作品タイトル不明
松坂に六角の武士が挨拶と手紙を持参してきた。嫌だが拠点を出している以上相手をするしかない。飯をふるまいながら奥の部屋で古参を集めて作戦会議www
それから数日後のことである。
松坂の城下に、六角方の武士が十五人ほどやって来た。
しかも、ただの旅装ではない。きちんと整えた身なりで、供も連れ、文箱と手土産を持っている。
物々しいといえば物々しい。
当然、北畠方の者たちは身構えた。
「六角の者が、十五人?」
「はい。文を届けたいとのことです」
「北畠へか?」
「いえ……伊勢松坂屋へ、と」
その報告を受けた北畠の者たちは、しばらく言葉を失った。
「飯屋へ、六角の武士が十五人で来たのか」
「はい」
「何をしに来た」
「文を渡したい。加えて、北畠様にもご挨拶をしたい、と」
幸い、事前に六角方から北畠側へも筋は通されていた。
争いに来たわけではない。取って食うわけでもない。北畠領内を通って、松阪の伊勢松坂屋へ
文を届けたい。ついでに、ご近所付き合いになるかもしれぬので挨拶もしたい。
そういう話だった。
とはいえ、北畠方としては気持ちのよいものではない。
六角の武士が、北畠領を通り、北畠の城ではなく、飯屋へ向かう。
何とも言えない光景であった。
案内役をつけ、揉め事がないように見張りも置きながら、一行は松坂の伊勢松坂屋へ通された。
博之のところへ知らせが来た時、博之は当然のように畳の上でごろごろしていた。
「旦那様」
「何や」
「六角様の方から、武士の方々が十五人ほどお見えです」
「……何で?」
「文と手土産をお持ちです」
「何で?」
「お会いしたいとのことです」
「何で?」
お花が横から言った。
「起きてください」
「嫌な予感しかしない」
「嫌な予感でも起きてください」
博之は渋々起き上がった。
六角方の使者たちは、庭先で待っていた。表情は穏やかで、敵意はない。だが、
武士が十五人もいると、それだけで空気が重い。
代表格の男が、丁寧に頭を下げた。
「突然の訪問、失礼いたします。六角家より、文をお届けに参りました」
「わざわざ遠方よりありがとうございます。伊勢松坂屋の博之でございます」
「こちらこそ。ご近所付き合いになるかもしれぬ相手へ、まずはご挨拶を、とのことでございます」
「ご近所付き合い、ですか」
博之は少し困った顔をした。
代表の男は、手土産と文箱を差し出した。
「こちら、殿よりの文と、ささやかな手土産にございます」
「ありがたく頂戴いたします」
形式的な挨拶が済むと、使者は少し言葉を選びながら本題に入った。
「最近、津の長野家が北畠様の内側へ入られるという話を聞き及びました」
「はい。私も、つい最近聞きました」
「それに伴い、白子、亀山、関の国人衆が動くであろうことは、我らも見ておりました。
六角へ挨拶に来るか、北畠へ来るか、あるいは織田へ様子を見るか。そのあたりを考えて
おりましたが」
そこで、男は少し笑った。
「我らの調べでは、最初にまとまって挨拶に来た先が、伊勢松坂屋であったと」
博之は目をそらした。
「いや、まあ、たまたまです」
「たまたまで、国人衆が飯屋に頭を下げますか」
「飯屋と言いましても、少し買い付けをやっておりまして」
「少し、ではないと聞いております」
使者は穏やかだが、言葉は鋭かった。
「六角の殿も、最初は意味が分からぬ、と仰せでした。なぜ国人衆が六角や北畠より
先に飯屋へ行くのか、と」
「それは私にも分かりません」
「そこで、事情を知る者に話を聞きました。すると、伊勢松坂屋はただの飯屋ではなく、
とんでもない規模で飯屋をやっていると」
「とんでもない規模の飯屋、という言い方は少し嫌ですね」
「街道、港、買い付け、炊き出し、飯場、湯浴み、寝床、護衛、寺社への寄進。これらを抱える
飯屋は、普通ではございません」
「飯屋です」
「殿も、そこを知りたいと仰せです」
使者は文を軽く示した。
「飯屋ならば、飯を持ってきてもらい、飯を食べながら一度話をしようではないか。
そういうお話でございます」
博之は、頭をかいた。
「六角様のところへ、私が、飯を持って?」
「はい。情報交換でございます」
「そんな大それた」
「そちらはすでに、信楽焼の件でこちらの役人にも筋を通されております。草津、大津では
横丁や市を開き、炊き出しもしていると聞いております。ならば、近江との流れも無関係では
ございません」
「それは、まあ」
「お互いに利になることであれば、できること、できないことを話す余地はあるでしょう。
城下での小さな市や、信楽焼、伊勢小物、飯のやり取りも含めて、まずは顔合わせを
したいということです」
「いや、しかし」
博之は苦笑した。
「私らはただの飯屋ですから。伊勢の小さな商店が、六角様のところまで挨拶に行くというのは、
道中も怖いですし」
使者の一人が、思わず笑った。
「道中が怖い、と仰いますか」
「怖いですよ」
「伊勢松坂屋の買い付け隊が、草津、大津、奈良、伊賀、藤井寺まで動き回り、
どえらい額の荷を流していると聞いております。その流れに乗れば、そう怖いこともありますまい」
「そこを突かれると弱いですね」
「それに、こちらとしても道中の安全には配慮いたします」
博之は、すぐには返事をしなかった。
六角と顔を合わせる。
それは悪い話ではない。草津や大津、信楽焼の流れを考えれば、いずれ避けて通れない。
だが、簡単に行くと言えば北畠への顔もある。北畠領内にいながら、六角に呼ばれて飯を持っていく。
扱いを間違えると、妙な火種になる。
「少し、考えさせてください」
「もちろんでございます」
「ひとまず、長旅でお疲れでしょう。湯浴みと飯を用意しております。ゆっくりしていただいて、
一眠りしていただければ」
使者は少し驚いた顔をした。
「我らに湯浴みまで?」
「はい。うちでは、遠方からの方にはできるだけそうしております」
「なるほど。これが伊勢松坂屋ですか」
「ただの飯屋です」
「その言葉が、だんだん怖く聞こえてまいりました」
博之は苦笑した。
「こちらも、少し考えます。その間、ごゆっくり」
こうして、六角方の使者たちは伊勢松坂屋に泊まることになった。
湯浴みを使い、まぜ飯、肉あん、汁物を食べると、彼らの表情は目に見えて緩んだ。
「これは……うまい」
「湯の後に飯が出るのは、ありがたいな」
「なるほど、国人衆が先に挨拶に来るわけだ」
「いや、飯で納得するのもどうかと思うが」
そんな声が聞こえる中、博之は奥の部屋へ下がった。
そしてすぐに、古参衆を呼び集めた。
お花、ヨイチ、買い付け隊の古株、伊賀筋を知る者、草津・大津の担当、奈良の連絡役。
集まった面々は、博之の顔を見るなり、ただ事ではないと察した。
「で、どうするよ」
博之は、畳の上に座り込んで言った。
「六角様から、飯を持って来いって言われた」
部屋が静かになった。
ヨイチが最初に口を開いた。
「断る理由はありますか」
「北畠様の顔やな」
「そこは必ず筋を通す必要があります」
お花も頷いた。
「北畠領内にいて、六角様に飯を持って行く。これを勝手にやれば、北畠側から見て面白くありません」
「せやろ」
「ただ、草津、大津、信楽焼の流れを考えると、六角様と一度顔を合わせる価値は大きいです」
買い付け隊の古株が言った。
「六角方が草津や大津の流れを認めてくれるなら、荷の安全がかなり変わります。
信楽焼の道も街道自体の太さというよりも安心感が増すことで気を遣う要素が減り
物量が増え、荷駄を通す量という意味で道をもっと太くできます」
「京都郊外へ入る道も、大津から伸ばすなら無視できません」
大津担当が言う。
「六角と揉めるより、飯を食わせて話す方がよいかと」
博之は頭を抱えた。
「飯を食わせて話す方がよい、って、もう何なんやろな」
「旦那様のやり方です」
「俺のやり方が、どんどん大名相手になってるの怖いんやけど」
ヨイチは冷静に言った。
「まず、北畠様へ報告。松坂の城主を通し、六角からこういう文が来た、こちらは勝手に動かない、
と伝える」
「それは絶対やな」
「次に、六角へ行く場合は、商談ではなく、ご挨拶と飯の献上、情報交換という形にします」
「献上って言うと重くないか」
「飯屋が飯を持っていく形です。重くしすぎず、軽くしすぎず」
お花が言う。
「持っていくものも大事です。海鮮焼きは派手すぎます。最初から見せる飯を持っていくと、
相手を煽ります」
「じゃあ何がええ」
「まぜ飯、肉あん、すり身揚げ、信楽焼に乗せた小皿。あと、必要なら海鮮焼きは道具だけ見せる程度」
博之は頷いた。
「六角相手に、飯の火縄銃を撃つのはまだ早いか」
「早いです」
「めちゃくちゃ言い方が物騒やな」
場に少し笑いが起きた。
だが、すぐに空気は真剣に戻る。
伊勢松坂屋が六角と会う。
それは単なる飯屋の挨拶ではない。
北畠、六角、織田、そして北伊勢の国人衆。
その間に、飯と荷の道が一本通ろうとしている。
博之は、深く息を吐いた。
「分かった。まずは北畠様に筋を通す。六角には、行く方向で考える。ただし、
飯屋として行く。政治家みたいな顔はしない」
ヨイチが即答する。
「承知しました」
お花が微笑む。
「政治家みたいな顔をしなくても、やっていることは十分政治ですけどね」
「やめてくれ」
博之は畳にごろりと転がった。
「怖いから、もう少し考えさせてくれ」
「ごろごろしながらですか」
「ごろごろしながらやないと、飯の種も逃げ道も浮かばん」
その頃、表では六角の使者たちが湯上がりに飯を食べ、すっかり表情を緩めていた。
伊勢松坂屋が、また一つ大きな相手に見つかった。
その事実だけは、もう動かせなかった。