作品タイトル不明
国軍の見学にきました3
怒涛の展開に息をつく間もなく、私は伯爵翁様の背中から隣のギルフォードに視線を移した。周囲はアナスタシア女王を応援する野太い歓声に包まれているから、私たちが話をしても誰も気にもとめないはずだ。
「ね、ねぇギルフォード……!」
「騒がなくていいぞ」
「でも……」
「来る前におじい様に言われたんだ。何があっても心配するなって」
かく言うギルフォードも言葉ほど落ち着いているわけではなかった。握りしめた手に汗が滲んでいる。
「ねぇ、アナスタシア女王陛下も伯爵翁様も、本物の剣を持ってるのよね」
先ほどまでの模擬試合は、刃を潰したものを使用していたはずだ。だが女王陛下は伯爵翁様が入り口で置いてきた剣を取りに行かせた。伯爵翁様だけが本物の剣を使用するはずはないから、彼女の剣もそうだということになる。
神々しいまでの強烈なオーラを持つ女王陛下の、本気の瞳。彼女が戦争時代を知っているなら、トゥキルス国内まで侵攻した伯爵翁様の存在を知らないはずがなかった。
もしかしたら、相見えた過去があるのかもしれない。
「心配するな。おじい様は大丈夫だ。俺たちにできることは、ここで見守ることだけだ」
前を向く空色の瞳。彼の視界は開け、そこに伯爵翁様の背中はすでにない。
私もまた彼の言葉を信じて、対峙する2人を見守るしかなかった。
「明らかに勝負が決したとわかるまで続けるとしよう。先に言っておくが遠慮はいらぬ。私の身分など取るに足らぬものと心得よ」
長い髪をひとつにまとめたアナスタシア女王は声高々にそう宣言した。頷く伯爵翁様がまず構えた。
「僭越ながら、審判を勤めさせていただきます」
2人の間にたったのはヒゲモジャの副隊長だ。そして彼の合図で試合は始まった。
先に仕掛けたのはアナスタシア女王。その強烈なスピードと身軽さに目を剥く。それを見越したかのように鮮やかに剣を翻して逃がす伯爵翁様。けれど女王のスピードが緩むこともなく、細かな鍔迫り合いが続いた。
側から見れば一方的に攻める女王と守りに入った伯爵翁様という図式。だが伯爵翁様の剣はただの守りではなかった。受け止めながら躱すその瞬間、ベストな体制を整え、何度目かの交差の後、大きく踏み出した。身体の大きい伯爵翁様の一撃は強い衝撃と音を発しながら、アナスタシア女王の剣を絡め取った。
重々しい一撃。踏み込まれたかと思った女王は、しかし鮮やかな笑みを浮かべた。
「そうこなくてはな、ジェシー・アッシュバーン。セレスティアの盾は、盾を脱いだときの反撃こそが恐れられたはず」
女王はその一撃をふわりと返した。軽い羽を払うかのような動きに、今度は伯爵翁様の目が見開かれた。
「まさか、そなた——」
「遅い!」
伯爵翁様の言葉も終わらぬうちに反撃を開始した女王の動きは、まるで華麗なステップを踏んでいるかのような美しさだった。だが軽いはずのその動きから繰り出される剣戟は見た目ほど軽くないのか、伯爵翁様が再び防戦に追い込まれた。
切れ目のない女王の猛攻。それを払う伯爵翁様、そして間隙をつく重い反撃。丁々発止のやりとりに次第に周囲の声が失われていった。卓越した技能に誰もが息を呑む
剣の音だけが響く異様な空気の中、最後はあっけなく訪れた。
女王の一撃を受け止めた伯爵翁様のその手が、わずかに滑った。そこに生じた一瞬の焦りを見逃す彼女ではなかった。薙ぎ払うように相手の手元を攻めると、不意を突かれた伯爵翁様は命とも言えるべき剣を落とした。
その隙に攻め入る女王。相手の喉元を突かんと繰り出される刃――。
「そこまでぇぇ!」
地響きのする停止の合図が轟く。女王の刃の切先は、伯爵翁様の皮膚の皮一枚手前でぴたりと止まった。
「勝者、アナスタシア女王陛下!」
副隊長が大音声でそう告げても、周囲から歓声は湧き上がらなかった。
しん、とした気配の中、隣でギルフォードが呆然と呟いた。
「嘘だろ……おじい様が、剣を落とした」
アッシュバーン家の跡取り候補のひとりとして、騎士の卵として、誰よりも近くで見上げてきた祖父の負ける姿を目にしたのは、きっと初めての経験だったのだろう。いつの間にかほどかれた手をだらりと下げ、彼は信じられない面持ちでその場に立ち尽くしていた。
そんな私たちの視線を余所に、戦いを終えた2人もまた最後のその瞬間から動けずにいた。剣を喉元に突きつけられたまま、伯爵翁様も目を開いたままだ。
「そなたは……いや、失礼申しました。女王陛下は……あのときの 姫御前(ひめごぜ) であられたか」
「ふっ、そなたの口からその名を再び聞くときがこようとはな」
短いやりとりのあと、女王はようやく剣を下げた。息を整えた伯爵翁様が、自分より一回り小さい彼女に懐かしそうな眼差しを向けた。
「……強くなられました」
「当然だ。セレスティアの盾に一矢報いることを目標に今まで研鑽を積んできたのだからな。戦場ではそなたに敵わなかった。だが……」
女王は伯爵翁様が手落とした剣を拾い上げ、恭しく彼に差し出した。
「そなたにそう言ってもらえると、長年の努力が報われた思いだ」
かつての敵国の、ライバルだった者を相手に礼儀を払いながら鮮やかに笑う。先ほどの剣呑さを含んだそれとは違う、会心の笑みに、年齢よりも若々しい少女のような色が浮かんでいた。
見惚れそうな周囲を置き去りにして女王陛下は踵を返し、周囲の兵士たちに向かって高らかに宣言した。
「気高き魂を持つトゥキルスの戦士どもよ! 今の戦いを生涯胸に刻むがよい! 妾とセレスティアの盾であるジェシー・アッシュバーンは互いの力を尽くした。かつては戦場で、今はこの地で。我々の亡き同胞も、セレスティアの亡き騎士たちも、それぞれの世から我らの戦いを見ていたことだろう。彼らが流した血が、この大地と我らを残してくれた。我々は過去に囚われるのではない、未来を創るのだ。残された我らが共に織りなす未来を見せてやることが、我らの責務であろう!」
その言葉に、割れんばかりの歓声と拍手が沸き起こった。