作品タイトル不明
伊勢松坂屋で肉あんえびあんを試験販売。常連のじいさんが文句を言いながら2皿食べてかえるwww
伊勢松坂屋本店の一角で、試験販売の「一口肉あん」が並んだ。
六個入り。
肉あんが五つ。
ひとつだけ、赤みのあるエビあん。
値段は試験価格で四十文。
売り文句もまだ固まっていない。
包み方も、焼き加減も、正直まだ荒い。
それでも、店の前には妙に人が集まっていた。
その中で、いつものじいさんが、信楽焼の小皿を前にして、ぶつぶつ言っていた。
「まだ開発途中のもんを出すなんて、店としてどうなんや。客で試すんか。ほんま、
伊勢松坂屋は最近ちょっと調子乗っとるんちゃうか」
そう言いながら、じいさんは一口肉あんをぱくりと食べた。
そして、もう一皿を横に置いていた。
周りの常連が、すぐに突っ込む。
「じいさん、それ二皿頼んで言うセリフちゃいますよ」
「うるさいわ」
「文句言いながら二人前食ってますやん」
「うまいかどうか、ちゃんと見たらなあかんやろ」
「見てるんやなくて食ってるんです」
じいさんは顔をしかめながら、赤い一つを箸でつついた。
「で、この赤いのがあれなんやな。エビなんやな」
店の者が頷く。
「はい。小エビを入れたエビあんでございます。肉あん五つに、エビあん一つです」
「エビは高いやろ」
「高いです。なので、肉あんの方で原価を抑えて、全体として出せるようにしております」
じいさんは鼻で笑った。
「あのおっさんが原価考えてるとは思われへんけどな」
帳面役が横から苦笑した。
「そこは、こちらの帳簿方がちゃんと調整しますので」
「飯にかけてはピカイチやけど、その辺のところはなあ」
「旦那様も、最初の頃はもう少しざっくりしておられました」
「今もざっくりやろ」
「はい。思いつきはざっくりです。ただ、店として出すところまでは、こちらで何とか整えております」
店の者は、少し笑いながら言った。
「旦那様は、練り物や鮪鍋をやり始めたあたりから、頭の中に飯が降ってくるようになったらしいです」
「飯が降ってくるって何や」
「私どもにも分かりません。ただ、突然“なんか来たぞ”と言って、そこから新しい飯の話が始まります」
「怖いおっさんやな」
「はい。怖いです」
「怖いけど、うまいんやから腹立つな」
じいさんは、また一つ肉あんを口へ運んだ。
薄い皮に焼き目がついている。
中には細かく刻んだ鶏、野菜、生姜、大葉。
味噌だれを少しつけると、飯にも酒にも合いそうな味になる。
赤いエビあんは、確かに少しだけ特別だった。
割ると中に小エビの赤みが見え、香りも違う。
「これ、食べ方もいろいろ考えてるらしいですよ」
店の者が言う。
「柚子を使うとか、わさび醤油にするとか、味噌だれを変えるとか」
「また増やす気か」
「いえ、まだ試験です」
「試験、試験って言うけどな。客は食うたら覚えるぞ」
「そこが怖いところです」
帳面役が頷いた。
「ただ、これを安定して作るには、まだ技術が要ります。皮の薄さ、餡のまとまり、焼き時間、
鉄板にひっつかない工夫、エビあんの原価。軌道に乗るまでは時間がかかります」
「ふん」
じいさんは二皿目に手を伸ばした。
「まあ、百食限定なんやろ。流行るのはまだ先やろ」
隣の常連が笑った。
「じいさんが二皿食うてるから、その分、食べる人が減ってますけどね」
「それはじいさんのせいやぞ」
「うるさいわ」
じいさんは不機嫌そうに言いながら、最後のエビあんを見た。
「でも、うまいもんやからしゃあない。わし、もう一通り伊勢松坂屋で食うてるからな。
新しいもんが出たら、やっぱり飛びついてまうんや」
「文句言いながら一番楽しみにしてますよね」
「文句も味のうちや」
「便利なこと言いますね」
じいさんは茶を飲み、満足そうに立ち上がった。
「まあ、まだ未完成や。未完成やけど、また出たら食うたる」
「ありがとうございます」
「調子乗るなよ」
「はい」
じいさんが帰っていくと、店の者たちは顔を見合わせて笑った。
「口は悪いけど、なんやかんやここのこと好きですよね、じいさん」
「ありがたい話やな」
その頃、奥では博之が報告を受けていた。
「じいさん、二皿食べて帰りました」
「文句言いながら?」
「文句言いながらです」
「なら大丈夫やな」
博之は少し安心した顔をした。
だが、ヨイチはまったく安心していなかった。
「旦那様、これ、百個売れたらまた帳簿がえらいことになりますよ」
「どうしよう」
「どうしようではありません」
「まだ試験価格の四十文やろ」
「はい。ですが、売り切れるということは、四十文では安い可能性があります」
「別にええんちゃう?」
「よくありません」
ヨイチが即座に刺した。
「値段を壊すと、他の店にも影響します。うちだけが安く大量に出すと、町の飯屋に顔が立ちません」
「それを言われたら、ちゃんと取らなあかんな」
「はい。原価、手間、焼き手、包み手、油、調味料、器、場所代。それらを見て、
きちんと値をつける必要があります」
「うーん。じゃあ、取った分はまた買い付けに回すか」
「また買い付けですか」
「買い付けと、新しいところやな」
博之は、少し考え込んだ。
「北伊勢はもう動いてるやろ。次は四日市でもやるか」
「四日市ですか」
「白子、関、亀山の次や。市があるなら、こういう小さい飯は反応見やすいやろ。あと、
信楽の先の草津やな」
「草津」
「草津まで行けば、向こうで売れる買い付けのものが増える。旅人向けの飯も見える。伊勢のもの
持って行って、近江のもの持って帰る。信楽焼だけじゃなくなる」
お花が横で笑った。
「いいですね。どんどん広がりますね」
「広がりすぎやねん」
女衆の一人が、冗談めかして言った。
「このままだと、下手な大名より全国制覇が早いんじゃないですか」
その瞬間、博之の顔が真顔になった。
「それ、あんまり口にするな」
「え?」
「ほんまに。そういうこと言い出したら、俺、マジで首刎ねられるから」
座敷の空気が、少しだけ止まった。
博之は、すぐに苦笑して場を戻した。
「せめて、俺の技がちゃんと伝承されるまで待ってくれ」
「そこですか」
「そこや。俺が首刎ねられても、肉あんとふくふく焼きとお好み焼きと練り物玉が残るように
せなあかん」
ヨイチがため息をついた。
「縁起でもないことを言わないでください」
「だって怖いやん。飯屋が広がりすぎてるんやぞ」
「だからこそ、帳簿と筋通しが必要です」
「最後はそれか」
「最後もそれです」
お花が静かに言った。
「でも、旦那様。一口肉あんは、かなり手応えがあります」
「そうか」
「はい。じいさんが二皿食べたなら、かなり強いです」
「文句言いながらな」
「文句を言いながら食べる常連は、だいたい次も来ます」
博之は笑った。
「ほな、まずは松坂で続けるか。百食限定。値段は見直し。感想を集める」
「エビあんをどう扱うかも見ましょう」
「譲り合うか、取り合うか」
「旦那様は見に行かないでください」
「まだ何も言ってへん」
「顔に出ています」
また笑いが起きた。
一口肉あん。
肉あん五つに、エビあん一つ。
未完成の試験品は、文句を言われながらも、確かに皿から消えていた。
伊勢松坂屋の実験は、またひとつ、商売の匂いを帯び始めていた。