作品タイトル不明
飯を多く売ると既存の飯屋のお客さんを奪うことになる。従業員は機会があれば外の飯屋で食べるようにwww
信楽焼の器を使えば、飯の見栄えは良くなる。
飯の見栄えが良くなれば、客は増える。
客が増えれば、売上も増える。
そこまでは、博之にも分かった。
けれど、博之は信楽焼の小鉢を見ながら、ふと嫌な顔をした。
「なあ」
ヨイチが帳面を開いたまま顔を上げる。
「何ですか」
「飯を多く作ること自体は、なんとなく理解できるねん」
「はい。売り切れが早すぎますし、従業員を遊ばせるよりは、量を増やした方がよろしいです」
「それは分かる。分かるんやけどな」
博之は小鉢を畳に置いた。
「それをやると、よその飯屋に顔が立たん気がする」
お花が少し首を傾げた。
「どういうことでございますか」
「うちの者らは、基本うちのまかないで飯を食うやろ」
「はい」
「飯と寝床がある。給金も高い。だから金が残る。そこまではええ。でも、うちの者が外の飯屋で
飯を食わんとなると、よその店に金が落ちへん」
「確かに」
「そこへ、うちが信楽焼きで見栄え良くして、飯の量を増やすやろ。そしたら、
客もさらにうちへ来る。俺の目論見やと、多分売れてしまう」
「売れるでしょうね」
ヨイチが淡々と言った。
「やろ。そしたら、よその飯屋の客を奪うことになる」
座敷が少し静かになった。
博之は続けた。
「松阪も伊勢も、もう横丁が立ち上がってる。伊勢なんか内宮の端で店まで出してる。
今さら“うちは小さい飯屋です”って顔はできへん。そこへさらに量を増やして、
信楽焼きで出して、売上をこっちへ集める。これ、先々恨まれる可能性あるやろ」
お花はゆっくり頷いた。
「ありますね」
「別に、まかないをやめろと言うつもりはない。うちの者の飯は守る。そこは絶対や。
でも、うちの中だけで飯も金も回していたら、変な集団みたいになるやんか」
ヨイチが筆を止めた。
「内々で固まりすぎる、ということですね」
「そう。うちの売上が増える。従業員は給金を持ってる。飯も寝床もあるから金が減らん。
けど、外には落とさん。そんなん、周りから見たら嫌な感じやろ」
「金を持っている集団として見られる危険もありますね」
「それもある」
博之は指を鳴らした。
「こいつら金持ってるな、って狙われるかもしれん。あるいは、なんであいつらだけ飯も寝床も
給金もあって、外で金を使わへんねん、って嫌がられるかもしれん」
女衆の一人が言った。
「でも、旦那様。うちの子らに、積極的に外でお金を使えと言うのは難しくありませんか」
「別に命令はせん。けど、回覧板で言う」
「回覧板で?」
「そう。今度作るやろ。各地の横丁に回すやつ。そこに書く」
博之は少し考えながら、言葉を探した。
「うちの飯を食うのはええ。まかないも食え。無理に外食せんでええ。
けど、仲良くなった人と飯を食う時、誰かと話したい時、男女問わず、友達でも、縁談でも、
よその店を使うことも大事やって」
お花が頷く。
「うちの者が外の店で食べれば、町にも銭が落ちます」
「そう。男衆なら、誰かと飯を食う時に少し奢ってやってもええ。女衆でも、友達と甘味を食いに
行ってもええ。うちの店を使うなって話やない。むしろ、うちの店も使えばええ。
でも、よその店も使えってことや」
「それは大事ですね」
ヨイチが帳面に書き始めた。
「回覧板案。まかないは継続。ただし、町の飯屋、茶屋、甘味屋も積極的に使うこと。
仲良くなりたい相手との食事や、休みの日の外食を推奨。理由は地域への銭の循環、
他店との関係維持、孤立防止」
「そう、それや」
博之は少しほっとした顔をした。
「あと、面白い飯があったら報告してほしい」
「報告?」
「うん。よその飯屋に行って、“これうまかったです”“この味噌だれ面白かったです”“
この漬物の切り方いいです”とか、そういうのを回覧板に書いてもらう。そしたら、
うちはうちで新しい飯の種を探せる」
お花が笑った。
「食べ歩きが、情報収集になりますね」
「そうや。外で金を使う理由になる。町に金が落ちる。うちは新しい飯の種を拾える。
よその飯屋とも、完全に敵にならずに済む」
ヨイチが少し感心したように言った。
「旦那様にしては、かなり先を見ています」
「にしては、いらん」
「ただ、確かに、伊勢松坂屋が飯を増やすほど、他の飯屋の商売の種を奪う面はあります」
「やろ」
「それを放置すると、“伊勢松坂屋だけが儲けている”という見え方になります。
従業員が外でも金を使い、町の飯屋と関係を作るのは、長い目で見ると必要です」
女衆の一人も言った。
「休みの日に、よその甘味屋や茶屋へ行くのも良いですね。ずっと店の中だけだと、息が詰まりますし」
「そうそう。うちの者にも、外の空気を吸わせたいねん」
博之は真面目な顔で言った。
「飯と寝床を用意するのはええ。でも、それで全部を囲い込んだらあかん。うちの者が町に出て、
飯を食って、茶を飲んで、誰かと話して、金を落とす。そうしないと、うちが取りすぎになる」
「うちが取りすぎ」
お花がその言葉を繰り返した。
「確かに、今の伊勢松坂屋は強くなりすぎています。意識して外へ流す必要がありますね」
「もうだって、金めっちゃあんねんもん」
博之は情けない顔で言った。
「こっちは困るぐらいある。なのに、さらに町の飯まで奪うのは、なんか目覚め悪い」
ヨイチは、回覧板の文案を考えるように筆を動かした。
「では、こうでしょうか」
ヨイチは読み上げた。
「伊勢松坂屋の者へ。まかないは遠慮なく食べること。ただし、休みの日や人と会う日は、
町の飯屋、茶屋、甘味屋も使うこと。うちの飯だけで腹を満たすのではなく、町にも銭を回すこと。
面白い飯、うまい飯、学べる味があれば、各店の帳面役へ知らせること。飯は店の中だけでなく、
町の中にもある」
博之は、少し黙ってから頷いた。
「ええやん」
「さらに、“外で威張るな”も入れましょう」
「それ大事やな」
お花が言った。
「給金が良いからといって、よその店で大きな顔をしないこと。伊勢松坂屋の名を出して
無理を言わないこと。これも必要です」
「絶対いる」
博之は強く頷いた。
「うちの名前で偉そうにされたら最悪や。ちゃんと客として行け。金払え。礼を言え。
うまかったらうまいと言え。そういうのも書いといて」
ヨイチは書き足した。
「外食心得。威張らない。値切らない。店の悪口を言わない。うまいものは学ぶ。金はきちんと払う。
伊勢松坂屋の名を使って無理を通さない」
「ええな」
「また回覧板が長くなりますね」
「長くてええ。大事や」
お花が微笑んだ。
「旦那様、これはかなり良い回覧になると思います」
「そうか」
「はい。店の者にも、町にも、先々効いてくると思います」
博之は、信楽焼の器をもう一度見た。
良い器で飯を出す。
もっと多く作る。
もっと売れる。
それは店にとっては良い。
けれど、店だけが良ければいいわけではない。
周りの飯屋。
茶屋。
甘味屋。
町の人。
休みの日の従業員。
そこまで含めて、飯は回っていく。
「よし」
博之は言った。
「飯を増やす。ただし、外にも食いに行かせる。うちだけで抱え込まん」
「承知しました」
「回覧板、頼むわ」
ヨイチは頷いた。
「題はどうしますか」
博之は少し考えた。
「町にも飯がある、でどうや」
お花が笑った。
「よろしいと思います」
ヨイチは帳面に書いた。
――回覧板題目。町にも飯がある。
博之はそれを見て、少しだけ満足そうに頷いた。
「うちは飯屋や。でも、町全部が飯場になった方がええ」
その言葉に、お花が静かに頷いた。
「それなら、伊勢松坂屋も嫌われにくくなりますね」
「嫌われたくないからな」
「旦那様らしいです」
「臆病なだけや」
「臆病だから、長く続くのかもしれません」
座敷に、少し柔らかな空気が流れた。
信楽焼きの器は、飯を増やすきっかけになった。
だが同時に、町へ銭を流すきっかけにもなった。
伊勢松坂屋は、また一つ、内へ囲うのではなく、外へ流す道を考え始めていた。