軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

長野家の若武者が松坂にもどる。ボロボロになっている。湯あみとご飯を促すと、先に礼を言わせてくれという若武者たち。伊賀越えが骨身にしみた

翌日の夕方、長野の若武者たちは、ほとんど転がり込むようにして伊勢松坂屋の本店へ戻ってきた。

足元は泥だらけ。袴は乱れ、肩は落ち、顔には疲労がべったり貼りついている。出発前の小ぎれいな

姿とは、まるで別人だった。

店先で待っていた者たちが、思わず声を上げる。

「お前ら、ボロボロやないか」

若武者の一人が、乾いた笑いを漏らした。

「……なんとか帰ってきた」

「そんなにか」

「そんなにや」

彼らが戻る前に、津の方ではひと騒ぎ起きていた。

同行しなかった者のうち何人かが、先に長野の当主へ事のいきさつを説明したらしい。

信楽へ向かった若武者たちは、伊賀で金を取られ、信楽でもまともに扱われず、

伊勢松坂屋の袴の有無で露骨に扱いが違った。

そういう話が伝わると、殿は早朝から怒り出したという。

「どういうことや。わしの名で行って、それほど軽く扱われたんか」

そう怒っていたらしい。

だから、伊勢松坂屋の本店には、若武者たちの帰りを待つ者が何人もいた。

調整役もいる。

先に話を聞いた若い衆もいる。

そして博之も、座敷でごろごろしながら待っていた。

若武者たちが上がってくると、博之はさすがに起き上がった。

「お前ら、ほんまにボロボロやないか」

若武者の一人が、深く頭を下げた。

「なんとか、戻ってまいりました」

「無事で何よりや。まず湯浴みに入れ。飯も食え。話はそれからでええ」

だが、若武者は首を振った。

「いえ、先に一言だけ申させてください」

「なんや」

若武者は、床に手をついた。

「伊勢松坂屋様の買い付け隊の後ろにつけていただき、ありがとうございました。

おかげさまで、殺されずに済みました」

座敷の空気が、静かになった。

博之は、少しだけ目を細めた。

「……そこまで分かったんやな」

「はい」

若武者は、泥のついた手を握りしめた。

「道中、何度も見られました。荷と銭を数える目でした。あの袴がなければ、

声をかけられる前に囲まれていたかもしれません」

別の若武者も続けた。

「伊賀で泊まろうとしても、宿には断られました。寺に入れていただけたのも、

伊勢松坂屋様の買い付け隊が事情を話してくれたからです。ただし、寄進として五百文を払いました」

「帰りも同じやったな」

「はい。行きで五百文、帰りで五百文。飯も薄い味噌と冷飯でした。最初は、

なぜこんな扱いを受けるのかと思いましたが、あれが普通なのだと分かりました」

調整役は、黙って聞いていた。

若武者は、布に包んだ信楽焼を広げた。

小皿が数枚。湯呑みが二つ。小さな鉢が一つ。

たしかに信楽焼ではあるが、伊勢松坂屋の棚に並んでいる品と比べると、形も色も少し粗い。

「一万文をいただきましたが、実際に買い付けに使えたのは九千文ほどです。

行き帰りの寺の寄進を残さなければならなかったので」

「飯代や礼もあるしな」

「はい。信楽では、殿様へ買うものだと言えば、むしろ高くなる。初見では奥の品も

見せてもらえない。伊勢で名が通っているのは、北畠様と伊勢松坂屋様くらいだと言われました」

若武者は悔しそうに唇を噛んだ。

「長野家の者だと言っても、あまり響きませんでした」

「まあ、信楽から見たらそうやろな」

博之は静かに言った。

「さらに、伊勢松坂屋様と揉めたところだとも言われました」

調整役の顔が曇る。

「そこまで話が届いておるのか」

「届いておりました。旦那様の話は面白いから皆が聞くのだ、と。根なし草から始まって、

飯で人を集め、伊勢まで店を伸ばしたという話は、信楽でも知られておりました」

若武者は、広げた皿を見た。

「そして、私の目にも分かります。これは、伊勢松坂屋様の棚に並んでいるものより粗い。

値も高かった。おそらく、変なものをつかまされました」

博之は、少しだけ苦笑した。

「最初なら、そんなもんや」

「はい」

「で、向こうで伊勢松坂屋の買い付け隊はどう扱われてた」

「まるで違いました」

若武者の声が少し震えた。

「奥へ通され、品を見せてもらい、子どもにも飯が出され、窯元の者たちと普通に話しておりました。

売り物になりにくい小皿も、店で使えるなら買う。従業員向けに回す。

そう言って、まとめて買っておられました」

別の若武者が言った。

「職人に言われました。伊勢松坂屋は、銭を撒き、拠点を作り、飯場を作り、横丁を作り、

働き口を作ってくれた。だから大切にするのだと」

博之は黙って聞いていた。

「私たちは、信楽焼を“買えば手に入るもの”と思っておりました。ですが違いました。買えるのは、

道があるからです。顔があるからです。銭を撒いているからです。寺社に話が通っているからです。

荷を守る者がいるからです」

若武者は、深く頭を下げた。

「本当に、何も分かっておりませんでした」

博之は、少し息を吐いた。

「分かったなら、それでええ。まず湯浴みに行け。飯を食え。足も見てもらえ。話はそのあとで、

ちゃんとまとめよう」

調整役が口を開いた。

「その話、こちらで文字にしたためてもよろしいでしょうか」

「むしろ、そうしてくれ」

博之は頷いた。

「長野様に持って帰るなら、感情で言うより文にした方がええ。見たことを全部話してくれ。

道中で何があったか。宿で何を言われたか。いくら払ったか。信楽でどう扱われたか。

うちの買い付け隊がどう扱われたか。全部や」

ヨイチが筆を用意した。

「こちらの好意で、聞き書きはいたします。ただし、都合の良いように飾りません。

見た通りに書きます」

「それでお願いします」

若武者たちは頷いた。

博之は、泥だらけの若武者たちを見ながら、少しだけ柔らかい声で言った。

「今回、一万文で大した皿は買えへんかったかもしれん。でも、その一万文で見てきたものは

大きいと思うで」

「はい」

「殿様には怒られるかもしれん。でも、ちゃんと言え。信楽焼が欲しいなら、ただ欲しいと

言っても無理や。伊賀を越える道を作るか、伊勢松坂屋とちゃんと利を合わせるか、

そのどっちかやと」

「はい」

「それと、袴一枚で安全になるわけやない。その袴の裏に、飯と銭と顔つなぎがある。

それを忘れたらあかん」

若武者は、もう一度深く頭を下げた。

「忘れません」

お花が、湯浴みの者を呼んだ。

「さあ、先に湯へ。冷えた体で話し続けると倒れます」

「ありがとうございます」

若武者たちは、ようやく少し力を抜いた。

湯へ向かう後ろ姿は、疲れ切っていた。

だが、出発前のような軽さはもうない。

彼らは、伊勢松坂屋の袴の意味を見た。

信楽焼の値の意味を見た。

道を作るということの重さを、足の痛みと泥と冷飯で知った。

ヨイチは筆を墨に浸しながら言った。

「では、聞き書きを始めましょう。題はどうしますか」

博之は少し考えた。

「“信楽焼買い付け見聞”でええやろ」

調整役が小さく頷く。

「それを持って、殿に説明いたします」

「怒られるやろうけどな」

「はい。ですが、もう言わねばなりません」

博之はごろりと横になりかけて、また起きた。

「俺も少しだけ同席するわ。今回ばかりは、ちゃんと聞いといた方がええ」

ヨイチが少し驚いた顔をした。

「旦那様が自分から帳面の場に?」

「帳面ちゃう。見聞や」

「似たようなものです」

「うるさい」

座敷に、少しだけ笑いが戻った。

若武者たちは、湯を浴び、飯を食い、そして見たことを語ることになる。

それは、長野家にとっても、伊勢松坂屋にとっても、ただの買い付け失敗談ではなかった。

道を知らない者が、道の重さを知った記録だった。