作品タイトル不明
博之44才2月3週目。11,115万文→12,728万文。銭の増加額も怖いが現在全拠点3,801名。それだけの人生背負っていると自覚してくださいと言われる博之www
「旦那様。楽しい楽しい帳簿の時間でございます」
ヨイチが帳面を抱えて入ってきた瞬間、博之は畳の上でうつ伏せになった。
「もう怖すぎる」
「怖くても見ます。二月三週目、前日までの帳簿をここで一度切ります」
「切らんでええ。見なかったことにしよう」
「見ないと始まりません」
お花も横で茶を置きながら言った。
「それに今回は、まだ少しだけましです」
「まし?」
博之が顔だけ上げる。
「はい。直近で伊勢城下町で試した、海鮮焼きの新しい運用がありますでしょう。
六個百文、百個限定、体験二百五十文のあれです」
「あれな。高くして数を絞ったやつな」
「あれを松阪、伊勢、津で全部統一すると、どえらい利益が乗ります」
博之は即座に顔を伏せた。
「聞きたくない」
「ですが、それは来期です。今回はその前で切ります」
「それはちょっとましやな」
ヨイチは首を振った。
「全然ましではございません」
「なんでやねん」
「今回も十分怖い数字です」
ヨイチは帳面を開いた。
「今回も、主に増減のところを見ます。細かい拠点ごとの全項目は省きます」
「それで頼む。全部言われたら倒れる」
「おおむね全体は良好です。まず、宇治と藤井寺は立ち上げのため、二拠点合計でマイナス五十万文」
「そこは分かる。最初は撒かなあかん」
「はい。宇治は京都方面への口。藤井寺は堺方面と鍛冶職人衆への足場です。
ここは初期費用として必要なマイナスです」
「藤井寺は湯浴みも用意してやりたいしな」
「その分も見ています」
「怖いけど必要経費やな」
ヨイチは続けた。
「伊賀、名張、滋賀方面は三県でマイナス二十五万文」
「ここもまだ撒き続けやな」
「はい。ただし、信楽焼、奈良との往来、草津・大津方面の荷の流れは安定してきています。
大きな崩れではありません」
「よかった」
「その他、各町の立ち上がり、人件費、飯場、荷置き場、炊き出し、寺社への挨拶回りなど
細かいものはありますが、省きます」
「省いてくれ。怖いから」
「では、ざっくり拠点全体で千八十三万文のプラスです」
博之は固まった。
「……省いて千八十三万?」
「はい」
「もうそれが怖い」
「怖いですが、これに買い付け隊が乗ります」
「乗るな」
「乗ります」
ヨイチは淡々と言った。
「拠点が二つ増えましたので、買い付け隊の買い付け額も増えています。全てを利益に乗せると、
買い付け隊の利益は五百三十万文です」
「買い付け隊、強すぎるやろ」
「強いです。伊勢、松阪、津、奈良、伊賀、草津、大津、桑名、四日市、そして新たに宇治と
藤井寺が見えています。荷の流れが太くなればなるほど、買い付け隊の利益は乗ります」
「飯屋ちゃうやん、もう」
「飯屋です。飯を支えるための買い付けです」
「便利な言葉やな」
ヨイチは筆で帳面の一番下を示した。
「拠点利益、千八十三万文。買い付け隊利益、五百三十万文。合わせて今回の増加分は、
千六百十三万文でございます」
博之は、ゆっくり顔を上げた。
「前回が……」
「一億一千百十五万文です」
「足すと?」
「一億二千七百二十八万文です」
部屋が一瞬静まり返った。
お花が小さく言った。
「一億二千七百二十八万文」
「言わんといてくれ」
博之は両手で顔を覆った。
「怖い。もう完全に怖い」
「怖いですが、受け入れてください」
「受け入れたら北畠様に殺されへん?」
「そのまま銭で抱えたら危ないです。だから拠点、物、職人、湯浴み、飯場、倉、寺社、炊き出し、
買い付けに変えていきます」
「どんどん巻こう」
「もちろんでございます」
お花も頷いた。
「ただ、来期はさらに伸びます」
「やめてくれ」
「海鮮焼きの値段改定があります。伊勢城下町で試した運用を松阪、伊勢、津へ反映すると、
数字が伸びます」
「うわあ」
「さらに、藤井寺から鉄板と金型が続々と届いています。焼き手が育てば、回せる拠点も増えます」
「伸びる要素しかないやん」
「はい」
「怖すぎる」
ヨイチは真顔で言った。
「しかも、伊勢神宮を目指し始めると、その値段が基準になります。神宮価格に引っ張られて、
他の海鮮焼きや肉あん、体験型の値付けが跳ねる可能性があります」
「それが怖いねん」
「調整が必要です。値を上げすぎれば反感を買います。安くしすぎれば周りの店を壊します。
売れすぎればお礼札が増えます。絞れば体験型が伸びます」
「飯屋って難しすぎるやろ」
「旦那様が難しい飯を作ったのです」
博之は畳の上をごろごろ転がった。
「もう怖すぎる。ほんま怖い」
「怖すぎるついでに、もう一つ怖い数字を聞いてください」
「まだあるんか」
「あります」
ヨイチは別の帳面を出した。
「全拠点の従業員数を合計しました」
「やめて。聞きたくない」
「三千八百三人でございました」
博之は完全に止まった。
「……なんでそんな大事になってんねん」
「各拠点で人を集め、飯場を作り、買い付け隊にも回し、炊き出しや荷運び、焼き手、
女衆、男衆、寺社との連絡役、地侍との調整役、子どもたちの面倒を見る者まで含めると、
こうなりました」
「三千八百人」
「はい」
「ちょっとした大名家やないか」
「飯屋です」
「無理がある」
お花が静かに言った。
「旦那様の肩には、三千八百三人の人生が乗っています」
「やめてくれ。重すぎる」
「だから、そんなにごろごろするのはやめてください」
博之は畳にしがみついた。
「いやや。ごろごろしてないと飯の種が浮かばん」
「それはそれで事実なのが困ります」
ヨイチもため息をついた。
「旦那様が妙なことを思いつくから、海鮮焼きも、ふくふく焼きも、肉あんも、体験型も生まれました」
「せやろ」
「ですが、それを運営するのはこちらです」
「すまんな」
「そこら辺は我々でカバーします。ただし、旦那様には、三千八百人が食べていると
いう自覚だけは持っていただきます」
博之は少しだけ真面目な顔になった。
「三千八百人か」
「はい」
「そいつらが飯を食えて、寝るところがあって、給金もらえて、辞めずに済んでるなら、
それはありがたい話やな」
「その通りです」
「でも、失敗したら三千八百人が路頭に迷う可能性があるんやな」
「だから慎重に進めます」
博之は深く息を吐いた。
「一億二千七百二十八万文より、三千八百三人の方が怖いわ」
「そこに気づいていただければ十分です」
お花が微笑んだ。
「銭は拠点や物に変えられます。でも、人はそうはいきません」
「そうやな」
博之はごろりと仰向けになった。
「ほな、金は巻く。拠点にする。飯場にする。湯浴みにする。金型にする。倉にする。
寺社に筋を通す。炊き出しも続ける。人が辞めずに済むようにする」
「はい」
「海鮮焼きは、売れすぎないように高く絞る。体験型で価値を出す。伊勢神宮は慎重に行く」
「はい」
「で、俺はごろごろしながら飯の種を考える」
「そこだけ余計です」
女衆たちがくすくす笑った。
「旦那様、三千八百人を背負ってごろごろしてるんですね」
「すごいごろごろですね」
「重そうなのに軽そうです」
「うるさいわ」
ヨイチは帳面を閉じた。
「では、二月三週目前日までの帳簿は、一億二千七百二十八万文。従業員数、
三千八百三人。次回は、海鮮焼き新運用の統一と、藤井寺・宇治の立ち上がりが乗ってきます」
「もう怖い予告やめてくれ」
「続きます」
「楽しくない楽しい帳簿やな」
「はい。続けます」
博之は天井を見ながら、ぽつりと言った。
「三千八百人か……」
銭は怖い。
だが、人はもっと怖い。
伊勢松坂屋は、もはや博之一人の飯屋ではなかった。
飯を作る者、運ぶ者、売る者、焼く者、教える者、守る者、学ぶ子どもたち。
その全員の腹を満たすために、博之は今日もごろごろしながら、新しい飯のことを
考えるしかなかった。