作品タイトル不明
長野の若い衆を抱えて2週間。ちょうどお坊さんと鉢合わせたので事情を話し話す機会を設ける。北伊勢方面を見せるつもりなんで同行してこらえるとありがたい
長野の若い衆が伊勢松坂屋に来てから、二週間ほどが過ぎた。
最初は薪を運ぶだけで息を切らし、水桶を持てば肩を痛め、女衆に怒られては小さくなっていた
若侍たちも、少しずつ店の空気に慣れ始めていた。
朝は早い。
飯場の火を起こし、水を運び、米を洗い、荷を動かす。
昼はまかないを食べ、午後は買い付けの荷の整理や護衛の稽古、時には湯浴みどころの
薪運びまでやらされる。
侍として見れば、かなり格好のつかない仕事だった。
だが、彼らは逃げなかった。
飯はうまい。
寝床はある。
仕事はしんどいが、理不尽ではない。
怒られる時も、なぜ怒られるのかが分かる。
長野の屋敷にいた頃とは、まるで違った。
二週間が終わった日、博之は若侍たちを広間に呼んだ。
「とりあえず、二週間よう耐えたな」
若侍たちは、そろって頭を下げた。
「ありがとうございます」
「まだ仮やけどな。正式にどうするかは、もうちょっと見る。ただ、逃げずにやったのは偉い」
そう言われて、若侍たちは少しだけ顔を上げた。
広間には、ちょうど奈良から来ている僧たちも何人かいた。写本や薬草の話をしに、
松阪の寺社を回っていた一行である。
博之は、その僧たちの方を見た。
「お坊様方、ちょっとお願いがあるんですけど」
「何でございましょう」
「こいつらに、少し話を聞かせてやってくれませんか」
若侍たちは、驚いて博之を見た。
「我らに、ですか」
「そうや」
博之は、少しだけ真面目な顔になった。
「今回、奈良からお坊様方に来てもらったやろ。その時、実は津の方、長野の方からも話が
来てたんです。寺を一つ用意するから、そっちでも説法してくれへんか、とか、いろいろ」
奈良の僧たちは、すぐに事情を察したように頷いた。
「その話は、少し聞いております」
「はい。うちはそれを断りました。今の津との関係で、奈良のお坊様方を横から連れて
行くようなことはできへんと。そしたら、向こうで揉めて、こいつらが長野家から飛び出して
きたんです」
若侍たちは、少し気まずそうに目を伏せた。
博之は続けた。
「こいつらは、ただ逃げてきたわけやないと思ってます。伊賀を越えて、信楽まで行って、
うちの袴があるかないかで扱いが変わることを見て、殿様に言うべきことを言うた。
その結果、身の振り方を決めざるを得なくなった」
奈良の年配の僧が、静かに若侍たちを見た。
「なるほど」
「別に、今後どうするかは分かりません。長野家へ戻るのか、うちで働くのか、
それとも別の道を選ぶのか。そこはまだ決めんでええと思ってます」
博之は、若侍たちの方を見た。
「けど、このご縁のいざこざの中に身を置いた子らです。お坊様方の話を聞く権利くらいは
あると思うんです」
若侍の一人が、思わず顔を上げた。
「旦那様……」
「泣くなよ」
「泣いておりません」
「目が潤んでるぞ」
「……すみません」
お花が横で静かに笑った。
「旦那様、こういうところは甘いですね」
「甘いかもしれん。でも、見てしまったからな」
博之は、奈良の僧たちに向き直った。
「よかったら、この子らと少しおしゃべりしてもらえませんか。
説法というほど大げさでなくてもいいです。奈良で見たこと、伊勢で見たこと、寺が町と
どう関わるか、銭や飯や道の話、何でも」
年配の僧は、ゆっくり頷いた。
「もちろんでございます。彼らは、今回の一連の出来事のただ中にいた方々です。
話すべきことは多いでしょう」
「ありがとうございます」
「むしろ、こちらからも聞きたいことがあります。長野家のこと、津の寺社のこと、
伊賀を越えた時に何を感じたのか。そうした話は、我らにも学びになります」
若侍たちは、驚いたように顔を見合わせた。
自分たちは、話を聞く側だと思っていた。
だが、奈良の僧たちは、自分たちの経験も聞きたいと言う。
博之は、そこでさらに話を続けた。
「それと、もし可能ならなんですけど」
「はい」
「この子らを、今度、白子や四日市の方へ連れて行こうと思ってます。伊勢松坂屋の袴を着せて、
買い付け隊と一緒に行かせる。北伊勢の港、街道、亀山、関、その辺を見せたいんです」
「北伊勢の道を、ですか」
「はい。こいつらは元々長野の若い衆です。津の事情も多少知ってる。戻る気があるか
どうかは分かりませんけど、戻らないなら戻らないで、津方面との交渉役として使えるかもしれない」
ヨイチが補足する。
「長野家と正式に敵対するつもりはありません。むしろ、将来的に調整口になる可能性があります。
そのためにも、彼らには松阪だけでなく、白子、四日市、関、亀山の現場を見てもらう必要があります」
博之は頷いた。
「もしお坊様方の中で、道中一緒に行ってもいいという方がいれば、北伊勢の寺社や港町の様子も
見てもらいたいんです。津そのものは今すぐ難しいかもしれん。でも、津の港町の寺社や
周辺の話を知るだけでも、先々のためになる」
若侍の一人が、声を詰まらせた。
「そこまで……考えてくださっているのですか」
「そら考えるやろ」
博之は、少し照れたように言った。
「あんたらを三倍で雇ってるんや。薪運びだけで終わらせるには高すぎる」
広間に少し笑いが起きた。
だが、若侍の目には涙が浮かんでいた。
「我らは、殿に捨てられたものと思っておりました」
「まだ捨てられたかどうかは分からん。勢いで言うたことかもしれんし、
向こうも今ごろ困ってるかもしれん」
「それでも、戻れる場所があるとは思っておりませんでした」
博之は、少し困ったように頭をかいた。
「うちは戻る場所というか、飯食う場所や。働く場所や。けど、ここで働きながら考えたらええ。
長野へ戻るのか、うちに残るのか、津方面の橋渡しになるのか。急いで決めんでええ」
奈良の僧が静かに言った。
「身の振り方を決める時ほど、急いではなりません。伊賀の道を歩いた者なら分かるでしょう。
足元を見ずに進めば、転ぶ」
若侍たちは、深く頭を下げた。
「はい」
「それに、あなた方はすでに一度、自分の足で道を選んだ。その経験は軽くありません」
僧の言葉に、若侍たちはさらに胸を詰まらせた。
博之は、場がしんみりしすぎるのを嫌って、手を叩いた。
「ほな、今日は飯の後でお坊様方と話をしよう。伊賀の話、津の話、松阪の話、何でもええ。
明日からはまた働く。二、三日したら、北伊勢行きの準備や」
「はい」
「それと、偉そうにするなよ。伊勢松坂屋の袴を着て行くんやから、うちの看板を背負うことになる」
「承知しております」
「よし。ほな飯や」
お花が笑った。
「結局、飯ですね」
「まず飯や。説法も飯の後の方が腹に入る」
奈良の僧たちも笑った。
その晩、若侍たちは奈良の僧たちと向き合い、長く話をした。
伊賀を越えた時の恐ろしさ。
信楽で受けた扱い。
松阪屋の袴の重み。
長野の殿様に言った言葉。
そして、ここで薪を運び、飯を食い、女衆に怒られながら少しずつ心が落ち着いてきたこと。
僧たちは、それを静かに聞いた。
その姿を遠目に見ながら、博之はぼそりと言った。
「なんか、また面倒見てもうたな」
ヨイチが即座に答える。
「旦那様の得意技です」
「得意技なんかな」
「はい。飯を食わせて、道を見せて、気づいたら人を抱えています」
お花も笑った。
「でも、今回は悪くないと思います。あの子たちは、ちゃんと考えようとしていますから」
博之は、若侍たちを見た。
彼らの顔には、まだ迷いがある。
けれど、ただ怯えていた時の顔ではなかった。
「ほな、北伊勢で一皮むけてもらうか」
ヨイチは帳面を開いた。
「また費用が増えますね」
「今それ言うな」
こうして、長野の若い衆は、ただの駆け込み者ではなくなり始めた。
奈良の僧との対話を通じて、自分たちが何を見て、何を選ぶのかを考える者になっていった。
そして次は、白子、四日市、関、亀山へ。
伊勢松坂屋の袴を着た若侍たちは、新しい道へ出る準備を始めるのだった。