作品タイトル不明
伊勢松坂屋への帰り道の博之。海まで来るとやっと落ち着いたwww飯の道を作ることは結構楽しい(笑)
白子まで戻ってきた博之たちは、ようやく船に乗った。
近江から関を抜け、白子まで戻る道中も、それなりに気を張っていた。六角の者と別れたとはいえ、
まだ近江の空気が背中に残っている。北伊勢の国人衆の顔も立てねばならず、道中の飯場も見て、
荷も確認し、余計なことを言わぬように気をつける。
そうして、ようやく白子の港から松坂へ向かう船に乗った時、博之は大きく息を吐いた。
「ようやく、生きた心地がするな」
船縁にもたれながら、ぼんやり海を見つめる。
お花が少し呆れたように言った。
「まだ松坂に着いておりませんよ」
「でも、海の上まで戻ってきたら、だいぶ気が楽や。やっぱり根っこは松坂やな」
ヨイチも海を見ながら頷いた。
「観音寺城では、よくお話しされていましたよ」
「怖かったわ」
「怖かった割には、奈良の百五十万文の話までされていましたが」
「あれは聞かれたからや」
「聞かれても、もう少し言い方があったと思います」
博之は苦笑した。
「まあ、でも六角の殿様と話して、分かったこともある」
「何でしょう」
「道を作るのは、結構楽しい」
お花が少し意外そうな顔をした。
「今さらですか」
「今さらやな。今まで、身近なお困りごとを解決していったら、勝手に道ができてたと思ってた。
飯が足りない。器がいる。魚を運びたい。砂糖が欲しい。炊き出しをしたい。
そういうのを一個ずつやってたら、伊賀の道ができて、信楽焼の道ができて、奈良の道ができて、
白子や草津までつながった」
博之は海の向こうを見た。
「でも、今回よう分かった。道と道が交わる時の快感は、一等賞やな」
「一等賞、ですか」
「うん。伊賀の道と信楽の道がつながった時、変わったやろ。信楽焼が伊勢に来るようになって、
器が変わって、肉あんもふくふく焼きも見え方が変わった」
「確かに、信楽焼は大きかったですね」
「で、今回、草津から関、白子、松阪へ戻る道を実際に通った。これでまた一つ道ができた感じがする」
ヨイチは静かに聞いていた。
博之は続けた。
「ここに京都の郊外がつながると、伊賀を通らずに順繰り回せるルートになる。宇治から京都の端、
大津、草津、関、白子、松坂。これが回ると、奈良の物も、信楽焼も、甘味の材料も、
伊勢の小物も、ぐるぐる回せる」
「伊賀越えを避けたいだけでは?」
お花が言うと、博之は即答した。
「それもある」
「正直ですね」
「伊賀越えはしんどい。みんなようやるわ」
船の上に笑いが起きた。
「堺の方は、海の道がある」
博之は、指で空に道を描くようにした。
「松坂から鳥羽、伊勢、白子、桑名方面。こっちはこっちで海の道や。で、琵琶湖がある。
さらに上を見れば、北の港もある。朽木や若狭の方も、いつか見ることになるかもしれん」
「また話が大きくなっています」
「大きくなるんや。道がつながると、どうしてもそうなる」
博之は少し身を乗り出した。
「もう一つ、巡回できそうなのが、南近江から美濃、尾張に入る道や。南近江をある程度押さえて、
そこから美濃へ入り、尾張へ伸ばす。尾張の方では、蟹江や津島、常滑焼の海の道を見てるやろ」
「はい」
「そこが交わると、また巡回できる。南近江から美濃、尾張、海の道、伊勢、松坂。ぐるっと回る。
そうなると、物の価値が変わる」
ヨイチが少し目を細めた。
「価値が跳ねる、ということですね」
「そうや。あるところでは余っている物が、別のところでは欲しがられる。捨て値の魚が、
すり身にしたら売れる。信楽焼が、肉あんを乗せたら高く見える。砂糖や小豆が、
甘味になったら人を呼ぶ。道があると、それができる」
「物流を押さえるということですね」
「言い方を重くするな」
「旦那様が言っていることが重いのです」
「飯屋やのになあ」
博之は笑った。
「利益も上がる。まあ、金が入りすぎても困りもんやけどな」
「困るほど入っております」
ヨイチが即座に言う。
「そこは言わんでええ」
「現実です」
「でも、その金でまた飯の口ができる。寝るところも作れる。湯浴みも作れる。
炊き出しもできる。仕事ができる。そうしたら、人が飯を食って喜ぶ姿が見れる」
博之は、海を見ながら静かに言った。
「結局、わしはそれが見たいんやろうな」
お花は、少しだけ表情を和らげた。
「旦那様、またいいことを言っていますね」
「そうやろう。わしは結構いいことを言う男やねん」
「その一言がなければ最高ですけどね」
「ひどい」
船の上に、また笑いが起きた。
けれど、お花もヨイチも、博之の言葉を軽くは受け取っていなかった。
道を作る。
飯を運ぶ。
器を運ぶ。
人を休ませる。
捨てられる魚に値をつける。
食えない者に飯を出す。
それは、ただ商いを広げるという話ではなかった。博之は自分でも気づかぬうちに、
土地と土地の間に、飯の道を通すことに喜びを見出していた。
船は穏やかに進んだ。
白子の港が遠ざかり、松坂へ向かう海の色が少しずつ変わっていく。博之は船縁に肘をつき、
ぼんやりとその景色を眺めた。
「松坂に戻ったら、まず何をしますか」
ヨイチが聞いた。
「一息つく」
「その後は」
「帳簿やろ」
「珍しく自分から言いましたね」
「言うだけや」
「やってください」
お花がすぐに釘を刺す。
「分かっとる。あと、俺ら三人がおらん間に、拠点がどう動いたかの点検やな。飯場がちゃんと
回ったか。買い付け隊が変なことしてないか。炊き出しで地元の顔を潰してないか。湯浴みや
寝床が雑になってないか」
「後継ぎ問題と掟もあります」
「あるな」
博之は少しだけ遠い目をした。
「飯屋が長く続くには、道だけやなくて、心もつながなあかん。食えない者に飯を出す。
寝るところを作る。湯浴みを粗末にしない。地元と揉めない。銭をため込むより、必要な
ところに使う。その辺を残さなあかん」
「それも、今の話とつながりますね」
「そうやな。道も、飯も、人も、結局つながってなんぼや」
お花が微笑んだ。
「旦那様、本当に今日はいいことを言いますね」
「そうやろ」
「だから、最後に余計な一言を足さないでください」
「黙っといた方がええか」
「はい」
博之は少しだけ黙った。
そして、数息ほど置いてから、小さく言った。
「でも、ほんまに松坂が見えてきたら安心するな」
誰もそれには突っ込まなかった。
松坂は、博之たちにとって始まりの場所だった。
根なし草が飯を炊き、ボロ小屋から始め、いつの間にか伊勢、伊賀、奈良、近江、白子、
藤井寺、蟹江へと広がった。
六角の殿様と話し、琵琶湖の道を見て、京都や尾張まで視野に入っても、根っこはやはり松坂に
あった。
やがて、松坂の港が見えてきた。
荷を扱う者たちの声が、かすかに届く。飯場の湯気も、遠目に見える。
「帰ってきたな」
博之が呟いた。
「はい」
お花が答える。
「戻りましたね」
ヨイチも静かに頷いた。
船が港に近づく。
伊勢松坂屋の者たちが、こちらに気づいて手を振っている。
博之は、少し照れくさそうに笑った。
「ほな、帰ったら飯やな」
「結局それですか」
「飯屋やからな」
その言葉に、船の上の皆が笑った。
六角への旅は、ひとまず終わった。
けれど、道を作る楽しさを知ってしまった博之の目は、もう次の道を見始めていた。