軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

追加の施策。食べに行った店に木札を置いていこう。うちの者が食べました。ありがとうございます。の意味を込めて

「ごめん、もう一つ追加や」

博之がそう言った瞬間、ヨイチは筆を止めた。

「旦那様。その“もう一つ”が一番怖いのですが」

「いや、今回は大事や」

「だいたい全部そう言います」

「今回はほんまに大事や」

博之は、信楽焼きの器を前に置いたまま、少し真面目な顔をした。

「うちの印を押した木札を作ろうと思う」

「木札、でございますか」

お花が首を傾げる。

「そう。木札でも紙札でもええ。まず一万枚作る」

「一万枚」

ヨイチの眉がぴくりと動いた。

「で、五万文計上する」

「また軽く五万文を」

「軽くない。必要経費や」

「何に使うのですか」

「うちの各拠点にばらまく。松阪、伊勢、津、鳥羽、上野、名張。今後は北伊勢や信楽にも」

博之は指を折りながら続けた。

「で、うちの者がよその飯屋や茶屋、甘味屋に食いに行ったら、金をちゃんと払う。そのうえで、

店の人にその木札を置いてくる」

「札を置く?」

「そう。別に値引き券やない。偉そうにする札でもない。伊勢松坂屋の者が、こちらで

飯をいただきました、ありがとうございました、という印や」

ヨイチは少し考え込んだ。

「つまり、うちの従業員が外で食事をしていることを、見える形にするということですか」

「そうや」

博之は頷いた。

「うちは今、飯を増やそうとしてる。信楽焼きの器も入ってくる。見栄えも良くなる。

たぶん売れる。売れたら、よその飯屋の客を奪う」

「はい」

「でも、うちの従業員もちゃんとよその店で食ってますよ、銭を落としてますよ、って形を見せたい」

お花が少し目を細めた。

「それで、木札ですか」

「うん。うちの者が外で飯を食う。金を払う。礼を言う。最後に、“伊勢松坂屋の者がご飯を

いただきました”って札を置く。そうすれば、向こうも分かるやろ」

「うちが奪うだけではなく、返している、と」

「そう」

博之は、少し熱を帯びてきた。

「考えてみい。うちの従業員、今何人おる?」

「ざっくり八百人近いです」

「八百人やろ。八百人が一日三食食うたら、二千四百食や」

「はい」

「月にしたら、七万食ぐらいになる」

女衆の一人が、思わず息をのんだ。

「七万食……」

「そう。うちはその七万食を、まかないで抱えてる。飯と寝床を出してるから、

それはうちの強さや。でも、それは同時に、町の飯屋から七万食ぶんの機会を取ってるとも言える」

ヨイチは、ゆっくり頷いた。

「厳密には全てではありませんが、考え方としては分かります」

「やろ。全部を外に返すなんて無理や。まかないは必要や。けど、そのうち少しでも、

外へ返す仕組みを作りたい」

「札を使って」

「そうや。たとえば休みの日に、うちの男衆が二人で飯屋へ行く。銭を払う。札を置く。

女衆が甘味屋へ行く。茶を飲む。札を置く。上野の地侍が松阪で飯を食う。札を置く。

そういうのが積み重なれば、よその店も思うやろ」

「伊勢松坂屋は客を奪うだけではない、と」

「うん。あいつら売れててむかつく、だけやなくて、まあ食いにも来てくれてるしな、になる」

お花は、静かに頷いた。

「これは、かなり良いと思います」

「ほんまか」

「はい。ただし、使い方を間違えると逆効果です」

「そこやな」

ヨイチがすぐに筆を取った。

「札の文言が大事です。上から目線ではいけません」

「もちろんや。木札って言い方も変えるか?」

「“御礼札”の方がよいかもしれません」

「御礼札」

「はい。伊勢松坂屋の者が、こちらで飯をいただきました。ごちそうさまでございました。

そういう意味の札です」

お花が続けた。

「札を置く時に、必ず銭を払うこと。値引きを求めないこと。席を荒らさないこと。店の悪口を

言わないこと。伊勢松坂屋の名を出して威張らないこと。それも回覧板に書くべきです」

「それは絶対や」

博之は強く頷いた。

「うちの名前で偉そうにされたら終わりや。札は“食べに来ました、ありがとう”の印や。

権威を見せる札ちゃう」

「また、札を置くかどうかは店側の様子を見た方がよいですね」

ヨイチが言う。

「嫌そうなら置かない。受け取ってくれる店にだけ置く」

「そうやな。押しつけはあかん」

「それと、札を置いた店を記録するなら、どこで何を食べたかも分かります」

「それや」

博之は身を乗り出した。

「何を食べたか書いてもらう。うまかった飯、面白かった味、変わった盛り付け。

それを回覧板に載せる。そうしたら、よその店の宣伝にもなるし、うちの新しい飯の種にもなる」

お花が笑った。

「つまり、外食の勧め、御礼札、情報収集、町への銭返しが一つになるわけですね」

「そういうことや」

ヨイチは帳面に書き込む。

「御礼札案。一万枚作成。初期費用五万文。各拠点へ配布。従業員が外の飯屋、茶屋、甘味屋等で食事をした際、正規の代金を支払い、礼を述べたうえで、任意で札を置く。目的は町への銭の還流、他店との関係維持、外食情報の収集、伊勢松坂屋の囲い込み印象の緩和」

「めちゃくちゃ硬いな」

「回覧板用には柔らかくします」

「頼むわ」

博之は少し考えてから言った。

「札には、こう書きたいな」

皆が耳を傾ける。

「伊勢松坂屋の者、こちらで飯をいただきました。ごちそうさまでございました。

町の飯に感謝いたします」

お花が微笑んだ。

「良いですね」

「少し長いか」

「札なら短くして、回覧板で意味を説明しましょう」

ヨイチが筆を走らせる。

「札面案。

『伊勢松坂屋 御礼

こちらで飯をいただきました

ごちそうさまでございます』」

「ええやん」

「裏に日付を書けるようにしてもよいですね」

「それ、面白いな」

「店側が貼ってくれるかもしれません」

女衆の一人が言った。

「札が何枚も貼られている店は、うちの者がよく行っている店だと分かりますね」

「それもええ。うちの者も、あそこは行きやすいんやなって分かる」

「でも、特定の店に偏りすぎると、それはそれで揉めませんか」

「そこは気をつける。無理に散らす必要はないけど、いろんな店に行けって回覧で言う」

ヨイチは顔を上げた。

「旦那様、これはかなり組織運営の話です」

「飯屋やのにな」

「もう飯屋だけでは済みません」

「それ、最近何回聞いたやろ」

博之は少し苦笑した。

「でもな、これはやっておきたい。うちは飯を増やす。信楽焼きで見栄えも良くなる。客も増える。だからこそ、外に返す道を作らなあかん」

「はい」

「うちが七万食抱えてるって考えたら、怖いねん。ほんまに。町の飯を食い尽くしてしまうみたいで」

「だから、まかないは守りつつ、外食を勧める」

「そう。まかないはやめへん。うちの者の腹は守る。でも、町にも飯がある。町にも銭を落とす。

町の飯屋も、うちの敵やなくて、同じ町の飯を支える相手や」

お花が静かに言った。

「回覧板の題は、前の“町にも飯がある”で良さそうですね」

「そこに御礼札の話を載せる」

「はい」

ヨイチが回覧板の文案を読み上げた。

「伊勢松坂屋の者へ。うちのまかないは遠慮なく食べること。ただし、町にも飯がある。休みの日、人と話したい時、仲良くなりたい相手と過ごす時は、町の飯屋、茶屋、甘味屋にも足を運ぶこと。代金はきちんと払い、礼を言うこと。値切らず、威張らず、伊勢松坂屋の名で無理を通さぬこと。よき店で飯をいただいた時は、御礼札を置かせてもらうこと。うちが町からいただくぶん、町へも飯を返すこと」

博之は、じっと聞いていた。

「ええな」

「続けます」

「まだあるんか」

「あります」

「その店でうまいもの、面白い味、学べる工夫があれば、各店の帳面役に知らせること。回覧板に載せ、皆で町の飯を知ること。伊勢松坂屋だけで固まらず、町と共に飯を回すこと」

博之は深く頷いた。

「それでいこう」

お花が柔らかく笑った。

「旦那様、これは良いばらまきです」

「ばらまきなんかな」

「はい。ただの銭ではなく、礼と足跡をばらまく形です」

「礼と足跡か」

博之は、その言葉を気に入ったようだった。

「御礼札、一万枚。五万文。やるぞ」

「承知しました」

「ただし、これで帳簿増えるやろ」

「増えます」

「やっぱりな」

「ですが、これは必要な帳簿です」

博之は畳に寝転がった。

「町にも飯がある、か」

外では、店の者たちがまかないの支度をしている。

その飯も大事だ。

だが、町の飯も大事だ。

伊勢松坂屋だけで腹を満たすのではなく、町全体で腹を満たす。

そのための、小さな札。

博之は天井を見ながら呟いた。

「うちは飯屋やけど、町の飯屋全部と喧嘩したいわけちゃうからな」

ヨイチが言った。

「その気持ちが伝わる札になるとよいですね」

「伝わるようにせなあかんな」

お花が頷いた。

「伝えるために、回覧板も使いましょう」

こうして、伊勢松坂屋の新しい回覧には、御礼札の話が載ることになった。

飯を増やす。

でも、町にも返す。

銭を抱えず、礼を残す。

それもまた、博之らしい商いの形だった。