軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

隣国情報を整理します1

連日フル稼働の化粧品工場の片隅にあるマリウムの研究室、その小さな応接室にて——。

私は背筋を伸ばし、かの人物と向き合っていた。

齢60を超えておられるであろうに、その一挙手一投足は現役の騎士たちと変わりない。いや、彼もまた当主の座を息子に譲り渡しただけで、現役の騎士に違いない。

かの人物とは、そう、我が家が決して足を向けては寝られぬお方、アッシュバーン家前当主、伯爵翁様である。

研究所の設立と同時に、広大なアッシュバーン領の東の砦に居を移した彼は、月に数度は研究所近隣の警護や取り締まりのために足を運んでくれる。ときどきギルフォードもついてくる。ギルフォードは祖父のような騎士を目指すべく、アッシュバーン本家のある領都と東の砦とを数ヶ月おきに行ったり来たりしているらしい。本人は東の砦で祖父と暮らしつつ、騎士たちとの訓練に本腰を入れたいそうなのだが、いかんせんまだ9歳。加えて未来の辺境伯爵候補のひとりでもある。家庭教師が中央にいる以上、無理は通らない話だ。

そんなギルフォードが隣に座している。彼もまた敬愛する祖父を前に、けれど私とは違ってわくわくしている面持ちだ。

そして反対隣、今日はエメラルドグリーンのドレスに身を包んだうら若き美女――に見えるから厄介なのだが——、とにかくマリウムが、ソファの肘掛けに持たれつつ、先ほどからあくびを噛み殺している。伯爵翁様を前に何事かと何度も肘を突いたし足も踏んづけたが、綺麗にかわしてどこ吹く風だ。

そんな彼の態度にはらはらしながらも、伯爵翁様は気分を害した様子はなく、堂々と腕組みをして立っていた。

「よろしい。それでは復習からまいろうかの。まずはギルフォード。トゥキルス王家の現体制について答えてみなさい」

「はい! トゥキルスはアナスタシア女王陛下が治めておられる国です。王配はマクシミリアン殿下。双子の王子と2人の王女がいて、王太子はイヴァン殿下です!」

「よろしい。それではアンジェリカ嬢。トゥキルスと我が国セレスティアとの関係はどうじゃ」

「は、はい! 20年前の戦争の和平の証に、マクシミリアン様がセレスティアから王配としてトゥキルスに赴かれました。マクシミリアン様は現セレスティア国王・ヘンドリック陛下の叔父に当たります。アナスタシア女王は前王の娘で、当時はまだ王太子でいらっしゃいました。お2人ともすでに成人されておられたため、即座に結婚となりましたが、入れ替わりにトゥキルスから輿入れが決まったヴィオレッタ妃と我が国のヘンドリック王子はまだ幼く、お2人の結婚はかなり後のことになりました」

「よろしい。ではマリウム殿にも尋ねようかの。トゥキルスについて、何か知っておることを述べなさい」

「えー。隣の国のことなんか知らないわよ。砂漠があってサボテンが生えてるんでしょ? あたしはサボテンとその保湿成分についてしか興味ないわぁ」

「マリウム! あんたってば伯爵翁様になんて口の聞き方!」

「だってあたしはただの平民だしぃ。そんな国と国との関係とか誰が誰だとか関係ないもの。ヒラのあたしがそんな雲の上の人たちに会うことなんてないでしょう」

「あなたが引っ掛けたリカルド様はがっつりばっちり王族だったじゃないの!! そのせいでこんな状況になったってことわかってるの!?」

そう、なぜ今私たちがここで伯爵翁様からトゥキルスの講義を受けるはめになったのか。

それはすべてこの仕事以外はさっぱりいい加減な女装趣味の男のせいだった。

我が家の家族会議でのロイの爆弾発言――リカルドがトゥキルスの王太子・イヴァン殿下のいとこであること——後の我が家の行動は、そりゃもう早かった。

ロイは研究所の仲間にリカルド様の情報について問い合わせるため職場にとって返した。継母は書斎に走り貴族名鑑の最新版(簡潔ではあるが他国の情報も載っている)を再確認。

そんな中、父は冷静にも「伯爵翁様に連絡をとってみよう」と手紙の準備を始めた。

「おとうさま、伯爵翁様が何かご存知だというのですか?」

「この国において、トゥキルスの情報に最も詳しいのはヴィオレッタ王妃がおいでの王都の中枢だが、それに匹敵するものをアッシュバーン家は持ち合わせているからね」

「それは……アッシュバーン領がトゥキルスとの国境に接しているからでしょうか」

「あぁ。今でこそ両国は平和だが、かつてあの国境は戦争の舞台だったからね。なぜかの地に辺境伯が置かれているのか——語るまでもないだろう?」

辺境伯は「伯爵」という名がついてこそいるが、実質は侯爵家と同等である。辺境と名のつく地を治めるに足る力のある者にのみ拝命される地位だ。そして辺境はいつだって争い事の火種に事欠かない土地でもある。アッシュバーン家が私兵を持つことを許された数少ない家であることを考えるまでもなく、かの家に課された使命、それは対トゥキルスの防波堤の役割だった。

「でも、なぜ伯爵翁様なのですが? アッシュバーン辺境伯ご本人ではなく……」

伯爵翁様は表向きは隠居した身だ。現在の辺境伯のアレクセイ様はアッシュバーン家の領都で暮らしている。現役の彼の方こそ、より最新の情報を持っていると考えていいはずだ。

「それもそうだが、ことトゥキルスに関しては伯爵翁様のご意見も大事だ。20年前の戦争時、当主のアレクセイ様はまだ10代で前線には立っておられない。王命を受け、アッシュバーン家の騎士を率い、最前線で戦われたのは伯爵翁様なのだよ」

伯爵翁様は現在60代と考えるなら、20年前アラフォーだ。ベテラン騎士として、アッシュバーン家当主として、誰よりも勇猛果敢に戦い、指揮をとった姿は想像がつく。

そんなことをぼんやり考えていると、父は真剣な面持ちで私の前に立った。

「アンジェリカ、ことはそれほど簡単ではないかもしれない。もしリカルド様が王族やそれに連なる身分の方であるなら、その方からのお誘いを無下にはできないだろう」

「……!?」

「そう。つまりおまえは、トゥキルスに行かねばならないことになる」

父の話からことの重大さがはっきりした。これはすでに風来坊のマリウムがうっかり他国の王族と知り合いになった、という単純な話ではない。私たちが非公式ながら、他国の王族かそれに準ずる方から招待を受けてしまった、という重大案件だ。

「でも……! おとうさま、それならリカルド様の行動は、その、かなり軽々しいものだと思います。他国の人間を簡単に呼び寄せるだなんて」

しかも彼の身分とこちらの身分とを考えれば、命令とも言える形だ。どこか掴めない御仁ではあるが、軽率な行動をとるような人物には見えなかった。それにあのときの会話を思い出してみれば、たまたま私の手が荒れていたことに気づいたリカルド様が軟膏を勧めてくださり、それに興味を持ったマリウムが暴走したという流れだ。偶然の成り行きで話がご招待にまで至っただけで、何か奥があるようにも思えない。

「その辺りが謎なんだよ。私はリカルド様という方にお会いしたことがないし。そのあたりの情報も伯爵翁様が持っておられたら、と思ったのだ。それに、純粋にアンジェリカをトゥキルスに行かせてもよいものか……その相談もある」

それなら確かにアッシュバーン現辺境伯よりも伯爵翁様の方が適役かもしれなかった。

「……わかりました。おとうさまと伯爵翁様のご意見に従います。あの、こんなことになって、本当にごめんなさい」

ただの日常会話の延長のはずだった。それがこんな事態を引き起こすことになろうとは。

落ち込む私の頭に、父の大きな手が置かれた。

「おまえに何も落ち度はないのだから、謝ることはないさ。それにしても……伯爵翁様やアッシュバーン辺境伯はまだわかるとして、騎士団長様や宰相様、公爵様、王妃様に続いて、次はトゥキルスの王族や大貴族か。おまえはいったいどこまで引き寄せる運命なんだろうね」

苦笑しながらぽんぽんと頭を撫でたのち、父は机に向かった。

――そんなの私が知りたいと思った。