軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

伊勢松坂屋でかかえた長野家の若侍は順調に業務をこなし北伊勢に行く準備をしている。長野家の若い衆が様子をみにくる

長野の若侍たちは、奈良の僧たちとの話を終えてから、少し顔つきが変わっていた。

伊賀を越えたこと。

信楽で受けた扱い。

長野家を出てきたこと。

伊勢松坂屋で薪を運び、水を汲み、飯炊きの手伝いをしたこと。

それらを、奈良の僧たちは静かに聞いてくれた。

「あなた方は、自分の足で道を選んだのです」

そう言われた時、若侍の一人は少し泣きそうになった。

侍としての誇りが砕かれたわけではない。

むしろ、これまで知らなかった別の誇りが、少しだけ見えた気がした。

そんな中、北伊勢方面へ行く準備も進んでいた。

白子、四日市、亀山、関。

伊勢松坂屋の買い付け隊に同行し、護衛も兼ねながら、港と街道と拠点の様子を見る。そこへ

奈良の僧も数人同行することになっていた。

若侍たちは、袴を整え、荷を確認し、買い付け隊の者から注意を受けていた。

「北伊勢は伊賀とは違うけど、油断したらあかんで」

「港は港で揉め事がある」

「伊勢松坂屋の袴を着てる以上、偉そうにするな」

「はい」

そうしているところへ、長野家の若武者たちが数人、ふらりと顔を出した。

門番が警戒し、すぐに中へ知らせる。

しかし相手は刀を抜く様子もなく、むしろ気まずそうに立っていた。

「……様子を見に来ただけや」

先頭の若武者が言った。

「調整役の方に言われてな。あの人が出てくると長野家の顔になってしまうから、俺らで見てこいって」

伊勢松坂屋側に移った若侍たちは、少し驚いた顔をした。

「お前ら……」

「どうしてるんやと思ってな」

広間の端に座らされ、互いに向かい合う。

最初は気まずかった。

同じ屋敷で働いていた者同士である。

片方は残り、片方は出て行った。

だが、飯と茶が出されると、少しずつ言葉が出始めた。

「で、実際どうなんや」

長野家側の若武者が聞いた。

「仕事はきつい」

伊勢松坂屋側の若侍が即答した。

「薪は重いし、水はしんどいし、女衆には普通に怒られる。侍として座ってるだけとは全然違う」

「やっぱりな」

「けど、なんとかなってる」

「なんとか?」

「飯は出る。泊まるところもある。湯もある。給金は本当に三倍になった」

長野家側の若武者たちは、顔を見合わせた。

「本当に三倍なんか」

「本当や。帳簿方に元の給金を聞かれて、その三倍で書かれた」

「飯と寝床も込みで?」

「込みや」

「……そら悪くないな」

「悪くないどころか、正直かなりええ」

別の若侍が、少し苦笑して言った。

「ただ、楽ではない。ここは本当に働かされる。見栄張ってもすぐばれる」

「それで、戻る気はないんか」

その問いに、少し沈黙が落ちた。

伊勢松坂屋側の若侍は、しばらく考えてから言った。

「戻るにしても、どう戻るんや」

「殿は……お前らが出て行ってから、かなり荒れてる」

「やろうな」

「飯を出す若い者までびくびくしてる。屋敷の中が変な空気や。相談役も頭を抱えてる」

「殿様は何か言うてたか」

「表向きは、勝手に出て行ったんやろ、という感じや。でも、様子は見ろと言うてる。

だから俺らに銭を持たせて、松阪で飯を食ってこい、伊勢松坂屋の飯の秘密でも探ってこい、

みたいなことを言われてる」

それを聞いて、伊勢松坂屋側の若侍は苦笑した。

「飯の秘密ってなんやねん」

「分からん」

「出汁やろ」

「それを持って帰ったら解決するんか」

「せえへんやろ」

少し笑いが起きた。

だが、すぐにまた静かになる。

「正直、今戻っても無駄やと思う」

伊勢松坂屋側の一人が言った。

「なんでや」

「殿様の機嫌が悪いままなら、また同じことを繰り返すだけや。俺らが戻って、

給金を同じ額に戻されて、また何かあった時に怒鳴られて、それで終わりやろ」

「それは……」

「こっちは三倍や。飯も寝床もある。もちろん、金だけで決める話やない。けど、

こっちでは働いたら働いた分、何か見える。今度は北伊勢に行かせてもらえる」

「北伊勢?」

「白子、四日市、亀山、関。その辺を買い付け隊と一緒に回る。警備も兼ねてな。旦那様に、

見てこいと言われた」

「四日市まで行くんか」

「そうや。港ができてるらしい。そこを見れば、津や北伊勢のことも少し分かるやろ」

長野家側の若武者たちは、少し身を乗り出した。

「それは……大きいな」

「俺らもそう思う。戻るかどうかは分からん。でも、北伊勢を見て、港を見て、関を見て、

伊勢松坂屋の袴でどう通れるかを知る。それは損にはならん」

「津はどうするつもりなんや」

「今すぐどうこうはない。旦那様も、津は急がんと言うてる。揉めてるからな」

「そらそうやろな」

「ただ、津の郊外とか、津の寺社とか、港町の方で何かできる可能性はあるかもしれん。

けど、それは関係性次第や」

「関係性か」

「少なくとも、俺らを抱えた時点で、伊勢松坂屋と津の間に何かしら口はできたと思う。

ええ口か悪い口かは分からんけど」

長野家側の若武者は、頭を抱えた。

「なんとかならんかなあ」

「何をや」

「殿と伊勢松坂屋の関係や。今のままやと、こじれる一方や」

「殿様が頭を下げるとは思えへん」

「思えへん」

「旦那様も、津にはかなり警戒してる」

「やろうな」

「でも、調整役がちゃんと話を持ってくるなら、たぶん完全には切らへんと思う。

あの人、なんやかんや飯を食わせるから」

長野家側の若武者は、少し考え込んだ。

「もし、お前らが津方面の交渉役になったら、話はやりやすいかもしれんな」

「俺らが?」

「お前らは長野家の中を知ってる。伊勢松坂屋の中も、今見てる。どっちの言い分も

分かるようになるかもしれん」

「そんな大層なもんやない」

「いや、でも実際そうやろ。伊勢松坂屋が津界隈で何かする時、お前らが間に入れば、

少なくとも言葉は通じる」

伊勢松坂屋側の若侍は、少し黙った。

自分たちは逃げてきたつもりだった。

だが、ここでは逃げてきた者としてだけではなく、津を知る者として見られ始めている。

「とりあえず、俺らは北伊勢に行く」

やがて、一人が言った。

「すぐには帰らん。帰る帰らんを決めるのも、その後や」

「分かった」

「調整役にはそう伝えてくれ。俺らは逃げて遊んでるわけやない。下働きもしてるし、

買い付け隊にも行く。そこで見たものを、必要なら話す」

「必要なら?」

「殿様に怒鳴られるためだけには戻らん、ということや」

長野家側の若武者は、苦笑した。

「それも伝えるんか」

「柔らかくしてくれ」

「難しいな」

「調整役なら分かるやろ」

その時、女衆が茶を足しに来た。

「話はまとまりました?」

「まあ、少しは」

「ほな、せっかく来たんやから飯食べていきなさい。銭持ってきたんやろ」

長野家側の若武者たちは、少し慌てた。

「あ、はい。払います」

「えらいえらい。うちはただ飯ばっかり出してるわけやないからね」

伊勢松坂屋側の若侍が笑った。

「飯はうまいぞ」

「それは楽しみや」

「出汁の秘密、ちゃんと探って帰れよ」

「分かる気がせん」

少しだけ、昔の同僚同士の空気が戻った。

だが、もう以前と同じではない。

片方は長野家に残り、片方は伊勢松坂屋の袴を着ている。

けれど、その間に細い口ができた。

飯を食いながら、長野家側の若武者たちは、店の動きを見た。

女衆が速い。

男衆が荷を運ぶ。

帳簿方が数字を見ている。

若侍たちが汗を流しながら、当たり前のようにその中へ混じっている。

「……やっていけてるんやな」

小さく呟くと、伊勢松坂屋側の若侍が答えた。

「まだ分からん。でも、二週間は耐えた」

「そうか」

「次は北伊勢や」

長野家側の若武者は頷いた。

「分かった。相談役に伝える。すぐには戻らん。北伊勢へ行く。戻るかどうかはその後。話し合いの口は、完全には閉じてない」

「それで頼む」

「あと、飯はうまかったと伝える」

「それは絶対伝えろ」

そう言って、互いに少し笑った。

その日の夕方、長野家側の若武者たちは松阪を後にした。

持ってきた銭は、飯代と湯代としてきちんと払った。

そして胸の中には、少し重い報告を抱えていた。

若侍たちは、戻る気がないわけではない。

だが、今すぐ戻る気もない。

彼らは伊勢松坂屋で働き、北伊勢へ向かおうとしている。

長野家と伊勢松坂屋の間には、まだ細い糸が残っている。

それを切るか、結び直すかは、これからの動き次第だった。