軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

伊勢に行く前にお好み焼きに海苔の乾燥した粉を女衆がかける儀式を思いつく。よきご縁に伊勢の潮風を

伊勢の上の方へ向かう支度をしている途中で、博之はふと立ち止まった。

「ちょっと確認や」

ヨイチが、荷物の目録を見ながら顔を上げる。

「何をですか」

「お好み焼きの仕上げや」

「また何か足すのですか」

「足すというか、かける」

お花が、少し嫌な予感のする顔をした。

「旦那様の“かける”は、たいてい銭も手間もかかります」

「今回はそんなにかからん。多分」

「多分が怖いです」

博之は、用意された小さな包みを二つ指さした。

「これな。煮干しをすりつぶしたものと、海苔……いや、青苔を乾かして

すりつぶしたものを持って行きたい」

「煮干し粉と、海苔粉でございますか」

「そう。名前は、磯粉とか、潮粉でもええな」

「また名前ですか」

「名前大事やろ」

博之は、手でお好み焼きの上に粉を振る仕草をした。

「お好み焼きは、焼けました。丸く焼きました。味噌醤油を塗りました。そこまではええ。

でも、最後にちょっと華が欲しいねん」

「華」

「そう。平べったい焼き物やから、最後に女衆が、さらさらさらっと青い粉をかける。

茶色い焼き目に青が散る。見た目が急に上等になるやろ」

お花の表情が少し変わった。

「それは、確かに綺麗かもしれません」

「やろ」

「青苔なら、伊勢や鳥羽の海の香りも出せます」

「そこや。伊勢らしさが出る。味が大きく変わるわけやないけど、香りと見た目が変わる」

ヨイチは、煮干し粉の方を見た。

「魚の粉はどうされるのですか」

「それはちょっと研究やな。煮干し、干した小魚、イワシでもええ。すりつぶして、

少しだけかける。魚のコクが入ったら、それはそれでうまいんちゃうかと思って」

「魚の方は、味が強くなりすぎる可能性がありますね」

「そうなんよ。味噌醤油と魚粉で濃すぎるかもしれん。だから、まずは控えめにや」

「青苔の方は、使いやすそうです」

お花は頷いた。

「味を壊しにくいですし、見栄えが良くなります。香りも上品です」

「やろ」

博之は、そこでにやりとした。

「でな、ここからが大事やねん」

「嫌な予感がします」

「ご縁に、潮風をかける」

座敷が静かになった。

ヨイチが筆を止める。

「……はい?」

「ご縁に、潮風をかける」

「二回言わなくて結構です」

「いや、ええやろ。円を焼く。縁を結ぶ。そこへ伊勢の潮風をかける。つまり、

青苔の磯粉を最後にさらさらっと振るわけや」

お花は、少し考えてから言った。

「言葉としては、悪くありません」

「ほら」

「ただし、旦那様が言うと悪くなります」

「なんでや」

「旦那様がにやにやしながら“ご縁に潮風をかけます”などと言うと、縁が逃げる気がします」

「ひどない?」

「かなり本気で言っております」

女衆たちが笑いをこらえていた。

博之は不満そうに言う。

「今、俺がめっちゃ考えたんやぞ」

「考えたことは認めます」

「じゃあ俺が言ってもええやん」

「だめです」

「なんで」

「可愛い女衆が言うから良いのです」

お花は、少し身振りをつけて見せた。

「焼き上がったお好み焼きに、味噌醤油を薄く塗る。そこへ女衆が竹筒を持って、

さらさらと青苔を振る。そして、にこりと笑って言うのです」

お花は、少し声を柔らかくした。

「よきご縁に、伊勢の潮風を」

博之は、思わず黙った。

ヨイチも少しだけ頷いた。

「それは、かなり良いですね」

「やろ?」

博之が言うと、ヨイチがすぐに刺した。

「旦那様ではなく、お花さんが言えば、です」

「そこ強調するな」

女衆の一人が笑いながら言った。

「それ、婚活の場なら絶対受けますよ。女の人も嬉しいと思います」

「親子でもいいですね」

「はい。お参りのあとに、よきご縁に潮風を、と言われたら、なんだかありがたい感じがします」

「ありがたい感じや」

博之は身を乗り出した。

「これ、味やなくて演出やねん。演出でありがたくなる。ありがたくなると、同じ飯でも

値打ちが上がる」

ヨイチがすぐ反応する。

「値段を上げる話ですか」

「いや、まあ、高く売れるというか」

「言いましたね」

「でも、ぼったくりちゃうで。場と物語込みや。内宮に関わる縁会で、女衆が仕上げに潮風をかける。

しかも売上は寄進。これなら、ただの飯よりありがたく見えるやろ」

お花が頷いた。

「イベントごとには合います。通常の横丁では、毎回そこまでしなくてもよいかもしれませんが、

縁会や内宮の催しでは効果があります」

「そうやな。普段は普通に磯粉として置いてもええ。けど、縁会では“ご縁に潮風”や」

「旦那様が言わなければ」

「まだ言う」

「言います」

ヨイチは、煮干し粉の包みを手に取った。

「魚粉の方は、どう扱いましょう」

「それも名前つけたいな」

「またですか」

「磯の旨み、とか」

「無難ですね」

「魚の方は、全部にかけるより、味を濃くしたい人向けに置くか、男衆向け、酒向けかな」

「それがよいと思います。青苔は仕上げに使う。魚粉は別添え、または味噌だれに少し混ぜる

試験にする」

「なるほど」

「特に内宮の催しでは、魚粉を強くしすぎると香りが立ちすぎるかもしれません。青苔だけの方が

上品です」

お花も同意した。

「魚粉は松阪や鳥羽の店で試す方がよいかもしれません。港飯なら合うと思います」

「じゃあ、伊勢に持って行くけど、本命は青苔やな」

「はい。青苔を“伊勢の潮風”として見せる」

博之は、立ち上がって実演の真似を始めた。

「焼き上がりました。味噌醤油を塗ります。最後に、よきご縁に、伊勢の潮風を……」

「旦那様」

お花が即座に遮った。

「だから、それを旦那様がやらないでください」

「練習やん」

「練習でも、少し嫌です」

「ひどすぎるやろ」

女衆たちはついに笑い出した。

「旦那様が言うと、なんか下心が出ます」

「俺のどこに下心があるねん」

「あります」

「即答やめて」

ヨイチが帳面にまとめる。

「伊勢行き追加品。干し青苔、すり鉢で細かくした磯粉。竹筒に入れて仕上げに振る。

口上は“よきご縁に、伊勢の潮風を”。担当は女衆。旦那様は禁止」

「禁止って書くな」

「書きます」

「消せ」

「消しません」

お花がさらに言う。

「女衆も、言い方を揃えましょう。大げさに踊る必要はありません。軽く一礼して、

さらりと振る。品よく、自然に」

「そうそう。踊りやなくて、仕草やな。さらさらっと。あれが華になる」

「竹筒も綺麗なものにしましょう。白子の型紙で模様を巻いてもいいかもしれません」

「それや!」

博之の目がまた輝いた。

「北伊勢の型紙、ここで使えるやん。竹筒に模様紙巻いて、青苔入れて、仕上げに振る。

伊勢、北伊勢、鳥羽、全部つながるやんけ」

ヨイチがため息をついた。

「旦那様、仕上げの粉だけでまた道が増えました」

「でもええやろ」

「良いです。悔しいですが、良いです」

博之は満足そうに頷いた。

「よし。伊勢の城主に会う前に、これも試してもらおう。お好み焼きの最後の一手や」

「はい」

「ご縁に潮風を」

「旦那様は言わないでください」

「一回だけ」

「だめです」

「小声で」

「だめです」

博之はしょんぼりした。

だが、周りはもう分かっていた。

この仕上げは、おそらく当たる。

味噌醤油の香り。

丸く焼いたお好み焼き。

最後に降る、伊勢の青い潮風。

そして、女衆の柔らかな口上。

飯に香りが乗り、香りに物語が乗る。

博之は、自分で言えないことに不満を抱きながらも、にやにやしそうになる顔を必死で抑えた。

「……俺、後ろで見てるだけやな」

「はい」

「ほんまに?」

「はい」

「つらいなあ」

お花は笑って言った。

「ご縁を逃がさないためです」

ヨイチが締めるように言った。

「旦那様、仕上げの潮風より、まず帳簿に風穴を開けないでください」

「最後にそれ言うな」

こうして、伊勢へ持っていく荷に、干し青苔と煮干し粉が加わった。

そして、お好み焼きには新しい仕上げが生まれた。

――よきご縁に、伊勢の潮風を。