作品タイトル不明
肉あん、えびあんの誕生。とりあえず肉あん五個えびあん1個で40文で試験販売。本店のみ。
「なんか、飯ばっかり思いついてるな」
博之は、座敷でごろごろしながら、ふと気づいたように言った。
「俺、御礼札とか回覧板とか、店の仕組みの話をしてたはずやのに、完全に飯の方へ流れてるやん」
ヨイチが帳面を閉じ、深いため息をついた。
「旦那様、遊びが過ぎます」
「遊びちゃう。商品開発や」
「商品開発という名の現実逃避です」
お花も苦笑した。
「ただ、ことごとく当たりそうなのが、少し腹立たしいですね」
「腹立つんか」
「はい。止めたいのに、止めにくいのです」
博之は少し得意げになった。
「やろ。あの一口の包み焼きな、名前を考えててん」
「また名前ですか」
「名前大事やろ。あれ、饅頭に近いと思うねん」
「包んでいますからね」
「でも、饅頭ほど皮が厚くない。薄いやんか。皮が薄くて、中に餡みたいな具が入ってる。
餡子やなくて、肉とか野菜の餡や」
「具餡ですね」
「そう。だから、もうそのまま“肉あん”でええかなと思って」
ヨイチが眉をひそめた。
「肉あん」
「一口肉あん」
「悪くはないですが、少しそのままですね」
「だから、もうちょっとええ名前考えてよ」
「旦那様が思いついたなら、最後まで責任を持ってください」
「冷たいな」
お花が少し考えて言った。
「一口包み、肉包み焼き、小包み焼き……」
「小包み焼きはええな。でも肉あんの方が、なんか中に何入ってるか分かりやすいやろ」
「分かりやすさはあります」
博之は、そこでまた目を細めた。
「でな、また頭から降ってきたんやけど」
ヨイチが即座に顔を上げた。
「また降ってきたんですか」
「降ってきた」
「もう空から飯が降りすぎです」
「しゃあないやん。降ってくるんやから」
博之は手で小さな包みを並べるように動かした。
「肉あんは、野菜やら鶏やらを細かく刻んで混ぜるから、単価は抑えられる。
ごぼう、大葉、生姜、たくあん、鶏の細切れ。そういうので作れる」
「はい」
「で、一つだけ、小エビを大量に入れたやつを作る」
お花の目が少し変わった。
「小エビですか」
「そう。小エビを入れる。味は調整せなあかんけど、焼いたら赤くなるやろ。
皮の向こうから少し赤いのが見える。あるいは割ったら中が赤い」
「色が出ますね」
「それを“エビあん”にする」
ヨイチが、少し嫌そうにしながらも筆を取った。
「また当たりそうな響きですね」
「やろ」
「肉あん五つ、エビあん一つ、という組み合わせですか」
「そう!」
博之は嬉しそうに起き上がった。
「六個入りにする。肉あん五個、エビあん一個。みんなでつまむ時に、
“これ、エビあんやで。誰食べる?”ってなるやろ」
「会話が生まれますね」
「そうやねん。二人で食っても、四人で食っても、六人で食ってもええ。エビあんは一つしかない。
だから、誰が食うかで話ができる」
女衆の一人が笑った。
「譲り合いになりますね」
「そう。男が女の子に“どうぞ”って言うてもええ。女の子同士で“半分こしましょうか”
って言うてもええ。子どもらなら取り合いになるかもしれん」
「旦那様、また人の会話を覗こうとしていますね」
「覗くんちゃう。設計や」
「設計という名の覗きです」
「ひどい」
お花は、少し真面目に頷いた。
「でも、確かに筋は通っています。エビは高い。全てに入れると原価が上がります。
けれど一つだけ入れるなら、特別感を出しながら全体の値段は抑えられる」
「やろ」
「しかも、見た目が違う。味も違う。話の種になる」
「そう。それや。ふくふく焼きはご縁。お好み焼きは選ぶ楽しさ。練り物玉は三つ選ぶ楽しさ。
肉あんとエビあんは、一つだけ当たりがある楽しさや」
ヨイチが筆を動かしながら言った。
「旦那様、“当たり”という言い方は少し危ないです」
「なんでや」
「外れがあるように聞こえます」
「ああ、なるほど」
「肉あんも美味しい。エビあんは珍しい。そういう表現がよろしいかと」
「それやな」
博之は納得した。
「全部うまいけど、一つだけ紅い福がある、みたいな」
「また福をつけますか」
「つけたい」
「本当に福が好きですね」
「縁がないからな」
「そこへ戻るのですね」
座敷に笑いが起きた。
ヨイチが尋ねる。
「値段はどうしますか」
「そこがな。六個入りで四十文ぐらいかなと思ってる」
「四十文」
「安いか?」
「肉あんだけなら、やり方次第で可能かもしれません。ただ、エビあんが入るなら、原価は上がります」
「せやねん。だから値段はまだ分からへん。四十文にしたいけど、五十文でもええかもしれん」
「最初は試験価格でよいと思います」
お花が言った。
「松阪本店で試すなら、六個入り四十文、限定数で反応を見る。原価は別に調べる」
「原価無視か」
「また原価無視ですか」
ヨイチが即座に刺す。
「いや、今回は完全無視ちゃう。調査や」
「旦那様の調査は高くつきます」
「でも当たりそうやろ」
「当たりそうです」
「ならええやん」
「よくはありませんが、やります」
博之は嬉しそうに手を打った。
「ほな松阪でまずやろう」
「はい。松阪で一店舗、試験ですね」
「なんで一店舗?」
「旦那様、たぶん三日後には別の飯を思いついて忘れています」
「ひどい」
「事実です」
お花も頷いた。
「一気に広げるより、まず一店舗で反応を見ましょう。会話が生まれるか。六個という数が
ちょうどいいか。エビあんを譲り合うのか、取り合うのか。熱すぎないか。冷めたらどうなるか。
味噌だれが合うか、醤油が合うか」
「わさび醤油もな」
「はい。わさび醤油も」
ヨイチが帳面に書き込む。
「一口肉あん。六個入り。肉あん五個、エビあん一個。試験価格四十文、または五十文。
松阪本店一店舗限定。調味料は味噌だれ、醤油、わさび醤油。確認事項は熱さ、包みやすさ、
焼き時間、会話の発生、原価」
「会話の発生って帳面に書くんか」
「旦那様の商品は、会話まで含めて商品なので」
「なんかええこと言うな」
「褒めても帳簿は減りません」
「現実戻すな」
女衆の一人が、試作の材料を想像しながら言った。
「肉あんは、鶏だけでなく、魚のほぐし身でもいけそうですね」
「いけるな。鳥羽なら魚あん。伊賀なら山菜あん。津なら鯖あん。松阪は鶏あん」
「エビあんは祝いっぽいです」
「紅いからな。祝いに合う」
「婚活の場にも使えますね」
「それや!」
博之がまた身を乗り出した。
「婚活の場で六個入りを出す。二人で分けたら三つずつ。エビあんが一つだけある。
どう分けるかで話が生まれる」
お花がすぐに言った。
「旦那様はその場に出ないでください」
「まだ何も言ってへん」
「顔に出ています」
「俺、顔に出るんか」
「出ます」
ヨイチも言った。
「旦那様が“エビあん、どちらが食べますか”などと言うと、台無しです」
「言いたい」
「言わないでください」
「はい」
博之はしょんぼりしたが、すぐにまた考え始めた。
「名前なあ。一口肉あん。肉あん焼き。小包み肉あん。六福あん」
「六福あん?」
「六個入りやから」
「また福ですか」
「だって一個エビあん入ってるし。紅い福や」
お花が笑った。
「試験では“一口肉あん”でよいのでは。お客さんが呼びやすい名前があとから出るかもしれません」
「それもありやな」
「お客さんが“あのエビが一個入ってるやつ”と言い始めたら、その呼び名を拾えばよいです」
「なるほど」
「松阪は実験の店ですね」
博之が言うと、ヨイチが即座に眉をひそめた。
「本来、実験の店という言葉の意味が分かりません」
「でも実験してるやん」
「していますが、本店です」
「本店で実験できるのが強みや」
「危うさでもあります」
「まあまあ」
お花は苦笑しながらも、どこか楽しそうだった。
「でも、松阪のお客さんはもう慣れているかもしれませんね。旦那様がまた変なものを出した、と」
「変なもの言うな」
「でも、美味しければ受け入れてくれます」
「そこやな」
博之は、少し真面目な顔になった。
「これは安い具で作れて、ちょっとだけ珍しいものを混ぜて、会話ができる。うちららしいやろ」
「はい」
お花が頷いた。
「高いものを高く売るのではなく、手の届くものに少しだけ特別を入れる。伊勢松坂屋らしいです」
「それや」
ヨイチも帳面を閉じながら言った。
「では、三日以内に試作します。旦那様が忘れる前に」
「忘れへんて」
「忘れます」
「忘れるかもしれん」
座敷に笑いが起きた。
飯ばかり思いつく。
仕組みの話は置き去りになる。
それでも、出てくるものがことごとく形になりそうだから、周りも完全には止められない。
一口肉あん。
五つの肉あんと、一つのエビあん。
それは、また一つ、飯と会話をつなぐ小さな仕掛けになりそうだった。