軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

奈良のお坊まが松坂へ到着。満身創痍。博之たちが出迎える。嫌味を言うつもりだったが姿を見て湯あみとご飯をすすめる。

翌日の夕方、奈良の僧たちは、ようやく松坂へ入った。

大和八木を出て、名張を通り、伊賀を越え、伊賀の寺で一泊し、さらに松坂へ向かう。

伊勢松坂屋の袴を着ていたとはいえ、初めての伊賀越えは、奈良の僧たちにとって

想像以上に厳しかった。

足は痛み、肩は重く、顔には疲れがにじんでいる。衣も袴も土と汗でくたびれていた。

松坂の入口で出迎えた伊勢松坂屋の者が、深く頭を下げた。

「ようこそお越しくださいました。ご無事で何よりでございます」

年配の僧は、息を整えながら言った。

「なんとか、たどり着きました」

案内役の地侍が笑った。

「初めての伊賀越えで、脱落者が出なかっただけでも大したものです」

若い僧の一人は、ほとんど泣きそうな顔で言った。

「もう、足が棒でございます」

「でしょうな。あの道は、慣れている者でも楽ではありません」

地侍は、少し真面目な顔で続けた。

「それでも皆様がここまで来られたのは、旦那様が道中にいろいろ手を打ったこともありますが、

それだけではありません。皆様ご自身に、返すべきものがあるという思いがあったからでしょう」

年配の僧は、黙って頷いた。

道中、何度も伊勢松坂屋の拠点を見た。

飯場。

荷置き場。

寺社への寄進。

地侍の護衛。

炊き出し。

予備の草鞋。

湯。

寝床。

道のところどころに、まるで見えない糸のように、伊勢松坂屋の手が入っていた。

地侍が言った。

「道中、ちょいちょいありましたでしょう。飯場や荷置き場、袴を着た者たち、寺社への礼。

あれは、残りの銭を通すためにも手を尽くしているんです」

「残りの銭……」

「はい。九十万文を、これから大和八木へ通す。そのためにも、今のうちに道を厚くしているんです」

若い僧たちは顔を見合わせた。

本当に九十万文を通すつもりなのだ。

大和八木で三十万文を見た時点で、半ば分かってはいた。

だが、実際に伊賀の道を越え、その道に銭が撒かれているのを見てしまうと、

もう疑う余地はなかった。

年配の僧は、静かに言った。

「ここまで来ると、もはや疑う方が愚かですな」

そうして、一行は伊勢松坂屋の本店へ案内された。

本店には、すでに人が集まっていた。

ヨイチ、お花、古参衆、松坂の店の者たち。

さらに、博之がいつも世話になっている郊外のお寺の和尚も来ていた。

何人かの地侍も控えている。

奈良の僧たちは、一瞬身構えた。

これは手厚い歓迎なのか。

それとも、百五十万文の件で嫌味を言われるための場なのか。

奥から博之が出てきた。

いつものように、どこか気の抜けた顔をしているが、目だけは妙に楽しそうだった。

「遠いところ、ようお越しくださいました」

年配の僧が頭を下げる。

「このたびは、過分なご寄進をいただくことになり……」

「ああ、その話は後でええです」

博之は、手を振った。

「まずは湯浴みに入ってください」

「湯浴み、でございますか」

「はい。二種類あります。普通の湯と、高い湯浴みがあります。今日は高い方を

用意しておりますので、そこで汚れを落としていただいて、着替えて、それから飯を食べてください」

若い僧たちの顔が、少しだけ明るくなった。

博之は笑った。

「本当ならね、今回の文のやり取りで、百五十万文も持たせてもらうわけやから、

どんなありがたい話を聞かせてもらえるんやろうな、とみんなでにやにやしながら聞こうと

思ってたんですよ」

奈良の僧たちの背筋が少し伸びた。

博之はすぐに続けた。

「でも、お坊様方がそこまでボロボロになっておられるので、それをやるのは

ちょっとかわいそうかなと思いまして」

お花が横から言った。

「旦那様が珍しく人の心を出しました」

「珍しくって何や」

「珍しいです」

場に少し笑いが起きた。

奈良の僧たちも、緊張が少し緩んだ。

博之は年配の僧に向き直った。

「別に、取って食うつもりはございません。まず湯に入ってください。飯を食べてください。

その上で、道中の話や、大和の寺社のお話、奈良の書物や薬や暦の話、ゆっくり

聞かせていただければと思っています」

年配の僧は、少し驚いた顔をした。

「すぐに話を、ということではないのですか」

「伊賀越えしてきた人に、いきなり説法せえとは言いませんよ。私も鬼ではありません」

ヨイチが小さく言った。

「時々鬼より性格が悪いですが」

「聞こえてるぞ」

「聞こえるように申しました」

和尚が穏やかに笑った。

「まずは体を休めるのがよろしいでしょう。疲れた体では、ありがたい話も、商いの話も、

腹に入りません」

博之は和尚を指した。

「こちらが、うちが一番お世話になっている和尚さんです。私がまだボロ小屋で店を始めた頃から、

いろいろ助けていただいています」

奈良の僧たちは、和尚へ丁寧に頭を下げた。

和尚も静かに頭を下げ返した。

「遠路、ようお越しくださいました。奈良の寺社の方々とお話しできるのを、楽しみにしておりました」

年配の僧は、少しだけ安堵したように息を吐いた。

この場は、確かに圧がある。

百五十万文という銭の重みもある。

伊勢松坂屋の者たちの視線もある。

だが、少なくとも今すぐ責め立てる場ではないらしい。

博之が手を叩いた。

「では、湯浴みへご案内して。着替えの袴もあります。汚れたものは洗わせます。

足を痛めている方は、薬を塗ってもらってください」

女衆がすぐに動く。

「こちらへどうぞ」

「荷はこちらでお預かりします」

「足元、お気をつけください」

若い僧たちは、案内されながら、思わず周囲を見た。

本店の中は、思った以上に人が多い。

男衆、女衆、子ども、帳簿方、買い付け隊。

誰もが忙しそうに動いているが、乱れてはいない。

湯浴みどころに向かう途中、肉あんを焼く匂いがした。

別の場所では、味噌汁の香りがする。

奥では、何かを包む紙に朱印を押している者もいる。

「これが……飯屋なのか」

若い僧の一人が小さく呟いた。

隣の僧が答えた。

「飯屋であり、町であり、道なのでしょう」

湯に入ると、体の疲れが一気に出た。

足の痛み。

肩の重さ。

背中のこわばり。

伊賀の道で張りつめていた気が、湯の中でほどけていく。

湯から上がると、清潔な袴が用意されていた。

その後、広間に通される。

そこには、温かい飯が並んでいた。

混ぜ飯。

味噌汁。

焼き魚。

漬物。

少しの肉あん。

柚子はちみつ湯。

博之は、席に着いた僧たちに言った。

「まずは食べてください。話はその後で」

年配の僧は、箸を取り、静かに一口食べた。

そして、目を伏せた。

「……ありがたい」

それは、社交の言葉ではなかった。

伊賀を越え、足を痛め、緊張の中でたどり着いた体に、飯が染みた。

博之は、にやにやしそうになる顔を少し抑えながら言った。

「百五十万文の話は、逃げませんので」

和尚が横で笑った。

「銭の話も、法の話も、飯の後がよろしい」

奈良の僧たちは、ようやく少し肩の力を抜いた。

取って食われるわけではない。

だが、ただ歓迎されているだけでもない。

この飯、この湯、この袴、この場そのものが、伊勢松坂屋というものを見せるための仕掛けなのだ。

年配の僧は、静かに箸を置き、博之に頭を下げた。

「まずは、このもてなしに感謝いたします」

博之は軽く手を振った。

「いえいえ。遠いところ来てもらいましたから」

そして、少しだけ悪い顔で付け加えた。

「明日から、いろいろ見てもらいますので」

奈良の僧たちは、また顔を見合わせた。

旅は、ようやく松阪に着いた。

だが、本当の見聞は、ここから始まるのだった。