軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

北伊勢の動きが近江六角の耳に入る。六角の殿様が伊勢松坂屋の博之が何者か?と調べ始める

北伊勢の動きは、思った以上に早く、近江にも伝わっていた。

六角の殿様は、側近からの報告を聞きながら、眉間に皺を寄せていた。

「長野が北畠に入る、か」

「はい。表向きは縁談でございます。長野の殿は隠居され、若君が立ち、その後ろに北畠の縁を

入れる形になるようです」

「首を取られたわけでも、城を焼かれたわけでもない。だが、実質は北畠領か」

「そのように見てよろしいかと」

殿様は、しばらく黙った。

津が北畠の内側に入る。

それは、単に一つの家が傘下に入ったという話では済まない。

伊勢の中部に北畠の手が伸びた。

北伊勢の国人衆から見れば、南に北畠、北西に六角、東に織田という形になる。

ただでさえ、桑名には商人衆がいる。一向衆の気配もある。関、亀山、白子、それぞれに

土地の事情がある。そこへ北畠が津まで押さえたとなれば、北伊勢の者たちは必ず動く。

「で、北伊勢の国人衆はどうした」

「白子、亀山、関あたりの者が、まとまって挨拶に動いております」

「うちにか」

「いえ」

「北畠にか」

「それもございますが……先に、伊勢松坂屋へ行ったようです」

殿様は、一瞬聞き間違えたような顔をした。

「どこへ行ったと?」

「伊勢松坂屋にございます」

「飯屋か」

「はい」

「六角でも北畠でも織田でもなく、まず飯屋に頭を下げに行ったのか」

「そのようです」

殿様は、呆れたように息を吐いた。

「意味が分からんな」

「我らも、そのあたりを探っております」

「探るも何も、呼べ。詳しい者を呼んで、どういうことか語らせよ」

「はっ」

数日後、六角の館に、北伊勢の事情に通じた者が呼ばれた。商人でもあり、

国人衆の間にも顔が利く男である。

男は平伏し、六角の殿様の前で静かに頭を下げた。

「面を上げよ」

「はっ」

「聞きたいことは一つではない。まず、伊勢松坂屋の博之という男は何者だ」

男は、少し言葉を選んだ。

「一言で申せば、飯屋でございます」

「それは聞いている」

殿様の声が少し鋭くなる。

「飯屋がどうして津の長野の進退に関わり、北伊勢の国人衆が挨拶に行く相手になる。

そこを聞いている」

「失礼いたしました」

男は深く頭を下げ、話し始めた。

「伊勢松坂屋は、もともと松阪の城の普請で得た小銭をもとに、ボロ小屋で豚汁を始めたところから

広がった店でございます」

「豚汁」

「はい。飯を食えぬ者、行き場のない者を雇い、飯場と寝床を与え、まかないを出す。

そこから始まっております」

「それがどうして今の規模になる」

「飯だけでは終わらなかったからでございます。飯を出すために魚を買う。器を買う。薪を買う。

人を雇う。荷を運ぶ。そうしているうちに、買い付け隊ができ、街道に拠点ができ、

港に店ができ、寺社への寄進と炊き出しが始まりました」

殿様は黙って聞いている。

「伊勢では、九鬼水軍とも関係を持ち、魚のすり身やマグロの汁物、海鮮焼きといったものを

出しております。志摩や伊勢の魚に値をつけ、捨てられていたものにも銭を生む道を作りました」

「飯屋というより、荷の元締めではないか」

「その通りでございます。ただ、本人はあくまで飯屋だと言い張っております」

側近の一人が小さく笑ったが、殿様は笑わなかった。

「長野はどうなった」

「長野家は、伊勢松坂屋の勢いに巻き込まれました。最初は、飯屋を軽く見ていたようですが、

街道沿いと港が潤い、領民が飯場に集まり、兵が小競り合いで疲れれば、伊勢松坂屋の炊き出しで

元気になるという、妙な状況になりました」

「兵が飯屋で士気を戻すのか」

「はい。しかも、北の国人衆は伊勢松坂屋の道や港には手を出さず、その外側ばかりを

つついたようです。そこに手を出せば、北畠だけでなく、商いと寺社と水軍まで面倒になると

分かっていたのでしょう」

「それで長野の殿は折れたか」

「はい。家を残すため、民を守るため、北畠との縁談を選び、隠居を決めたと聞いております」

殿様は、少しだけ目を細めた。

「飯屋に負けたというより、飯屋の作った流れに逆らえなくなった、ということか」

「まさに、そのように見えます」

「それで北伊勢の国人衆は、伊勢松坂屋に先に挨拶した」

「はい」

「なぜだ」

「北伊勢の国人衆にとって、今や大事なのは、自分たちの土地の価値を高く見せることでございます」

男は続けた。

「津が北畠の内側に入りました。南は北畠。北西には六角様。東には織田。白子、亀山、関あたりは、

その間におります。何かあれば、三方のいずれかが名目をつけて入ってくる可能性がある」

「うむ」

「ならば、ただの国人衆ではなく、荷が通る土地、守る価値のある土地、取り込んだ方が

得な土地に見せたい。そのために、伊勢松坂屋の買い付け量を増やしてもらい、

自分たちが護衛としてつく形を求めたようです」

「なるほどな」

殿様は、ようやく少し得心したように頷いた。

「伊勢松坂屋の荷が通れば、そこに銭が落ちる。飯屋も漁民も職人も潤う。国人衆は護衛の名目で

存在価値を示せる。北畠も六角も、潰すより取り込む方を考える」

「はい」

「つまり、飯屋の荷を通すことが、国人衆の外交になっているのか」

「恐ろしいことに、そのように見えます」

殿様は、低く笑った。

「恐ろしいな」

「はい」

「伊勢松坂屋の博之という男は、そこまで考えてやっているのか」

男は、少し迷った。

「すべてを考えているかは分かりません。本人は、飯を出す、銭を回す、人を雇う、

困っているところに炊き出しをする、という言い方をします。ただ、その積み重ねが、

結果として領地の形を変えております」

「本人は何者だ」

「根なし草から始まった男、と聞いております。普段は屋敷でごろごろしているそうです」

「ごろごろ?」

「はい。けれど、飯の発想が尋常ではございません。肉あん、海鮮焼き、ふくふく焼き、

信楽焼を使った見せ方、体験型の商い。飯をただ食わせるのではなく、見せ、待たせ、

選ばせ、縁に絡めて売る」

「商人だな」

「商人でもあります。ですが、普通の商人と違い、飯場、湯浴み、寝床、まかない、

炊き出しを持っております。従業員も数千人規模と聞いております」

六角の側近たちがざわついた。

「数千?」

「はい。正確な数字は掴めませんが、伊勢、大和、奈良、伊賀、南近江、大津、宇治、藤井寺、津、

桑名方面に拠点を広げております」

「飯屋ではないな」

殿様がぽつりと言った。

「飯屋でございます、と本人は言うそうです」

「その言い方が一番怖い」

殿様は肘掛けに指を置き、しばらく考え込んだ。

「北畠は、これをどう見ている」

「松阪の城主は、面白がっております。長野が北畠に入る件も、伊勢松坂屋様様だと笑っていると

聞きます。ただ、同時に警戒もしているでしょう。飯屋に釣られた北畠と言われぬよう、

兵の鍛錬を怠るな、という話も出ているとか」

「笑い話で済ませられるうちはよいがな」

「はい」

「織田はどうだ」

「まだ本格的には接しておりません。ただ、蟹江から津島、勝幡、清洲、熱田、常滑、瀬戸物の道を

探っているという噂はございます」

「尾張へも伸びるか」

「いずれは」

殿様は、ゆっくり息を吐いた。

「ならば、六角も無視はできぬな」

「はい」

「草津、大津を通る荷は、こちらにも関わる。信楽焼の道もある。伊勢松坂屋が京都郊外へ

入るなら、近江の道が太くなる」

「その通りでございます」

「だが、雑に抱え込もうとすれば、逃げるか、北畠に寄るかもしれん」

「あるいは、飯屋でございます、と言って、どこへでも飯を出すかと」

殿様は、今度こそ笑った。

「毒のようだな」

「北伊勢の国人衆も、そう申しておりました。伊勢松坂屋の毒が、伊勢の国にはもう回っている、と」

「毒か。だが、薬にもなる」

「はい。飯を食わせ、道を守り、銭を落とします」

「ならば、その毒が近江に回る前に、味を知っておく必要がある」

殿様は側近に向いた。

「伊勢松坂屋に直接手を突っ込むな。まずは草津と大津の動きをよく見よ。信楽焼の流れを押さえよ。

炊き出しや市で、どこに顔を出しているかを調べよ」

「はっ」

「それから、博之という男。機会があれば、一度呼ぶ」

「呼びますか」

「呼ぶ。ただし、詰問ではない。飯を持ってこさせろ」

側近が目を丸くした。

「飯を、でございますか」

「飯屋なのだろう。飯を食わずに何が分かる」

殿様は、薄く笑った。

「北畠が笑っている理由、長野が折れた理由、北伊勢の国人衆が先に頭を下げた理由。

全部、飯の中にあるのかもしれん」

そう言って、六角の殿様はまた静かに考え込んだ。

伊勢松坂屋の博之。

ただの飯屋。

だが、ただの飯屋が、長野を動かし、北伊勢の国人衆を走らせ、北畠と六角と織田の間に、

奇妙な道を作り始めている。

近江の殿様は、その名を覚えた。

飯屋という名の、得体の知れぬ勢力として。