作品タイトル不明
伊勢の港で海鮮焼きを出して盛況だった。伊勢のお殿様にも挨拶がてら報告に向かう。魅せる飯。価値観が変わるぞ。飯の火縄銃、鉄砲や!
伊勢の港で海鮮焼きを出した以上、伊勢の殿様には一度きちんと話を通しておかねばならない。
博之はそう考え、肉あん、魚のすり身揚げ、まぜ飯、マグロの汁物、それに海鮮焼きの
道具一式を持たせて、伊勢の城へ伺うことにした。
「また飯を持ってきたんか」
伊勢の城主は、博之の顔を見るなり、けらけら笑った。
「今回は飯だけではございません。伊勢港で海鮮焼きを出しましたので、そのご報告と、
実演も兼ねて参りました」
「噂は聞いとるぞ。港でえらい人だかりやったらしいな」
「ありがたいことに」
「ありがたいことに、やないわ。お前、また妙なもんを作ったな」
「妙なもんと言われると、ちょっとあれですが」
「妙やろ。飯なのに、食う前から人が集まる。できあがる前から客が喜ぶ。あれは普通の
飯屋の考え方とは違うぞ」
城主は笑っていたが、目は真面目だった。
「飯というのは、できあがったものを出して、食わせて、終わりや。うまいかまずいか、
腹にたまるか、値が高いか安いか。だいたいはそこで決まる」
「はい」
「けど、お前の海鮮焼きは違う。できる過程を魅せる。そこが画期的なんや」
博之は少し黙った。
「できる過程を、魅せる」
「そうや。種を流す。具を入れる。焼ける音がする。匂いが立つ。まだか、まだかと客が見る。
そこでくるりと返す。客が声を上げる。最後に味噌醤油を塗って、青のりを振る。
そこまで全部が、もう飯の一部になっとる」
城主は楽しそうに言った。
「しかも、うまい」
「ありがとうございます」
「うまいだけなら、まだ分かる。珍しいだけでも、まあ分かる。けど、これは見る楽しさがあって、
食う楽しさがあって、さらに人に話したくなる。そういう意味では、かなり強い飯や」
「そんなにですか」
「価値観を変えるくらい強力な飯やと思うぞ」
その言葉に、周りの家臣たちも少しざわついた。
城主は続けた。
「さながら飯の火縄銃や。いや、鉄砲やな」
「飯の火縄銃、ですか」「物騒な言い方やめてください」
「物騒なのはお前の飯や」
城主は笑った。
「ただし、これは本当に強いぞ。飯屋というものは、腹を満たす場所やと思われとる。だが、
これは違う。飯屋が見世物になる。飯を待つ時間まで価値になる。焼いている者の
手つきまで客が見る。できあがる前から客が楽しんどる。これは、ただの食い物ではない」
博之は困ったように笑った。
「そこまで言われると、余計に怖くなります」
庭先では、海鮮焼きの実演準備が始まっていた。
藤井寺の職人が作った金型が据えられ、油が引かれる。女衆が慣れた手つきで種を流し込むと、
じゅわっと音が立った。
家臣たちが自然と寄ってくる。
「おお、音がええな」
「ここに具を入れるんか」
「タコか」
「イカも入るのか」
女衆がタコとイカ、刻んだネギを入れる。しばらく待つ。火の具合を見て、返し棒を差し込む。
くるり。
丸く返った瞬間、家臣たちから小さな歓声が上がった。
「おおっ」
「これは面白い」
「なるほど、人が集まるわけや」
城主も目を細めた。
「見てしまうな」
「はい」
「見てしまうというのは、商いとして強い。客が自分の足で止まる。止まれば、食いたくなる。
食えば、誰かに言いたくなる。」
味噌醤油が塗られると、香ばしい匂いが広がった。青のりがさらさらと振られ、笹船に六つ並ぶ。
上司は一つ摘まんで、熱そうに口へ入れた。
「……うまいな」
「ありがとうございます」
「これは売れるわ」
「売れるのはありがたいんですけど、売れすぎるのが怖いんです」
「そこや」
城主は、海鮮焼きをもう一つ見ながら言った。
「売れすぎる飯は危ない。周りの店の腹を取る。港や城下でやるなら、そこを考えなあかん」
「そこは気にしております。伊勢港でも、お礼札をかなり配って、周りの店に流すようにしています」
「聞いとる。魚汁や茶屋、鯛味噌飯の店に札を配っとるらしいな」
「はい。うちだけで客を抱え込まないようにしています。海鮮焼きで人を呼んで、
売り切れたら札で周りに流す。結果的に港全体へ銭が落ちる形にしたいんです」
「それは悪くない」
城主は頷いた。
「むしろ、そこまでやるから許される。強い飯は、売れば売るほど敵を作る。だが、
人を呼び、その人を周りへ流すなら、港全体の賑わいになる」
「でも、まだ調整は必要です」
「当然や」
上司は少し鋭い顔になった。
「伊勢神宮を狙うなら、もっと絞れ。港と同じ感覚でやるな。飯の鉄砲を神宮の前で撃つなら、
弾数を絞らなあかん」
「弾数というのは、売る数ですか」
「そうや。売る数を減らす。その分、体験を増やす。体験は高くてよい」
「高くても、ですか」
「当たり前や。自分で焼く。くるりと返す。女衆に教えてもらう。自分で作ったものを食う。
それはただの飯ではない。時間を買うんや」
博之は頷いた。
「松阪でも伊勢港でも、体験型は意外とよく回りました。家族連れや若い男女が楽しんでくれて」
「なら、神宮ではそこをもっと丁寧に作れ。短い刻みで体験を入れる。売る量は抑える。
札で周りに流す。値段は安くするな」
「安くしすぎると、周りの値を壊しますからね」
「そうや」
城主は少し厳しい声で言った。
「お伊勢さんの隣にいる殿様はな、“安ければ民が喜ぶ”だけではやっていけん。茶一杯にも、
飯一つにも、場所の値がある。全国から来た者が、そこで銭を落とす。その銭が町に回り、
職人に回り、港に回り、最後は領地を支える」
「領地経営ですね」
「そうや。そこを考えん殿様は、津の長野みたいになる」
「また長野様の話ですか」
「近くに悪い見本があるからな」
城主はにやりとした。
「商人を軽く見て、飯屋を軽く見て、港を軽く見て、最後はお前に懐を握られる」
「握るつもりはなかったんですけど」
「お前はいつもそう言う」
家臣たちが小さく笑った。
博之は少し頭をかいた。
「伊勢の城下町で出す時も、港とは違う運用にします。売る数を抑えて、体験を少し多めにして、
値段も安くしすぎない。余れば、まかないで食べればいいですし」
その瞬間、お花が横から即座に言った。
「だいたい売れ残らないんですけどね」
場に笑いが起きた。
城主も笑う。
「まさにそこや。売れ残らんから怖い。だから最初から残るくらいのつもりで絞れ。
売り切れることを前提に組め」
「はい」
「そして、伊勢神宮でやるなら、必ず先に筋を通せ。わしにも、神宮側にも、周りの店にも話を通す。
勝手に飯の火縄銃を撃つな」
「撃つって言わないでください」
「だが、撃てば当たるやろ」
「当たりすぎるから困ってます」
「なら、なおさら丁寧に扱え」
上司は最後の一つを食べ、満足そうに息を吐いた。
「これは名物になる可能性がある。うまく扱えば、伊勢に来た者が“あのくるくる回る飯を見た”
と言って帰る。食った者は人に話す。見ただけの者も人に話す。できる過程を魅せる飯というのは、
それほど強い」
博之は深く頭を下げた。
「勉強になります」
「お前が素直やと気持ち悪いな」
「ひどい」
「だが、今日、筋を通しに来たことは評価する」
城主はにやりと笑った。
「次に来る時も持ってこい」
「結局食べたいんじゃないですか」
「うまいからな」
また笑いが起きた。
帰り道、博之はぼそりと言った。
「さながら飯の火縄銃、か」
お花が横で頷いた。
「言い得て妙ですね」
「物騒すぎるやろ」
「でも、当たっています」
「やめてくれ」
海鮮焼きは、ただの新商品ではなかった。
飯を作る過程そのものを、客に見せる。
待つ時間を楽しませる。
匂いと音と動きで人を集める。
そして最後に、ちゃんとうまい。
それは、伊勢松坂屋にとっても、伊勢の商いにとっても、価値観を変えるほど強力な飯に
なりつつあった。