軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

長野家のことの顛末。城主はこの一連の行動に反省したが、若武者たちが対応次第で伊勢松坂屋に逃げる算段だったことに動揺する。ただの飯屋と侮っていた

長野の津城へ戻った若武者たちは、すぐに殿の前へ通された。

すでに話は届いていた。

長野家の若い衆が伊賀を越え、信楽まで行ったこと。

伊勢松坂屋の買い付け隊の後ろにつき、信楽焼を自分たちで買おうとしたこと。

そして、泥だらけで戻ってきたこと。

殿は、彼らが入ってくる前から不機嫌だった。

「どういうことや」

若武者たちが頭を下げるなり、殿は声を荒げた。

「信楽まで行って、持って帰ってきたのがこれだけか」

目の前に並べられた信楽焼は、小皿が数枚、湯呑みが二つ、小鉢がひとつ。

たしかに信楽焼ではある。

だが、伊勢松坂屋の棚で見たものに比べれば、どうにも見劣りした。

「一万文使うたと聞いておるが、ほんまにこれだけか。どこかで抜かれたんちゃうんか」

若武者たちは、深く頭を下げた。

「恐れながら、殿。その一万文は、長野家から出たものではございません」

「何?」

「伊勢松坂屋の博之殿より、見聞のために預かった一万文でございます」

殿の眉が動いた。

「博之が?」

「はい。伊勢松坂屋の旦那様の博之殿の意向を受け、“うちの袴なしで信楽へ行き、自分たちで

買ってみよ”ということで、一万文を預けられました」

調整役が、伊勢松坂屋で作ってもらった聞き書きを差し出した。

「こちらに、道中で使った銭、買い付けた品、寺への寄進、飯代、すべて書き付けてございます。

嘘偽りはございません。我らは、伊勢松坂屋の買い付け隊の後ろにつかせていただき、

伊賀を越え、信楽へ参りました」

殿は、文を奪うように受け取った。

そこには、細かく書かれていた。

伊賀の宿では断られたこと。

寺へ泊めてもらうにも、三人で五百文を払ったこと。

帰りも同じく五百文を支払ったこと。

信楽では、初見の長野家の者としては奥の品を見せてもらえなかったこと。

殿への品だと言えば、むしろ値が高くなったこと。

伊勢で名が通っているのは北畠と伊勢松坂屋くらいだと言われたこと。

そして、伊勢松坂屋の買い付け隊だけは、まるで別扱いで奥へ通され、子どもまで

飯を振る舞われていたこと。

殿の顔から、怒りの色が少しずつ薄れていった。

「……そんなに違ったんか」

「はい」

若武者の一人が、静かに答えた。

「袴があるかないかで、扱いはまるで違いました。ただの衣ではございません。

あの袴の裏には、飯、銭、寺社への顔つなぎ、拠点、荷置き場、揉め事の始末、

すべてが乗っております」

調整役も続けた。

「伊勢松坂屋は、伊賀、名張、信楽の拠点へ、半月ごとに五万文ほどを落としているとのことです。

月にすれば十万文。それを各地で継続しております。道中の安全、寺社との関係、荷の置き場、

用心棒代、揉め事の処理。そうしたものを積み重ねたうえで、信楽焼が松阪や伊勢まで

届いております」

「……」

「ですので、三倍で売っていると聞いて、最初は高いと思いました。ですが、今はむしろ割安な

ものもあると感じております」

若武者は、持ち帰った小皿を見た。

「我々が買えたものは、伊勢松坂屋の棚に並ぶものより粗い品です。それでも、この値でした。

伊勢松坂屋が普段買っている品は、信楽での信用と、買い続けてきた実績があって初めて

手に入るものです」

殿は、黙っていた。

怒る言葉が、喉の奥で止まっているようだった。

しばらくして、殿は低く言った。

「伊勢松坂屋というのは、思ったよりも大きい存在なんやな」

「はい」

「これと争うのは、得策ではないな」

調整役は、深く頭を下げた。

「賢明なご判断かと存じます」

殿は、しばらく信楽焼を見つめていた。

「信楽焼は、しばらくええ」

若武者たちが顔を上げる。

「むしろ、わしが軽く見すぎた。お前らを振り回し、危ない道まで行かせた。悪かった」

「殿が謝られることでは」

「いや、ここで謝っておかんと、先々危ない」

殿は、今度は調整役の方を見た。

「もう噂は出回っておるんやろ」

「おそらくは」

「前の騒ぎと同じや。長野家は、また伊勢松坂屋と揉めた。信楽まで行って恥をかいた。

そういう話になれば、格が落ちる」

調整役は、黙って頷いた。

「北畠は、うちをどう見ているか分からん。すぐに攻めるとか、そういう話ではないやろう。

だが、北伊勢の国人衆は違う。うちの殿が商人相手にまたやらかしていると見れば、

小競り合いを仕掛けてくる者も出るかもしれん」

殿の声は、怒りではなく、冷静な恐れを帯びていた。

「そうなれば、商いどころやない。治安が悪くなれば、伊勢松坂屋の市や横丁も閉まるかもしれん。

そうなったら、うちに落ちる銭も止まる」

「はい」

「今あるものに、感謝せなあかんな」

若武者たちは、静かに頭を下げた。

「この顛末は、伊勢松坂屋様にも伝えるよう言われております。伝えてきてもよろしいでしょうか」

殿は、少し間を置いて頷いた。

「伝えてこい。今回は、わしが悪かった。それは飲み込む」

調整役は、ほっと息をついた。

だが、殿はそこで若武者たちを見た。

「で、お前らはどうなんや」

「どう、とは」

「この先、どうしたい」

若武者たちは顔を見合わせた。

やがて、一人が正直に口を開いた。

「申し上げます。もし、今回の話をしたうえで、殿が怒り狂い、我らを罰するようであれば、

我らは伊勢松坂屋へ逃げるつもりでございました」

殿の顔が固まった。

「……何やと」

「伊勢松坂屋の旦那様より、そう言われておりました。命がけで伊賀を越え、

信楽を見た者の話を聞かずに切るようであれば、うちへ来い、と」

「そこまで言われたんか」

「はい。今回伊賀越えをした若者に関しては、今の三倍の給金で雇う。飯も寝床も用意する。

買い付け隊でも、調整役でも、見聞の書き手でも使い道はある、と」

殿は、思わず寒気を覚えた。

それは単なる親切ではない。

もし自分が怒りに任せて若者たちを罰していたら、伊勢松坂屋は彼らを拾った。

そして、その噂は瞬く間に広がっただろう。

長野家は、命がけで見聞してきた若者を粗末にした。

伊勢松坂屋は、その若者を三倍で雇った。

しかも、その見聞に使った一万文すら、伊勢松坂屋の博之が持たせたものだった。

長野家の若者は、伊勢松坂屋の銭で道を見て、伊勢松坂屋に救われ、伊勢松坂屋に

拾われる寸前だった。

その話が、津にも、松阪にも、伊勢にも、北伊勢にも、信楽にも流れる。

「……そこまで問題を大きくするつもりやったんか」

殿は、低く呟いた。

「恐ろしいな」

調整役が静かに言った。

「伊勢松坂屋様は、直接争う気はないと申しておりました。ただし、失敗した若い衆を切るような

相手なら、付き合い方を考える、と」

殿は、深く息を吐いた。

「飯屋やと思って侮っていたが、銭も人も噂も持っておる。下手な小競り合いより怖いな」

「はい」

若武者たちは、黙って頭を下げたままだった。

殿は、しばらく考え込んだ。

そして、ようやく言った。

「お前らは、よう行ってきた」

若武者たちは顔を上げた。

「危ない道を越えて、見てきたことをそのまま話した。それでええ。今回のことは罰せん。

むしろ、よう見てきた」

「ありがたきお言葉」

「ただし、この話は無駄に外へ漏らすな。漏れるやろうが、こちらから広げるな」

「承知しました」

「伊勢松坂屋には、顛末を伝えろ。こちらは一旦、信楽焼について無理を言わん。

津の港と郊外で、今ある取引をきちんと育てる。そう伝えろ」

調整役は、深く頭を下げた。

「承知しました」

殿は、最後に小さく笑った。

「しかし、三倍の給金か」

「はい」

「わしより、よほど人の使い方がうまいかもしれんな」

その言葉に、誰もすぐには返せなかった。

長野家は、今回ようやく、伊勢松坂屋という飯屋の本当の怖さを知った。

刀ではない。

兵でもない。

銭、飯、道、噂、人。

それを握る者を、軽く扱ってはいけない。

殿は、持ち帰られた粗い信楽焼を見つめ、ぽつりと言った。

「高い皿やったな」

若武者が答えた。

「はい。ですが、博之殿から預かった一万文で、値段以上のものを見てまいりました」

殿は頷いた。

「なら、無駄ではなかった」

こうして、長野家はようやく一歩引いた。

信楽焼を欲しがる前に、まず伊勢松坂屋との関係を壊さぬこと。

その重さを、殿自身も飲み込むことになった。