軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

博之43歳12月。年の瀬の挨拶に松坂郊外の和尚さんの寺に行き一年を振り返る

博之四十三歳の十二月。

年の瀬ということで、博之は奈良の僧たちを連れて、松阪郊外の和尚のもとへ挨拶に向かった。

冬の風は冷たかったが、寺の境内はきれいに掃き清められていた。決して大きな寺ではない。

金銀で飾られた堂があるわけでもない。けれど、庭には枯葉ひとつ残さぬよう手が入っており、

井戸のそばには子どもたちが使う木の札や、読み書きの練習板が整えられていた。

和尚は、奥の間で一行を迎えた。

「ようお越しくださいました。今年も、なんとか一年やりきりましたな」

博之は、深く頭を下げた。

「ほんまに、なんとかやりきれました。やりきれる範囲が広がりすぎて、どうしようかと

思いましたけど」

和尚は、ほっほっと笑った。

「松阪のボロ小屋から始めた飯屋が、伊勢、鳥羽、奈良、津、草津、四日市まで話を広げて

おるのですからな。そら、どうしようかと思うでしょう」

「思いますよ。毎回、帳簿見るたびに怖くなります」

「怖がっておるうちは、まだ大丈夫です」

その言葉に、奈良の年配の僧が頷いた。

「今年一年は、私どもにとっても忘れられない年になりました。伊賀を越え、松阪へ参り、

伊勢へ行き、鳥羽を見て、伊勢松坂屋殿の飯場や炊き出しを学ぶ。これほど深く交流を持つなど、

今まで考えたこともございませんでした」

博之は、少し苦笑した。

「最初は、なかなか強引な始まりでしたけどね」

「ええ。銭の力でこじ開けられたようなものです」

奈良の僧は、あえて正直に言った。

「ですが、今となっては良い経験をさせていただいたと思っております。奈良の郊外でも、

伊勢松坂屋殿とともに炊き出しを始め、少しずつ人が集まるようになってきました。最初の評判は、

決して良くありませんでした。けれど、飯を出し、話を聞き、信楽焼を縁に寄進をいただき、

それをまた町へ返す。そういう形が、少しずつ見え始めております」

和尚は、静かに目を細めた。

「寺のあり方が変わりつつある、ということですな」

「はい」

奈良の僧は頷いた。

「これまで、我らは歴史や格式の上に座っていたのかもしれません。しかし、伊勢で見た小さな寺や、

こちらのお寺のあり方を見て、寺が町に頼られるとはどういうことかを考えさせられました」

和尚は、湯をすすりながら言った。

「格式も大事です。古い書物も、法も、祈りも大事です。けれど、腹を空かせた子どもに、

まず飯を食わせることもまた大事です。読み書きそろばんを少し教え、町で働けるようにする。

そういう小さなことが、十年後、二十年後には人の道になります」

博之は、庭先の子ども用の板を見た。

「うちも、そういうところにはもっと回したいですね。金を使わんと怖いですし」

「また怖いとおっしゃる」

奈良の僧が笑った。

「いや、本当に怖いんです。もう正直、こっちとしてはお金はいらないんです。食えて、

寝られて、店が回って、みんなに給金払えたら十分なんですけど、気づいたら増えるんです」

和尚は、愉快そうに笑った。

「贅沢な悩みですな」

「贅沢すぎて、口に出すのも怖いです」

「しかし、その怖さを忘れずに、どう使うかを考えておられる。それが良いのでしょう」

博之は首を傾げた。

「良いんですかね」

「良いと思いますよ」

和尚は、ゆっくりと言った。

「旦那様には、食い詰めた時の感覚がまだ残っておる。自分が根なし草で、飯に困り、居場所に困り、

人の顔色を見ながら生きてきた感覚です。それが抜けておらぬから、銭を持っても、

ただ積むだけでは怖くなる」

奈良の僧も、深く頷いた。

「その感覚があるからこそ、炊き出し、飯場、寺社への寄進、道の整備、子どもへの読み書きに

銭が向かうのでしょう」

「そうなんですかね」

「そうです。時代が時代です。戦もあり、飢えもあり、国人衆の小競り合いもある。

武家は刀で治めようとしますが、飯と仕事で人をつなぐこともまた、乱世には必要な力です」

博之は、少し黙った。

今年一年、本当にいろいろあった。

伊勢でお好み焼きを出した。

信楽焼の道を太くした。

奈良の僧とつながった。

津の港と郊外に入り、長野家の若侍を抱えた。

草津、四日市、大和高田にも足場を作った。

伊勢神宮では肉あんが当たった。

始まりは、ただ飯を作ることだった。

それがいつの間にか、道を作り、人を動かし、寺社や武家の話にまで入り込んでいる。

和尚は、静かに続けた。

「来年は、さらに広がるでしょうな」

「やっぱりですか」

「今の勢いなら、尾張の方へも目が向くでしょう。京、堺の話もいずれ来るかもしれません」

奈良の僧も言った。

「奈良から見ても、京や堺とのつながりは避けて通れないでしょう。もちろん、

政治の風向き、勢力の変化、戦の動きはございます。けれど、飯がまずくならない限り、

人は集まります」

博之は、そこだけは即答した。

「飯はうまいままでやりますよ」

和尚は笑った。

「そこが一番大事です」

「飯がまずくなったら、うち終わりですから」

「飯がうまく、働く者に給金が出て、周りの店にも客を流し、寺社にも人が集まる。

そこを崩さず、じっくり進めばよいでしょう」

奈良の僧が、湯呑みを置いた。

「今年は、縁が大きく開いた年でした。来年は、その縁をどう根づかせるかの年になるのでしょう」

「根づかせる、ですか」

「はい。広げるだけでは、いずれ倒れます。炊き出しを続ける。読み書きを教える。

道を守る。器を使う。飯を出す。そういう小さなことを続けることが、花を咲かせる

下地になるのだと思います」

博之は、少し肩の力を抜いた。

「ほな、来年もぼちぼちですね」

「ぼちぼちです」

和尚も奈良の僧も、同じように頷いた。

外では、冬の風が竹を揺らしていた。境内の隅では、子どもたちが読み書きの板を片付けている。

博之は、その姿を見ながらぽつりと言った。

「最初は、ただモテたかっただけなんですけどね」

和尚は、にやりと笑った。

「その話は、来年も叶わぬかもしれませんな」

「ひどい」

奈良の僧まで笑った。

「しかし、そのおかげで飯屋がここまで広がったのなら、世の中分からぬものです」

「ほんま、それですわ」

笑い声が、冬の寺にやわらかく響いた。

年の瀬の挨拶は、派手なものではなかった。

ただ、湯を飲み、今年の縁を振り返り、来年の道を少し話しただけだった。

けれど、博之にとっては、久しぶりに肩の力を抜ける時間だった。

金は増えた。

店も増えた。

人も増えた。

怖いことも増えた。

それでも、飯をうまく作り、人に食わせ、使うべきところに銭を回す。

そこだけは、来年も変えずにいこう。

博之は、和尚と奈良の僧に深く頭を下げた。

「今年もありがとうございました。来年も、飯はうまいままでやります」

和尚は穏やかに頷いた。

「それで十分です。飯がうまければ、人はまた来ます」

そうして、白雪四十三歳の年の瀬は、のんびりと、けれど確かな手応えを残して暮れていった。