作品タイトル不明
六角との対面を終え、草津の拠点まで戻り、主だった者達と奥の部屋で反省会。情報共有
観音寺城での六角の殿様との対面を終え、博之たちはなんとか草津の拠点まで戻ってきた。
帰りの道中、博之はいつもより口数が少なかった。緊張が解けたのか、疲れが出たのか、
あるいは自分がどれだけ危ない場所に足を踏み入れているのか、今さら実感したのか。
草津の拠点に着くと、まずは一息ついた。湯を浴びる前に、奥の部屋へ通される。
そこには草津のまとめ役、大津の連絡役、買い付け隊の古株、ヨイチ、お花が集まった。
お花が茶を出しながら聞いた。
「旦那様。どうでしたか」
博之は、しばらく黙ってから言った。
「話半分、かな」
ヨイチが眉を上げた。
「話半分、というのは?」
「こちらが話したいことは、ある程度話せた。信楽焼の道、草津と大津、京都郊外、
砂糖と小豆、奈良とのつながり。六角様も、悪い印象ではなかったと思う」
「そこは同感です」
お花も頷いた。
「少なくとも、敵意を向けられている感じではありませんでした」
「うん。ただ、こっちが何か隠してることは、向こうも分かってる」
部屋が静かになった。
「海鮮焼きのことですか」
「それもある。けど、たぶん、それだけやない。松阪の港、九鬼水軍、白子の動き、
北伊勢の国人衆。あのへんを見たら、飯屋の仕込みを隠してます、だけでは済まんのは
向こうも分かるやろ」
ヨイチは静かに言った。
「そのうえで、深く踏み込まれなかった。そういう意味では、悪くない結果です」
「せやな。そのレベルで済んだなら、まあまあ良かったんちゃうかな」
博之は少しだけ肩の力を抜いた。
「周りの様子を見ても、六角様はすぐにこっちを潰そうとか、抱え込もうとか、
そういう感じではなかった。警戒はしてる。けど、利用価値も見てる」
「飯も食べていただけましたし」
「そこは大事やな。飯がまずかったら終わってた」
「そこだけは心配しておりませんでした」
お花が言うと、博之は少し笑った。
「とりあえず、海鮮焼きの話は一切出なかった」
「出させませんでしたから」
「うん。そこはほんまに正解やった。あれを見せてたら、話が変わってたと思う」
買い付け隊の古株が頷いた。
「松坂の殿様の判断は正しかったですね。見せてもよいものと、まだ見せてはならないものを分ける。
今回はその線引きができておりました」
「琵琶湖を見てる話はしたけどな」
博之は地図の方を見た。
「そこは、ある程度手の内をさらした。草津、大津、信楽焼、水場、堅田、佐和山、今浜。
まあ、全部は言うてないけど、琵琶湖を無視してないことは伝えた」
「それでよかったと思います」
ヨイチが答える。
「何も言わなければ、逆に怪しまれます。こちらが欲しがっているものを少し見せることで、
話の筋が通ります」
「欲しいのは土地や城やなくて、道と飯場と水場やからな」
「それも伝わったと思います」
「たぶんな」
博之は茶をすすった。
「まあ、とりあえずは南近江やな」
「南近江ですか」
「うん。草津、大津、信楽焼の道。この辺をまず丁寧にやる。六角様のところに
話を通したからといって、好き放題やったら終わりや」
草津のまとめ役が頭を下げる。
「承知しております」
「特に信楽焼や。伊賀側からの道はある。けど、草津や関の方から通す道も太くできれば、
伊勢、松阪、津、白子へ回しやすくなる」
「信楽焼は需要がありますからね」
「ある。器にもなる。寄進の種にもなる。肉あんやふくふく焼きにも使える。
従業員向けにも売れる。あれは強い」
お花が少し笑った。
「旦那様、器の話になるとだいぶ熱が入りますね」
「飯は器で変わるからな」
博之は続けた。
「もう一つは、京都への砂糖と小豆の道や」
「甘味ですね」
「そうや。甘味はまだ弱い。ふくふく焼きも、もっとちゃんと作りたい。砂糖、小豆、
蜂蜜。そのあたりの安定した道が欲しい」
「京都郊外の拠点ですね」
「うん。宇治から京都の端、大津から京都の端。この郊外をつなぐことができれば、
奈良の物資もぐるぐる循環できる」
ヨイチが筆を止めた。
「その話は、六角様にはしませんでしたね」
「せんかった」
「しなくて正解です」
「やろうな」
博之は地図を指差した。
「奈良から宇治、京都郊外、大津、草津。さらに信楽、伊賀、松坂。これが回ると、
物資だけやなく、人も知識も回る。奈良の書物も、伊勢の小物も、信楽焼も、甘味の材料も、
飯場の人も動く」
「それは、かなり大きな話になります」
「だから言わんかった。言うたら警戒される」
草津のまとめ役が静かに言った。
「六角様には、あくまで草津、大津、信楽焼、京都郊外を丁寧にやりたい、
という話に留めたわけですね」
「そう。全部つなげた絵は、まだ見せんでええ」
「それがよろしいかと」
博之はふうと息を吐いた。
「まあ、これで一旦は松阪に戻ろうか」
お花が頷く。
「そうですね。長く留まると、また余計な話が出ます」
「本当は京都の端まで見て、そこから宇治、奈良経由で伊賀を通って戻るという手もある」
「ありますが」
「わしは伊賀を越えたくない」
部屋に少し笑いが起きた。
「旦那様、正直ですね」
「正直や。みんな伊賀越えを平然とやってるけど、あれ普通にしんどいやろ。わしは嫌や」
「では、草津から来た道を戻り、白子へ出て、そこから松阪ですか」
「それがええ。草津から関、白子、海の道で松阪。いったん事なきを得る、という形で終わりたい」
「六角様から追加の呼び出しが来なければ、ですね」
「それは怖いこと言うな」
ヨイチが淡々と言った。
「ただ、戻った後にやることは多いです」
「分かってる」
「まず、旦那様、ヨイチ、お花が不在の間、各拠点がどう動いていたかの点検です」
「それやな」
博之は少し真面目な顔になった。
「俺ら三人がいなかった時に、飯場は回ったか。買い付け隊は勝手なことしてないか。
帳簿は止まってないか。炊き出しで地元の顔を潰してないか。湯浴みや寝床は雑になってないか。
そこを見たい」
「今回の六角行きは、ある意味、試験でしたね」
「そう。わしらがいなくても伊勢松坂屋が回るかどうかの試験や」
お花が言った。
「後継の問題も進めなければなりません」
「うん」
「掟もです」
「分かってる。飯を出す理由を残す。看板より志を残す。食えない者を忘れない。そういうやつやな」
「はい」
草津のまとめ役は、それを聞いて深く頭を下げた。
「近江でも、その考えは共有いたします」
「頼む」
博之は地図を見つめた。
草津、大津、京都の端。
信楽焼の道。
砂糖と小豆の道。
琵琶湖の水場。
堅田、佐和山、今浜。
まだ手を伸ばせていない場所が、地図の上にいくらでもあった。
だが、今は戻る時だ。
伸ばす前に、足元を確かめる。
六角に見せたもの、隠したもの。
松阪で守るもの、近江で育てるもの。
そして、自分たちがいなくても回る仕組み。
「飯屋って、ほんまに面倒やな」
博之がぽつりと言うと、お花が即座に返した。
「普通の飯屋は、ここまで面倒ではありません」
「またそれか」
「伊勢松坂屋が面倒なのです」
ヨイチも頷いた。
「ですが、今回の会談は悪くありませんでした。六角様は警戒していますが、
話はできる。こちらも欲しいものを全部は見せず、必要なところだけ見せた。十分です」
「そうやな」
博之は、ようやく少し笑った。
「ほな、明日から戻る支度や。白子まで戻って、松坂へ帰る。帰ったら、まず点検。
それから掟と後継問題や」
「帳簿もです」
「うわ、忘れてた」
「忘れないでください」
「六角より帳簿の方が怖いかもしれん」
「それは旦那様だけです」
部屋に笑いが戻った。
観音寺城での初顔合わせは、終わった。
勝ったわけでも、負けたわけでもない。
ただ、飯屋として一つ大きな相手に見つかり、そして何とか話をつないだ。
次は、松坂へ戻る。
伊勢松坂屋が本当に自分たちなしで回るのか。
そして、これから先、誰が何を継いでいくのか。
その問いが、博之たちを待っていた。