作品タイトル不明
藤井寺の金型つくりの親方が松坂まで向かう。大和八木で奈良のお坊様と合流。道中に伊賀越えのいきさつを聞き驚く
藤井寺の鍛冶場の親方たちは、旅支度を整えていた。
飯を焼くための金型を作っただけのはずだった。鉄砲の仕事を止めて、半円の穴が
二十ほど並んだ妙な鉄板を作った。最初は「飯の道具に二万文も払う馬鹿がおるか」と
笑っていたが、その飯屋は本当に十万文を払い、さらに「作れるだけ作ってくれ」と言ってきた。
しかも、使われている現場を見に来いと言う。
「飯屋のくせに、妙にふてぶてしいな」
親方はそう言いながらも、どこか楽しそうだった。
伊勢松坂屋から届いた袴を広げると、若い職人の一人が目を丸くした。
「親方、これ結構立派ですわ」
「ほんまやな。鍛冶屋がこんな袴着て歩く日が来るとはな」
「これ着てたら、道中通れるんですか」
「向こうはそう言うとる。伊勢松坂屋の袴を着ていれば、拠点で飯と寝床は用意する、と」
「飯屋の袴って、そんな通行手形みたいになるんですか」
「知らん。だから見に行くんや」
親方は笑い、若い職人二人を連れて藤井寺を出た。
まずは大和高田へ向かう。道中、伊勢松坂屋の案内役がつき、荷を運ぶ者や小さな拠点で
休みを取りながら進んだ。
大和高田の拠点は、まだ新しい。だが、飯場は整っており、荷置き場もあり、
若い者たちが忙しそうに働いている。
「ここも伊勢松坂屋か」
「はい。まだ立ち上がったばかりですが、奈良方面へ向かう荷の口になります」
「飯屋が荷の口て、意味が分からんな」
「よく言われます」
案内役は慣れた顔で答えた。
そこからさらに大和八木へ向かう途中、案内役がさらりと言った。
「大和八木で奈良のお坊様方と落ち合います。そこから伊賀越えをご一緒していただきます」
親方は足を止めた。
「なんで奈良の坊さんが出てくるねん」
「実は、伊勢松坂屋は奈良のお坊様方と文化交流をしております」
「文化交流?」
「はい。あと、物流の交流もしております」
「何がどうなったら、飯屋と奈良の坊さんが文化と物流の交流をするんや」
若い職人も呆れたように言った。
案内役は、少し笑った。
「それは、お坊様方から直接お聞きになった方が面白いと思います」
「なんや、そのもったいぶった言い方は」
「本当に、私が言うより面白いので」
親方はますます訳が分からないという顔をした。
大和八木の拠点に着くと、伊勢松坂屋の者たちが伊賀越えの準備をしていた。
わらじ、杖、雨具、予備の飯、荷縄。伊賀越えと聞いて、親方たちは多少身構えていたが、
準備は思った以上に整っている。
まず出された飯を食った。
具の入った汁。炊きたての飯。漬物。少し濃い味の肉あん。疲れた体にしみる。
「……うまいな」
親方は、思わず呟いた。
「飯屋いうだけはあるな」
若い職人の一人も肉あんを見て首をかしげる。
「これ、少ないのに高いんでしたっけ」
案内役が笑う。
「これは伊勢神宮でも出している品でして」
「伊勢神宮?」
「はい。あちらでは信楽焼の器に乗せて出すこともございます。量は多くありませんが、値は張ります」
「なんで少ないのに高くするんや」
「場所の格、周りの店との釣り合い、腹を満たしすぎて他の店を潰さないため、そして物語です」
「物語?」
「伊勢神宮で食べる、伊勢松坂屋の肉あん。そういうことです」
親方は、まだ完全には合点がいかなかった。
だが、うまいことは分かった。
少量でも満足感があることも分かった。
そして、ただ腹いっぱいにするだけが飯屋の商いではないらしい、ということも、
うっすら分かってきた。
「変な飯屋やな」
「はい。うちの旦那様は、よくそう言われます」
一晩休み、翌朝早く、奈良の僧たちと合流した。
僧たちは旅慣れている様子で、伊勢松坂屋の袴を着た職人たちを見ると、柔らかく会釈した。
「藤井寺の鍛冶の方々ですな。金型を作られたとか」
「まあ、そうです」
親方は少し照れたように答える。
「しかし、坊さんが伊賀越えしてまで松阪くんだりへ行くとは、どういうことですか。
奈良のお坊さんなら、奈良でやることが山ほどあるでしょう」
僧の一人は苦笑した。
「それが、いろいろありまして」
「いろいろ?」
「もともとは、少しばかりいたずらのような文から始まりました。こちらの若い者が、
伊勢松坂屋殿に対して、寄進五十万文をいただければ奈良での口を開きましょう、
などと書いたのです」
「五十万文?」
若い職人が声を上げた。
「それだけでも無茶苦茶やないですか」
「ええ。今思えば、本当に恥ずかしい話です」
僧は静かに続けた。
「ところが、伊勢松坂屋殿は五十万どころか、百五十万文を積むと言ってこられた」
「百五十万?」
親方の目が見開かれた。
「飯屋が?」
「飯屋が、です。しかもただ銭を投げるのではなく、文化交流をしましょう、
こちらの寺社とも話をしましょう、奈良の知見を伊勢へ、伊勢の商いと飯の工夫を奈良へ、と」
「銭の力でこじ開けたわけやな」
「まさに、最初はそうでした」
僧は少し笑った。
「ですが、実際に伊勢へ行ってみると、学ぶことが多かったのです。松阪郊外の和尚様は、
寄進が集まりにくい土地でどう寺を続けるか、子どもに読み書きそろばんを教え、
炊き出しを行い、町とどうつながるかを真剣に考えておられた」
「奈良とは違うんですか」
「違います。奈良は歴史と格に守られていた分、油断していたところもありました。
伊勢でそれを思い知らされました」
伊賀へ向かう道は、徐々に険しくなっていく。
僧は歩きながら話を続けた。
「今では、少人数ずつ、日をずらして伊勢へ向かっています。帰ってきた者は奈良で
見聞を共有する。伊勢の寺社も、奈良からの話を喜んでくださる。こちらも刺激を受ける」
「坊さんの定期便みたいやな」
親方が言うと、僧は笑った。
「そうかもしれません」
「物流の交流というのは?」
「伊勢松坂屋殿が、奈良の方で炊き出しを始めてくださいました。こちらも寺の場所を使い、
町の人を集め、飯を出す。その際に、伊勢の品や信楽焼も使うのです」
「信楽焼?」
「ええ。伊勢松坂屋殿が信楽焼を運び、それを奈良の檀家衆に見せる。良い品を譲り、
その寄進を炊き出しや学びの場に回す。そういう形ができつつあります」
親方は思わず笑った。
「飯屋が、奈良の坊さんを動かして、信楽焼で寄進を集めさせて、炊き出しまでやってるんか」
「言葉にすると、まことに奇妙ですね」
「奇妙どころやない」
若い職人は、少し呆然としていた。
「わしらは、飯の金型を作っただけやと思ってましたけど、なんかもっと変なもんに
関わってる気がしてきました」
僧は穏やかに頷いた。
「私どもも、最初はそうでした。銭の力でこじ開けられたと思っていました。けれど、
その先に飯があり、人があり、町がありました」
伊賀の山道に入る手前、案内役が声をかける。
「ここから足元が悪くなります。皆様、無理せず参りましょう」
親方は、伊勢松坂屋の袴を見下ろし、奈良の僧たちを見た。
鍛冶場で鉄を叩いていた自分が、奈良の坊主と並んで伊賀越えをする。
理由は、飯を丸く焼く金型を作ったから。
どう考えても、おかしな話だった。
だが、胸の奥に小さな高揚があった。
「奈良の坊さんを動かし、伊賀の道を通し、松阪で飯を焼かせる。ほんまに、すげえ飯屋やな」
親方が呟くと、僧が微笑んだ。
「ええ。だからこそ、見に行く価値があります」
藤井寺の職人たちは、ようやく理解し始めていた。
自分たちが作った金型は、ただの鉄板ではない。
伊勢松坂屋という奇妙な飯屋が、飯と銭と道と人をつなぐための、また新しい道具だったのだ。