作品タイトル不明
海鮮焼きは食べるだけでなく見せる芸。一日の売り上げの利益で鉄板1枚の費用賄えてしまったwww
結局、松阪港の海鮮焼きは、六百個で打ち止めになった。
最後の笹船が客に渡った時、焼き場の女衆たちはもうへとへとだった。
種を流し、タコを入れ、イカを入れ、くるくる返し、味噌醤油を塗り、青のりを振る。
手は止まらず、声も飛び交い続けた。
だが、店の外にはまだ人がいた。
「え、もう終わりなんか」
「今来たとこやぞ」
「さっき見てたら、めちゃくちゃうまそうやったのに」
「もうちょっと焼いてくれへんのか」
ぶうぶうと文句の声が上がる。
博之は店先に出て、頭を下げた。
「申し訳ないです。こちらが、まさかここまで売れると思ってませんでした」
「それ、前にも言うてへんかったか」
どこかの港の男が笑いながら言う。
「ほんまにすいません」
「またやってくれよ」
「そうや。これ、めちゃくちゃ面白いぞ」
「うまいのもそうやけど、見てて楽しいわ」
「飯食うた後でも、あのくるくる返すの見てられる」
「子どもがずっと見とったぞ」
博之は、その声に少し驚いた。
うまいと言われるのは予想していた。
熱々で、タコやイカが入っていて、味噌醤油と青のりが香る。港で売れば、それなりに受ける
だろうとは思っていた。
だが、客は味だけではなく、焼く姿そのものを楽しんでいた。
黒い金型の中で、丸い生地がくるくる返る。
半円が丸になっていく。
味噌醤油を塗ると、じゅっと音がする。
青のりが振られると、港の風に磯の香りが広がる。
それは、飯でありながら、ちょっとした見世物でもあった。
「これは……思ったよりでかいかもしれんな」
博之がぼそりと言うと、お花が横から言った。
「だから言いました。悪い予感がしますと」
「悪い予感っていうか、ええ予感やろ」
「売れすぎると悪い予感になります」
「それはそう」
その日は追加を焼かず、そこで終了とした。残りを無理に作れば、焼き手が倒れる。
種も具も追いつかない。何より、初日から無理をして味を落とすのが一番まずい。
片付けが終わる頃には、焼き場の者たちは座り込んでいた。
「手が痛いです」
「返しすぎて、夢に出そう」
「でも、楽しかったです」
「お客さん、めっちゃ見てましたね」
「“うまい”より、“すごい”って声が多かった気がします」
博之は、疲れた女衆たちに頭を下げた。
「今日はほんまにありがとう。まさか六百全部いくとは思ってなかった」
「旦那様、それ毎回言ってます」
「もう少し学んでください」
「すいません」
屋敷へ戻る頃には、すっかり日が傾いていた。
しかし、休む間もなくヨイチが帳面を開く。
「では、今日の数字です」
「早い。怖い」
「六百組、完売です」
「うん」
「原価が一組二十文ぐらいで、売値が六十文相当やと、四十文利益やなって」
「一組四十文利益で、六百個なら、二万四千文です」
博之は、ぴたりと止まった。
「……二万四千文?」
「はい」
「試作品一枚分、取り返しとるやないか」
「取り返しています」
「一日で?」
「一日で」
広間が少しざわついた。
お花が呆れたように言う。
「旦那様、だから言いました。これはなめない方がいいと」
「いやいやいやいや。こんなに当たると思ってなかったわ」
「旦那様の飯の読みは、だいたい当たるんです」
「だいたいって言うな」
「特に変な道具を使う時ほど当たります」
ヨイチが帳面を見ながら言った。
「結局のところ、試作品一枚を頼んでも、港で一日売れば取り返せることが分かりました」
「そうなるな」
「今、金型は三枚届いています。残り二枚も届く予定です。五枚あれば、
焼き手を増やして、一日の提供量はさらに増えます」
「でも焼き手が追いつかんぞ」
「だから訓練が必要です」
ヨイチが珍しく、少し乗り気な声になった。
「港に関しては、この金型を追加注文してもよいかもしれません」
博之は目を丸くした。
「ヨイチも乗り気か」
「今日の売れ方を見ましたから」
「帳簿の鬼が乗り気になるぐらいか」
「帳簿で見ても、かなり強いです。材料も港なら調達しやすい。見世物として人が集まる。
売り切れれば評判になる。しかも一度焼き手を育てれば、各港へ横展開できます」
お花も頷いた。
「松阪港でこれなら、伊勢港、鳥羽、津、桑名でもかなり強いと思います。特に魚介のある港では、
海鮮焼きの名前が通ります」
「伊勢神宮は?」
博之が恐る恐る聞く。
ヨイチは即答した。
「危険です」
「危険って」
「売れる危険です」
お花も言う。
「週一回のお好み焼きの催しを、何回か海鮮焼きに変えたら、おそらく早い段階で
“店を出しませんか”という話が来ます」
「そんな早いか?」
「来ます」
「肉あんの時もそうでした」
博之は頭を抱えた。
「また伊勢神宮か……」
「旦那様が目指していましたよね」
「目指してたけど、実際に来ると怖いねん」
「いつものことです」
ヨイチは続ける。
「伊勢神宮に出すなら、値段も上げる必要があります。松阪港のように六個六十文では安すぎます。
神宮内なら五個百文、場合によっては六個百五十文もあり得ます」
「肉あんが百五十文やからな」
「はい。信楽焼の器で出す座り食いなら高め。笹船で食べ歩きなら少し抑える。
二段階にするのが良いでしょう」
「また帳簿が細かくなるな」
「細かくしないと壊れます」
お花は、焼き手の話に戻した。
「まずは人です。今日の焼き手は上手でしたが、六百で限界が見えました。金型を増やすなら、
焼き手も増やさないと意味がありません」
「そうやな。これは技や。誰でもすぐにはできん」
「返すのが早すぎると崩れる。遅すぎると焦げる。具の量が多すぎても丸くならない。
味噌醤油を塗るタイミングもあります」
「見世物やけど、ちゃんと技術やな」
「はい」
ヨイチが筆を走らせる。
「海鮮焼き部門。焼き手育成。金型追加検討。松阪港は定期開催。伊勢港、鳥羽、津、桑名へ
順次展開。伊勢神宮は催しとして試験。価格は場所別に設定」
「どんどん増えていくな」
「売れたからです」
博之は、少し疲れた顔で笑った。
「しかし、二万四千文か。一日で試作一枚分取り返したんか」
「はい」
「藤井寺の職人、笑ってたやろな。飯の型に十万文払う馬鹿がおるかって」
「今度は、追加注文を聞いて驚くでしょうね」
お花が言った。
「しかも、その金型で本当に飯が売れていますから」
「職人にも見せたいな」
「見せたら、値段を上げられるかもしれません」
「それは困る」
ヨイチが冷静に言う。
「早めに追加発注した方がいいです。向こうが価値に気づく前に」
「ヨイチ、商人やなあ」
「帳簿係です」
博之は、ごろりと畳に転がった。
「売れて欲しい。でも売れすぎると困る。ほんま難しいな」
「だから、お礼札や周辺店への送客を最初から考えましょう」
「港でもいるか?」
「いります。海鮮焼きだけに客が集中すると、周りの飯屋が困ります。
魚のあら汁、鯛味噌飯、焼き魚へ流す仕組みが必要です」
「また札か」
「また札です」
「飯屋って何なんやろな」
「伊勢松坂屋です」
「答えになってるようで、なってへん」
広間に笑いが起きた。
その夜、海鮮焼きの初日の噂は、すでに松阪の港から町へ広がり始めていた。
丸い飯が、鉄の穴の中でくるくる回る。
タコとイカが入っていて、熱々で、味噌醤油と青のりが香る。
食べるだけではなく、見て楽しい。
藤井寺の金型は、ただの道具ではなくなりつつあった。
それは、新しい飯を生む舞台だった。
そしてその舞台は、松阪港だけで終わりそうになかった。