作品タイトル不明
松坂に戻って一休みかと思ったら松坂の城主から六角との話を聞かせろと呼び出される。飯の道が楽しいと話すも丁寧にやれと言われる。
松阪に戻って、ようやく屋敷で一息つけるかと思った頃である。
博之のもとに、松阪の城主から使いが来た。
「六角はどうやった。話を聞かせに来い」
その文を見て、博之は畳の上で大きくため息をついた。
「帰ってきたばっかりやのに」
お花が横から言う。
「戻ってきたからこそ、すぐ報告です」
「分かってるけどな。六角様と話して、帰ってきて、今度は松坂のお殿様に報告して、
私は飯屋なのか使い走りなのか」
「飯屋です」
「飯屋ってこんなに報告するもんなんかな」
「旦那様の飯屋は、普通ではございませんので」
結局、博之はまぜ飯と魚のすり身揚げを少し持たせ、松坂の城へ向かった。
城に入ると、上司はもう待っていた。顔を見るなり、にやにやしている。
「来たか、近江帰りの飯屋」
「飯屋でございます」
「どうやった、六角は」
博之は頭を下げ、座ってから話し始めた。
「六角のお殿様とお話ししまして、とりあえず、領内でやることについては、丁寧にやる分には、
すぐに止められる感じではございませんでした」
「ほう」
「草津、大津、信楽焼の道、京都郊外。このあたりについて、こちらの考えはある程度お話ししました。
もちろん、全部は言うてません」
「全部言うたらあかんやろ」
「はい。そこは気をつけました」
「海鮮焼きは?」
「一切出してません」
「よし」
上司は満足そうに頷いた。
「それで?」
「草津の拠点で、現地の者とも話しました。最悪、伊勢松坂屋の看板を下ろしてもいいから、
生き残れと。飯を出す心、施しをする心、食えない者を忘れない心だけ残せるなら、
形は変えてもいいと話しました」
上司は、そこで少しだけ笑みを引っ込めた。
「飯屋らしいことはしてるな」
「飯屋ですので」
「いつもは飯屋飯屋とうるさいが、今のは悪くない」
「ありがとうございます」
「で、何か得るものはあったか」
博之は少し考えた。
「得るもの、ですか」
「そうや。六角まで行って、飯食わせて、話して、びびって帰ってきただけではないやろ」
「びびってはいましたけど」
「そこは否定せんのか」
「怖かったですもん」
城主は笑った。
博之は少し照れくさそうに頭をかいた。
「今回、思ったんですけど、道を通すのは結構楽しいですね」
「道?」
「飯の道、というか、買い付けの道です」
「今まで、信楽焼の道は伊賀を通って松坂へ来る、という形が大きかったわけです。
伊賀を越えて、信楽焼を仕入れて、伊勢や松坂で使う。これはこれで大きかった」
「うむ」
「でも今回、北伊勢から草津に入って、草津からまた白子や松坂に戻る道を見ました。
そうすると、信楽焼を草津から関、白子を通して松阪へ入れる道も見えるわけです」
「道が太くなるな」
「そうです。一本の細い道じゃなくて、ぐるっと回せるようになる。片方が詰まっても、
もう片方を使える。荷も人も知識も、回せる幅が増えます」
城主は黙って聞いていた。
「それに、草津にいることで、京都の端も見えてきます。今、京都郊外に拠点を作り始めていますし、
宇治にも拠点があります。ここをつなぐと、宇治、京都郊外、大津、草津、関、白子、松坂という
流れができます」
「伊賀を通らずに回せるな」
「はい。奈良の物も、伊賀を通さずに回せる可能性がある。奈良の書物、甘味の材料、京都の小物、
信楽焼、伊勢の品。これがぐるぐる回ると、かなり面白い」
「お前、伊賀越えしたくないだけちゃうか」
「それもあります」
「正直やな」
「伊賀越え、しんどいですから」
城主は声を出して笑った。
「で、ほかには」
「海の道もあります。松坂から鳥羽、伊勢、白子方面。こっちはこっちで、港があるから飯を
作りやすい。魚がありますし、すり身にもできます」
「うむ」
「それから、尾張方面ですね。蟹江、津島、常滑焼、瀬戸物。もし南近江をある程度押さえて、
美濃に入り、尾張へ伸びる陸の道ができたら、尾張の海の道と交わります。そうすると、
また巡回できる」
城主は目を細めた。
「巡回か」
「はい。道が輪になると、強いです。物が余るところから欲しいところへ回せる。捨て値の魚が、
別の土地ではすり身になる。信楽焼が、伊勢では高く見える。砂糖や小豆が、甘味になる。
器が、飯の価値を上げる」
「つまり、物流を押さえると、物の価値が跳ねる」
「そうです。まあ、言い方が大きくなりますけど」
「大きいどころか、それは大名や商人頭が考えることや」
「私は飯で通してるだけです」
「そこが怖いんや」
城主は苦笑した。
「場所と時によっては、本当に度肝を抜かれるぞ。飯屋が、道を見て、巡回を見て、
物の価値を変える話をしている。お前、自分で何を言うてるか分かってるか」
「なんとなくは」
「なんとなくか」
「大名方は大変やなと思いました。戦をして領地を取るとか、本当に大変やなと」
「いやいやいや」
城主は思わず身を乗り出した。
「お前が今言うたのは、戦をせずに、物流をがっつり通して、しかも馬鹿みたいな額の銭を
回そうとしている話やぞ」
「額は……まあ、ちょっと大きくなってますけど」
「ちょっとではないやろ」
「そこは帳簿が怖いので、あまり考えたくありません」
「考えろ」
城主は呆れたように笑った。
「そんなん、六角に怪しまれへんかったか?」
「怪しむ、というか……」
博之は少し言葉を選んだ。
「こちらが何かしら隠しているということは、感づかれている感じはしました」
「そらそうやろな」
「松坂の港も見せましたけど、肝心なところは見せてません。白子も見せました。草津、大津、
信楽焼の話もしました。琵琶湖を見ていることも認めました。でも、海鮮焼きの話はしてませんし、
伊勢の本当の売れ方も見せてません」
「見せたら終わるからな」
「はい。だから、六角様からしたら、見えるところだけでも大きいのに、まだ何か隠しているぞ、
という感じだったと思います」
「その通りやろ」
城主は茶をすすった。
「六角の殿はどういう反応やった」
「飯はうまいと言ってくださいました」
「そこは大事やな」
「はい。ただ、飯がうまいだけなら、城下に数店出せばいいだけやろうと。なぜこんなに
広がったのか、何がしたいのか、そこを聞かれました」
「何と答えた」
「最初は松阪一箇所に固まるのが怖かったと。病、戦、強盗、何かあったら終わるから、
拠点を分けたと。そこから伊賀、信楽、奈良、草津、大津へつながっていったと」
「まあ、嘘ではないな」
「嘘ではありません。あと、奈良の話も聞かれたので、百五十万文の話をしました」
城主が茶を吹きかけた。
「お前、それ言うたんか」
「聞かれたので」
「五十万文を求められて、腹が立って百五十万文を投げた話を?」
「投げたとは言ってません。いや、言ったかもしれません」
「馬鹿か」
「でも隠しても、噂で回ると思いまして」
「それはそうやが、六角からしたら、お前がどれだけ銭を持っていて、どれだけ変な使い方をするか
分かる話やぞ」
「しまったかなと思いました」
「遅いわ」
上司は呆れながらも笑った。
「だが、まあ、お前らしいな。銭を蓄えるより、道を作る方に使う。そこが不気味でもあり、
強みでもある」
「私はそんなに大層なつもりは」
「つもりがなくても、相手は見る。六角は、たぶんお前を侮らん。飯屋としては見るが、
ただの飯屋とは見ない」
「それは困りますね」
「もう諦めろ」
博之は肩を落とした。
「ただ、当面は、草津と大津、信楽焼の道については、丁寧にやれば見守ってもらえそうです」
「よし」
「京都郊外は、深入りしすぎないように。琵琶湖も、勝手に水場を押さえるような真似はしない。
そういう感じになると思います」
「まあ妥当やな」
「はい」
城主は、少し真面目な顔になった。
「今回、お前が近江まで行った意味は大きい。六角に顔を見せた。飯を食わせた。何がしたいか、
全部ではないが話した。向こうも警戒はするが、話せる相手だと見たやろう」
「そうだとありがたいです」
「ただし、これからやぞ」
「はい」
「道を通すのが楽しい。それはええ。だが、道は楽しいだけではない。道ができれば、
人も銭も荷も動く。すると、それを欲しがる者も出る。奪おうとする者も出る。
税をかけようとする者も出る。守ってくれと言う者も出る」
「……はい」
「飯屋は飯屋でええ。だが、道を作る飯屋は、普通の飯屋ではない」
博之は、少しだけ黙った。
「それでも、やるなら丁寧にやります」
「そうせえ。地元の顔を潰すな。六角の顔も潰すな。北畠の顔も潰すな。九鬼にも礼を欠かすな。
国人衆にも銭を払え。飯場で人を集めるなら、周りの飯屋に札を回せ」
「やること多いですね」
「お前が増やしたんや」
「それはそうです」
城主は、そこでにやりと笑った。
「で、近江で道を作るのが楽しいと知った飯屋は、次はどこを見る」
博之は、少し困ったように笑った。
「見ないようにしても、尾張と美濃と琵琶湖が見えます」
「もう見えてるやないか」
「見えてしまうだけです」
「危ない飯屋やな」
「飯屋です」
「知っとる」
城主は笑った。
「まあ、無事に戻ってきたならよい。しばらくは松坂で足元を見ろ。お前ら三人がいなかった間、
伊勢松坂屋がどう回っていたか。そこをちゃんと点検せえ」
「そのつもりです。後継ぎ問題と、掟の話も進めます」
「おう。それも大事や」
「私が死んでも飯が出るようにしないと」
「縁起でもないが、その通りや」
博之は深く頭を下げた。
「とりあえず、六角の件は、事なきを得ました」
「事なきを得た、というには大きすぎるがな」
城主は最後に、持ってこさせたすり身揚げを一つ摘まんだ。
「うまい」
「ありがとうございます」
「飯はうまい。道も見えてきた。だが、調子に乗るなよ」
「乗りません」
「乗ってない顔で一番変なことをするから言うてるんや」
「ひどい」
「事実や」
博之は苦笑いした。
松坂へ戻った報告は、そうして終わった。
六角との初顔合わせは終わった。
けれど、近江の道、信楽焼の道、京都郊外の道、尾張へつながる道が、博之の頭の中で
少しずつ輪になり始めていた。
そして松坂の城主は、それを面白がりながらも、はっきりと警戒していた。
飯屋が道を覚えた。
それは、戦国の世では、喜ばしいだけの話ではなかった。