作品タイトル不明
海鮮焼きの金型を作れるだけ作ろう。値上げしたりしてきたらどうする?事情を話す。松坂の港での様子や伊勢での様子を見せたうえで交渉かな?
松坂の港で海鮮焼きが六百個売り切れた翌日、博之は金型を前にして考え込んでいた。
「とりあえず、藤井寺の職人には、作れるだけ作れと言おう」
ヨイチが眉を上げる。
「また急に大きく出ますね」
「いるやろ。松坂の港であれだけ売れたんや。伊勢港、鳥羽、津、桑名、いずれ伊勢神宮でやるなら、
金型はいくらあっても足らん」
お花は腕を組んだ。
「ただ、追加でたくさん頼むと、向こうも気づきますよ。飯の金型に十万文払うどころか、
さらに作れと言ってきたら、“これは売れるものだ”と分かります」
「そこなんよ」
博之は金型の半円を指でなぞった。
「向こうは最初、飯の型に二万文払う馬鹿がおるかって笑ってた。けど、追加で十枚、
二十枚言い出したら、値段を上げてくるかもしれん」
「三万文、四万文と」
「そう。でも、こっちも黙って払うだけではあかん」
ヨイチが帳面を開く。
「では、どう交渉しますか」
「一枚二万文で、作れる分は買い取る。急ぎで作ってくれた腕は認める。けど、
あまり値を上げすぎるなら、こっちにも考えがある、という空気は出す」
「他の金物屋に見せる、ということですね」
「そうや。もう五枚作って、うちに流れてきてる時点で、型の形は分かる。松阪や伊勢の金物屋に
見せれば、時間はかかっても真似できる者は出るかもしれん」
お花が頷いた。
「ただ、藤井寺の職人を切るわけではない」
「切らん。むしろ長く組みたい。だからこそ、売れてる姿を見せたいんや」
「実物を?」
「見せる。松坂の港で海鮮焼きが売れてるところを見せる。さらに伊勢も見せる」
ヨイチが顔を上げた。
「伊勢神宮ですか」
「そうや。うちは伊勢神宮で肉あんも出してる。魚のすり身を揚げたものも出してる。
マグロの汁物も出してる。信楽焼に乗せて出す飯もある。そこまで見せなあかん」
博之は、少し熱を帯びた声で続けた。
「金型だけあれば売れるわけやない。うちは、肉あんを神宮で売って、魚のすり身揚げで客をつなぎ、
マグロの汁物で腹を温めさせて、周りの店にお礼札まで撒いてる。そういう場を作ってるから
売れるんや」
「つまり、金型は舞台の一部に過ぎないと」
「そういうことや」
お花は静かに言った。
「それを職人に見せる必要がありますね。金型だけを他所に売っても、同じようには売れないと」
「その通りや。ほかの店が金型だけ買っても、タコやイカを安定して仕入れる口がない。
青のりや味噌醤油の味も違う。焼き手も育ってない。何より、伊勢神宮で肉あんを出してる店という
信用がない」
ヨイチが筆を走らせる。
「肉あん、魚のすり身揚げ、マグロ汁物、信楽焼の器、周辺店へのお礼札、買い付け隊、
焼き手。これらが揃って初めて、海鮮焼きも売れる」
「そうや。だから、藤井寺の職人には言うんや。あんたの型は大事や。けど、型だけでは
商いにはならん。うちと長く組んだ方が、あんたも得やと」
「値段を上げすぎず、二万文で安定して作ってくれるなら、継続発注する」
「そう。十枚でも二十枚でも、必要になれば買う。修理も頼む。改良も頼む。返し道具も頼む。
鉄砲だけやなく、飯の道具でも食える道を作れる」
お花が少し笑った。
「職人にとっても、悪い話ではありませんね」
「戦があるうちは鉄砲が売れる。でも、飯は戦があってもなくても売れる。海鮮焼きが港に広がれば、
金型はずっと要る」
ヨイチは冷静に言った。
「ただし、向こうが実演を見て、さらに値を上げてくる可能性はあります」
「その時は言う。三万文、四万文になるなら、他の職人にも見せるしかないと。
こっちはもう形を持ってる。けど、二万文で作ってくれるなら、優先して頼む。そういう筋にする」
「かなり現実的ですね」
「飯のことやからな」
お花は、金型を見ながら言った。
「見学に来てもらうなら、松坂の港だけではなく、伊勢の店も回ってもらいましょう。肉あんの売れ方、
魚のすり身揚げの使い方、マグロ汁物で客を滞留させる流れ、信楽焼の見せ方。その全部を見れば、
伊勢松坂屋の商いが単なる金型頼みではないと分かるはずです」
「それや」
博之は嬉しそうに頷いた。
「しかも、伊勢神宮で見せたら職人も思うやろ。“ここで自分の作った型が使われるのか”って。
そしたら腕も入る」
「誇りを持たせるわけですね」
「そう。金だけで縛るより、そっちの方が長く続く」
ヨイチは返書の文案をまとめた。
「追加発注。一枚二万文を基本。作れる限り買い取る。値を急に上げるなら他の職人も検討せざるを
得ない。ただし、藤井寺の職人を優先したい。希望があれば松坂の港と伊勢の実演を見せる。
肉あん、魚のすり身揚げ、マグロ汁物、信楽焼の器も含め、伊勢松坂屋の売り方を見てもらう」
「それでいこう」
博之は金型を軽く叩いた。
「金型は大事や。でも、売ってるのは鉄板やない。匂い、音、丸くなる驚き、港の空気、
うまい味、笹船の見た目、信楽焼の器、そして伊勢松坂屋の信用や」
お花が微笑んだ。
「旦那様、珍しくきれいにまとまりましたね」
「珍しくって何や」
ヨイチは筆を取り、藤井寺への返書を書き始めた。
飯の金型を作った職人たちは、まだ知らない。
自分たちが作った鉄板が、松坂の港で人だかりを作り、伊勢神宮の肉あん、魚のすり身揚げ、
マグロ汁物と並ぶ新しい飯の柱になりかけていることを。
そして、ただの鉄の板ではなく、伊勢松坂屋の次の商いを支える舞台になろうとしていることを。