作品タイトル不明
松坂の城主から最近来てくれないから寂しいから飯多めで来なさいと文がくる。近況報告も兼ねて参上する
ある日、松阪の城主から文が届いた。
「最近、全然遊びに来てくれへんから寂しいぞ。飯を多めに持ってこい」
文を読んだ博之は、しばらく黙った。
「……遊びに来いって何やねん」
お花が横から覗き込む。
「城主様、完全に旦那様を話し相手にされていますね」
「いや、ありがたいけども。飯を多めに持ってこいって、もう普通に注文やん」
ヨイチが冷静に言う。
「持って行きましょう。松阪の城主様との関係は大事です」
「それはわかってる」
「あと、最近いろいろありすぎたので、報告も必要です」
「報告したくないことばっかりやねんけどな」
そう言いながらも、博之は料理を用意させた。
肉あん、鯛味噌の混ぜ飯、少し炙った魚、漬物、柚子蜂蜜湯。さらに、
伊勢で評判の魚のすり身を揚げたものも少し持たせることにした。
松阪の上司の屋敷へ着くと、城主はすでに待っていた。
「おお、来たか。最近来おへんから、わしは寂しかったぞ」
「いやいや、城主様に寂しいとか言われても困りますわ」
「飯屋のくせに、忙しそうにしよって」
「飯屋やから忙しいんです」
「飯屋の範囲を越えとるやろ」
最初から刺された。
博之は苦笑しながら、持ってきた料理を並べさせた。
上司は肉あんを一つつまみ、満足そうに頷いた。
「うむ。これは相変わらずうまいな」
「ありがとうございます」
「で、最近聞いとるぞ」
「何をですか」
「お前、長野の者を匿っとるらしいやないか」
博之は、箸を止めた。
「……成り行きです」
「成り行きで侍を匿う飯屋があるか」
「ほんまに成り行きなんですって」
「言うてみい」
博之は、少し肩を落として話し始めた。
「先に奈良のお坊様方との騒動があったんです。五十万文の寄進の話が来て、
こっちが百五十万文で返して、それで伊賀を越えて松阪まで来てもらって、伊勢、鳥羽まで
見てもらいました」
「それも大概おかしいけどな」
「はい。で、その途中で津、長野の方からも話が来たんです。寺を一つ用意するから、
奈良のお坊様方に津でも説法してほしいと」
「ふむ」
「でも、うちと長野さんは、飯場の件でも揉めてますし、信楽焼の件でも揉めてます。
そんな状態で、奈良のお坊様方を横から連れて行くようなことはできへんと思って断りました」
「それで?」
「その件で、長野家の中で揉めたらしいです。伊賀を越えて信楽焼を買いに行った
若者たちがおるでしょう。あの子らが、実際に道の厳しさとか、うちの袴があるかないかで
扱いが違うこととか、そういうのを見てしまってるんです」
「なるほどな」
「その子らが殿様に進言したら、殿様が怒って、“そんなに飯屋がええなら飯屋に
就職してこい”みたいなことを言ったらしくて」
上司は、そこで大きく笑った。
「言うたんか」
「言うたみたいです」
「で、本当に来たんか」
「来ました」
上司は、肉あんをもう一つ食べながら腹を抱えた。
「ほんま、馬鹿な殿様に振り回されるとやってられへんな」
「いや、笑い事ではないんですけど」
「笑うしかないやろ。しかも、その若者らはちゃんと伊賀越えしたんやろ。
信楽焼の値打ちも、道の怖さも、身に染みて分かったやつらや」
「はい」
「分かったからこそ、殿様を諫めようとした。そしたら殿様がぶち切れた。まあ、そういう筋やな」
「たぶん、そうです」
城主は少し真顔になった。
「ますます、向こうは勝手に崩れとるな」
「そこまで言いますか」
「言うやろ。飯屋に負けてるんやぞ。しかも、戦で負けたんやない。道と飯と銭の回し方で負けとる」
博之は、少し困ったように茶を飲んだ。
「ただ、人のことやと思うと、やりきれへんところはあります。若い子らは、
別に悪い子らやないですし」
「それは分かる」
上司は頷いた。
「上があかんと、下が苦しむ。どこの家でもある話や」
「で、今はうちで下働きさせてます。給金は三倍で」
「三倍?」
「前に言うてしまったんです。伊賀越えまでして、ほんまに危ない思いをしたわけやから、
もし殿様に斬られそうになったら、うちへ来い。三倍で雇って守る、と」
「お前、ほんま口が災いするな」
「その通りです」
「で、実際に来たから、三倍払ってるんか」
「はい。約束したので」
城主はしばらく博之を見て、それからまた笑った。
「律儀なんか、馬鹿なんか分からんな」
「たぶん両方です」
「自覚あるんか」
「あります」
上司は、鯛味噌の混ぜ飯を口に運びながら、さらに聞いた。
「で、その若侍らはどうしとる」
「二週間、薪運び、水汲み、飯場の下働きやらせました。意外と耐えました」
「侍が薪運びか」
「最初はバテてましたけどね。でも、飯は出るし、寝床もあるし、仕事はしんどいけど
理不尽ではないので、なんとかやれてます」
「ふむ」
「で、今は北伊勢方面に連れて行こうとしてます。白子、四日市、亀山、関あたりですね。
買い付け隊の護衛も兼ねて」
城主は箸を止めた。
「お前、本当に誰の味方やねん」
「飯屋です」
「答えになっとらん」
「いや、でも、もしあの子らが長野家へ戻るにしても、北伊勢を見ておくのは損じゃないでしょう。
港、街道、拠点、買い付けの流れ。そういうのを見れば、戻った時にも役に立つ」
「戻る気があるんか」
「多少はあるみたいです。ただ、殿様の機嫌が悪いままなら戻れないでしょうし、
戻らないなら戻らないで、津方面の交渉役として使えるかもしれません」
「ほんま、誰の味方やねん」
「だから飯屋ですって」
城主は、ついに声を出して笑った。
「飯屋のやってることちゃうねん」
「最近、それめちゃくちゃ言われます」
「当たり前や。奈良の坊主を百五十万文で呼んで、伊勢を見せて、九鬼水軍に乗せて、
長野の若侍を三倍で雇って、北伊勢に送り込む飯屋がどこにある」
「ここにおります」
「開き直るな」
博之も少し笑った。
「でも、私は別に長野家を潰したいわけじゃないんです。津とも完全に切りたいわけじゃない。
ただ、今は筋が悪い。奈良のお坊様方を横から引っ張ろうとしたり、寺を一つやるとか
軽く言ったり、そういうのは危ないでしょう」
「危ないな」
「だから、こっちはこっちで、北伊勢を見せて、あの若い子らに経験積ませて、
もし将来、津と話す時が来たら、その口になってくれたらええかなと」
城主は、博之をじっと見た。
「それ、結構ちゃんと考えとるやんけ」
「たまたまです」
「たまたまでここまで来るか」
「たまたま飯屋が大きくなったんです」
「嘘つけ」
城主は、柚子蜂蜜湯を飲み、少し息をついた。
「まあ、長野の若い衆を雑に捨てるよりはええ。伊賀越えをした若者なら、
道の値打ちを知っとる。そういう者は、先々使える」
「やっぱりそう思います?」
「思う。机の上で道を語る奴より、一度でも足を痛めて道を越えた奴の方が信用できる」
「ですよね」
「ただし、抱えすぎるなよ」
「もう遅いかもしれません」
「遅いな」
二人はしばらく笑った。
城主は、ふと真面目な顔に戻った。
「で、長野の方から様子見の若者も来たんやろ」
「はい。調整役の人が、自分が出ると長野家の顔になるから、若い子らに銭を持たせて、
様子を見に来させたみたいです」
「ああ、解決の糸口は探りたいけど、殿様が頭を下げへんから動けへんやつやな」
「たぶん、そうです」
「しばらく難航するやろ」
「でしょうね」
「長野の殿様は、自分が飯屋に振り回されてると思って腹立てとる。けど、実際には自分の言葉で
若い衆を失い、伊勢松坂屋に拾われとる。そら余計に腹立つわな」
「私としては拾っただけなんですけど」
「だから誰の味方やねん」
「飯屋です」
「もうそれで通す気か」
「はい」
城主はまた笑った。
「まあ、ええ。お前は飯屋や。飯屋として飯を出し、人を拾い、道を作っとる。
大名でも武将でもない。だからこそ、みんな扱いに困る」
「私も困ってます」
「お前が一番困らせとるんや」
博之は反論できなかった。
城主は最後に、魚のすり身揚げをつまんだ。
「これもうまいな」
「伊勢では八十文、百文で売ってます」
「知っとる。高いけど売れるんやろ」
「はい」
「ほんま、お前は値段のつけ方も、人の拾い方も、変なところでうまい」
「褒めてます?」
「半分はな」
「もう半分は?」
「面倒な飯屋やと思っとる」
「それもよく言われます」
城主は、しみじみと言った。
「長野の若い衆も、北伊勢を見たらまた変わるやろうな」
「変わると思います」
「それで津との口になるか、完全にお前のところの者になるかは分からん」
「はい」
「ただ、どちらにしても、あいつらにとっては悪くない。殿様の機嫌だけ見て生きるより、
道を見て、港を見て、飯を運ぶ方が、ずっと学びになる」
博之は静かに頷いた。
「そう思ってます」
「なら、やれ」
「はい」
「ただし、報告はちゃんとしろ。寂しいからな」
「最後それですか」
「飯も持ってこい」
「はいはい」
屋敷には笑い声が広がった。
長野の若侍を匿う飯屋。
奈良の坊主を伊勢へ連れ回す飯屋。
北伊勢へ買い付け隊を広げる飯屋。
もう飯屋の範囲を越えている。
けれど、博之は最後まで言い張った。
「私は飯屋ですから」
城主は腹を抱えて笑った。
「だから、飯屋のやってることちゃうねん」