも、同じように不審がった。

「城下に人が少ない」

「おかしい。織田方を追い払ったはずなのに、町が戻らぬ」

「伊勢松坂屋の方に流れておるらしい」

「飯屋に?」

「飯屋に」

国人衆も苛立った。

「砦を守るには人がいる。なのに町人が逃げるとは何事だ」

「逃げたのではなく、避けたのです」

地元の寺の住職が、静かに言った。

「織田方にも出せと言われ、こちらにも出せと言われる。旗が変わるたびに飯と銭を求められる。

なら、城下を離れるのは当然でしょう」

「寺がそれを言うか」

「寺にも人が来ております。腹を空かせた者を追い返せと?」

その言葉に、国人衆もすぐには言い返せなかった。

伊勢松坂屋のまとめ役は、事態を冷静に見ていた。

これは勝ちではない。

商いが広がっているわけでもない。

むしろ、蟹江の城下が壊れかけている。

ただ、その壊れ方の中で、人がどこへ逃げるかを選び始めているだけだった。

飯があるところへ。

湯があるところへ。

寝られるところへ。

無理なら桑名へ下がれるところへ。

それが、伊勢松坂屋だった。

ある夜、港拠点の飯場で、若い護衛が言った。

「このままやと、蟹江の城下、空っぽになりますよ」

まとめ役は汁をよそいながら答えた。

「空っぽにはならん。けど、無理に搾れる町ではなくなる」

「それでええんですか」

「ええも悪いもない。人は飯を食うところに寄る。殴られるところからは離れる。それだけや」

若い護衛は黙った。

「うちらは国を取るわけやない。砦を取るわけでもない。飯を出して、危ない者を逃がして、

守れるだけ守る。追って戦うな。勝とうとするな」

「飯場を守るだけ」

「そうや」

まとめ役は、少し遠くの蟹江城下を見た。

夜の城下は、以前より灯りが少なかった。

その暗さに、織田方も、一向衆も、国人衆も、ようやく気づき始めていた。

奪い合っているはずの土地から、人が離れている。

そして人は、静かに飯のある方へ流れている。

それは、誰かが旗を立てて奪ったわけではない。

誰かが城を落としたわけでもない。

ただ、飯と湯と寝床がある方へ、人が動いただけだった。