作品タイトル不明
藤井寺の親方が帰宅。伊勢松坂屋、九鬼水軍衆、北畠の松坂城主と話して鉄砲鍛冶単品の危うさにも気づく。金型も作るで。袴もらってきた。横丁や湯あみを使えるぞ
藤井寺の鍛冶場に、親方たちが戻ってきた。
伊賀を越え、松坂へ行き、船で伊勢へ渡り、伊勢神宮まで見てきたという話は、
先に使いの者から少しだけ伝わっていた。だが、実際に戻ってきた親方たちの顔つきは、
出発前とは明らかに違っていた。
「親方、どないでしたか」
若い鍛冶の一人が、火の前で手を止めて尋ねる。
親方は、しばらく黙ってから、どかっと腰を下ろした。
「めちゃくちゃ刺激になったぞ」
「そんなにですか」
「ああ。わしらが作ったあの金板な。飯を焼くための妙な鉄板やと思ってたやろ」
「思ってました」
「わしも思ってた。けど、違ったわ」
親方は、松坂港で見た光景を話し始めた。
金型に油を引き、種を流す。そこへ茹でたタコやイカ、ネギや野菜を入れる。
じゅわっと音が立ち、焼き手が返し棒を差し入れて、くるっと返す。
その瞬間、周りの客が「おおっ」と声を上げる。
「鉄板で飯を焼いとるだけやぞ。やのに、人が止まる。子どもが前に出る。
大人まで身を乗り出す。くるっと返っただけで、拍手みたいな声が上がる」
「そんなにですか」
「そんなにや。あれはただの飯やない。見世物や」
親方は、手を広げて説明した。
「しかも、食うてもうまい。味噌醤油を塗って、青のりを振るんや。匂いが立ったら、
もう買いたくなる。松坂港でも城下でも、馬鹿みたいに売れるのが分かった」
若い職人たちは、少しざわついた。
「うちの金型で、そんなに」
「そうや。鉄砲を作った時とは、違う嬉しさがある」
親方は、少し真面目な顔になった。
「鉄砲は確かに銭になる。殿様にも大名にも喜ばれる。今は間違いなく鉄砲の時代や。
けどな、今回、九鬼水軍の人とも話した。松坂の北畠の殿様とも話した」
「殿様と?」
「ああ。そこで言われたんや。鉄砲鍛冶は、今は重宝される。けど、鉄砲が強くなりすぎたら、
今度はわしら自身が危ないものとして見られるかもしれんと」
鍛冶場の空気が、少し重くなった。
「危ないもの?」
「そうや。鉄砲を作れる者は、戦を起こせる者でもある。今は銭をくれる。飯もくれる。
大事にしてくれる。けど、平らかな世になったら、鉄砲鍛冶を自由にさせたくない
と思う大名も出るやろうと」
「それは……」
「工房ごと抱え込まれるかもしれん。移るなと言われるかもしれん。もっとひどければ、
危ないから燃やしてしまえ、と考える奴もおるかもしれん」
若い者たちは黙り込んだ。
親方も、しばらく炉の火を見つめた。
「わしも、最初は大げさやと思った。けど、よう考えたら、あり得る話や。
鉄砲は人を殺す道具やからな」
その後、親方は荷の中から袴を取り出した。
伊勢松坂屋の印が入った、立派な袴である。
「それでや。わしは決めた。伊勢松坂屋の仕事を受ける」
「金型の仕事ですか」
「金型だけやない。海鮮焼きの型、返し棒、お好み焼きの鉄板、コテ、ふくふく焼きの型。
あいつらが欲しがる飯の道具を、うちで作る」
「でも、うちは鉄砲鍛冶ですよ」
「鉄砲鍛冶や。そこは変わらん。鉄砲の仕事も続ける。けど、鉄砲一本でいくのは怖い。
飯屋の鉄もやる」
親方は袴を広げた。
「これを十着もらってきた」
「めちゃくちゃ立派じゃないですか」
「伊勢松坂屋の袴や。これを着て、大和高田の伊勢松坂屋の横丁に行けば、飯を食わせてくれる。
湯も使わせてくれるらしい」
「湯まで?」
「そうや。今、一番近いのは大和高田や。そこが落ち着いたら、次は藤井寺にも
拠点を作ると言うとった」
「藤井寺に?」
「飯場と荷置き場、それに小さくても湯浴みを作るつもりらしい。工房の者が仕事帰りに飯を食えて、
湯に入れるようにする、と」
若い職人たちの顔色が変わった。
「それ、ほんまですか」
「ほんまや。松坂で実際に入った。湯が張ってあってな、伊賀越えの後やったから、骨までしみたわ。
飯もうまい。肉あんも、魚のすり身揚げも、汁も、全部うまかった」
「そんなところが藤井寺にできるんですか」
「すぐではない。けど、あの旦那はやるやろうな」
親方は少し笑った。
「あいつは変な旦那や。つかみどころがない。けど、飯と人には金を惜しまん」
別の若い鍛冶が、袴を手に取りながら言った。
「これ着て飯食いに行けるなら、みんなやる気出ますよ」
「やろう」
「鉄砲作ってても、煤だらけで飯食って寝るだけですからね。湯に入れるだけでも全然違います」
「そうや。だから、やる意味がある」
親方は、炉の前に立った。
「わしらは笑われるかもしれん。鉄砲鍛冶が飯屋の鉄板を作っとる、と。
飯を焼く型に本気になっとる、と」
「笑う奴はいるでしょうね」
「おるやろう。けど、笑わせておけばええ。あの金型で人が集まる。子どもが喜ぶ。女衆が笑う。
客が銭を出す。しかも、伊勢神宮でも使えるかもしれん」
親方は、力強く言った。
「鉄砲は人を倒す鉄や。けど、あの鉄板は人を集める鉄や。どっちも鍛冶の仕事や」
若い職人たちは、顔を見合わせた。
最初は半信半疑だった。飯屋の鉄板など、鉄砲に比べれば軽い仕事だと思っていた。
だが、親方がここまで熱を込めて語るのは珍しい。
「じゃあ、やりますか」
一人が言った。
「飯屋の鉄」
別の者が笑う。
「飯屋の鉄って、変な言葉やな」
「変でええ」
親方も笑った。
「伊勢松坂屋には似合う」
そうして、藤井寺の鍛冶場では方針が決まった。
鉄砲は作る。
けれど、鉄砲だけには寄りかからない。
伊勢松坂屋の金型も、鉄板も、返し道具も作る。
人を殺す鉄だけでなく、人を集める鉄も打つ。
親方は、最後に袴を丁寧に畳み、工房の柱の近くへ置いた。
「これは、ただの袴やない。あの飯屋との縁や。使う時は、ちゃんと胸張って使え」
若い職人たちは、少し照れながらも頷いた。
藤井寺の鍛冶場に、新しい仕事の火が入ろうとしていた。