作品タイトル不明
楽しい楽しい帳簿の時間。10月3週目。2週目末までの帳簿。2,330万文→2,870万文www買い付けを増やすか?
「旦那様。楽しい楽しい帳簿の時間でございます」
ヨイチが帳面を抱えて入ってきた瞬間、博之は畳に倒れ込んだ。
「ええ、もうええやんけ。今回めちゃくちゃ頑張ったやろ。奈良のお坊さんら連れて、松阪見せて、
伊勢見せて、九鬼水軍に乗せて、お伊勢さんにも行って、長野の若い子らまで引き取って、
もう十分働いたやんけ」
「はい。ですので、その全部を帳面に残さないと危ないです」
「危ない?」
「危ないです。旦那様は“なんかいろいろした”で済ませようとされますが、銭は動いております。
人も動いております。拠点も増えております。若侍も増えております。これを帳面に入れずに
放っておいたら、後で何が何だか分からなくなります」
お花も横で頷いた。
「旦那様、今回は逃げられません」
「毎回逃げられへんやん」
「毎回逃げようとされるからです」
ヨイチは淡々と帳面を開いた。
「まず、今期はいろいろ動きました。肉あんは松阪だけでなく、他の店舗、他の拠点にも
広げております。中身を土地ごとに変えれば使いやすいので、これはかなり強いです」
「肉あん、やっぱりいけるか」
「いけます。特に、伊賀、名張、信楽、大和八木のような赤字になりやすい拠点で、
少しずつ売上を支える形になっております」
「よしよし」
「一方で、鯛味噌の混ぜ飯、お茶漬けについては、まだ本格展開しておりません」
「あれは鳥羽とか港町向けやな」
「はい。今は試作段階です。数字にはまだ大きく入れていません」
博之は少し安心した顔をした。
「よかった。全部数字に入れられたら怖い」
「怖いのはこれからです」
「やめて」
ヨイチは続けた。
「また、計算を少しでも楽にするため、大きい城下町や大きい拠点については、家賃、飯場維持費、
人件費、雑費を高い方にそろえて計上しました」
「高い方にそろえるんか」
「低く見積もると後で泣きますので」
「それはそうやな」
「小さい拠点についても、ざっくり大きめに見ています。さらに、謎経費も多めに計上しています」
「謎経費って何やねん」
「旦那様が急に“袴百枚作れ”とか“包み紙がいる”とか“奈良に百五十万文積め”とか言い出す費用です」
「それは謎やな」
「はい。謎です」
お花が笑った。
「旦那様専用の災害対策費みたいなものですね」
「俺、災害扱いなん?」
「近いです」
「ひどい」
ヨイチは数字を読み上げた。
「全体としては、ほぼ黒字です。ただし、奈良はマイナス三十七万文です」
「まあ、奈良はしゃあないやろ」
「はい。二十万文ほど追加で撒いておりますし、まだ郊外拠点が一つ立ち上がった程度です。
百五十万文の寄進本体は別枠で整理済みですが、周辺の支度、案内、袴、飯、寺社交流などの
費用が乗っています」
「奈良はこれからやな」
「そうです。次に、草津はマイナス四万文。こちらは拠点が二つ立ち上がっております」
「草津、もう二つか」
「関から入る道と、信楽へつなぐ道を見ていますので、最低限の飯場と荷置き場を整えました。
まだ利益は薄いですが、情報の価値は大きいです」
「よし」
「大和八木は、城下町側に拠点が一つ追加されました。郊外だけでなく、城下にも根が
入り始めています」
「そこは嬉しいな」
「はい。奈良へ向かう足場として、かなり重要です」
ヨイチは帳面をめくる。
「小さい拠点全体については、ざっくりマイナス二十五万文として見ています。
細かくやればもう少し変動しますが、今回は大枠で見ます」
「雑やけど、もうそれでええ」
「雑ではなく、管理可能な単位にまとめたのです」
「言い方が賢い」
「大事です」
ヨイチは、そこで一呼吸置いた。
「そして、広域の買い付け隊の利益を合わせます」
「来たな」
「現在、各拠点では基本六万文ほど買い付けています。伊勢と松阪だけは十万文です」
「伊勢と松阪は別格やな」
「はい。伊勢小物、松阪木綿、信楽焼、魚関係、紙、包み、その他の品がよく動いております。
買い付け品は、拠点によって一・五倍、伊賀越えや遠方では二・五倍から三倍、場合によっては
さらに上で動いています」
「やっぱり買い付け隊が強いな」
「強いです。飯屋の利益に、物流の利益が乗っております」
博之は、少し嫌そうに顔をしかめた。
「飯屋やのに」
「もう飯屋だけではありません」
「言わんといて」
ヨイチは、淡々と結論を言った。
「諸々合わせまして、今期の純増はプラス五百四十万文です」
博之は、しばらく沈黙した。
「……は?」
「五百四十万文です」
「奈良に撒いて、草津も立てて、若侍も雇って、謎経費も引いて、それでも?」
「それでもです」
「怖すぎるやろ」
「合計で、二千八百七十万文になります」
博之は、完全に畳へ沈んだ。
「全然めでたくない」
「おめでとうございます」
「言うな。こんな膨らましてどないすんねん」
ヨイチは、そこでさらりと言った。
「では、買い付け隊をもう少し増やしますか」
「怖い提案をすな」
「奈良も見に行くのであれば、信楽焼を伊勢へ回すだけではなく、奈良方面へ回すこともできます。
奈良の寺社、門前、町衆にとって、信楽焼や伊勢小物は珍しいでしょう。買い付け量を倍にしても、
やる価値はあるかもしれません」
「倍か」
「ただし、未知数です。奈良の受け入れ、値付け、寺社筋、運搬、破損、すべて要相談です」
お花が言った。
「奈良は、まだ広げ始めたばかりです。焦るとまた足元を見られます」
「それは嫌やな」
「はい。ですが、奈良の僧侶たちとの交流が続けば、向こうの名産や需要も分かってくるはずです。
そこで買い付けを増やす方が安全です」
博之は、少しだけ起き上がった。
「今は各部署六万文、伊勢と松阪だけ十万文。そこは維持やな」
「はい。次の段階で、奈良、草津、四日市あたりをどう増やすか要相談です」
「四日市は港が立ち上がったばっかりやし、草津は道の意味がでかい。奈良はもうちょっと広げたい」
「そうですね。奈良は、郊外一つでは足りません。門前、寺社周り、旅人向け、飯場、学びの場。
少なくとも数か所は必要になると思います」
「また増えるやん」
「増えます」
「怖いなあ」
「旦那様が百五十万文を積んだからです」
「そうやった」
広間に笑いが起きた。
ヨイチは帳面を閉じた。
「今期まとめです。肉あんは拡大。鯛味噌茶漬けは未展開。大きい拠点の費用は高めに統一。
謎経費も多めに計上。奈良はマイナス三十七万文、草津はマイナス四万文、大和八木は城下拠点追加。
小拠点全体はざっくりマイナス二十五万文。買い付け隊利益込みで、純増五百四十万文。
総額二千八百七十万文です」
「言葉にすると、やっぱり怖い」
「怖がってください。怖がらないと、また三百万文積むとか言い出します」
「言いそうで嫌やな」
お花が茶を差し出した。
「でも、旦那様。銭が増えているということは、それだけ飯場も、人も、道も増えている
ということです」
「そうやな」
「抱えてしまった以上、怖がりながら使うしかありません」
博之は茶を飲み、ため息をついた。
「ぼちぼちやっていこう。奈良はもうちょっと広げる。草津も焦らん。買い付け隊の倍増は次に相談。
四日市も様子見」
「承知しました」
「あと、帳簿はもう今日は終わりな」
ヨイチはにっこり笑った。
「では、次回は若侍の給金三倍分も入れます」
「まだあった」
「あります」
博之は、また畳に倒れ込んだ。
「飯屋やのに、なんでこんな帳簿になるんや」
お花が笑った。
「飯屋を広げすぎたからです」
ヨイチも頷いた。
「そして、まだ広がります」
「やめてくれ」
そう言いながらも、博之の顔には、少しだけ笑みが浮かんでいた。
怖い。
けれど、道はできている。
飯場は増えている。
人は働き、銭は回り、奈良も草津も四日市も、少しずつ伊勢松坂屋の縁の中に入り始めていた。