軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

黒犬の頂点、狂愛の父

大広間の重厚な襖が開くと、そこには息の詰まるような「暴力の気配」が充満していた。

百畳はあろうかという広大な和室。

中央に続く畳の両脇には、裏社会を牛耳る『黒犬』の幹部たちが居並んでいる。

いずれも一筋縄ではいかない凶相の持ち主ばかりだ。

その多くが長男・龍牙や長女・麗奈といった有力な後継者候補の派閥に属しており、まどかが一歩踏み込むたびに、刺すような冷視が投げかけられた。

だが、その無数の視線の全てを、最奥に座る「一点」が吸い寄せていた。

柊家当主、 柊宗一朗(ひいらぎ・そういちろう) 。

首都の裏社会を統べる王の一人。

そこにいたのは、仕立ての良い着物を無造作に羽織った、白髪混じりの老人だった。

しかし、その枯れ木のような肉体から放たれるプレッシャーは、俺が先日屠ったBランク魔物の比ではない。

ただそこに 胡座(あぐら) をかいて座っているだけで、空間そのものが軋みを上げ、重力が倍に跳ね上がったかのような錯覚を覚える。

(マスター……あのじいさん、ヤバいです。知力は分かりませんが、身体能力の『格』が違いすぎます)

(ああ、全くだ。Cランク上限まで鍛え上げた今の俺でも、ただの老人じゃないことくらいは分かる。……だが、様子が変だぞ)

俺はまどかの斜め後ろに控え、静かにその老人を観察した。

龍牙たちがそれぞれの席につくと、宗一朗の鋭い眼光が広間を射抜いた。

その場にいた数十人の武闘派幹部たちが、蛇に睨まれた蛙のように一斉に硬直する。

「……まどか。近くへ来い」

地を這うような重低音。

龍牙がニヤリと口角を上げた。

妾(めかけ) の子である妹が、公の場で失態を咎められ、処断されるのを確信している顔だ。

まどかが緊張した面持ちで、静かに父の御前へと進み出る。

その瞬間だった。

「おお……まどかぁっ! よくぞ無事に戻った! 道中、龍牙の放った薄汚い刺客に襲われたと聞いたが、怪我はないか!? 顔色が少し悪いぞ、ちゃんと肉は食っているのか!? 今すぐ極上のステーキを焼かせようか!?」

広間の空気が、文字通り一瞬で凍りついた。

さっきまでの魔王のような威厳はどこへ行ったのか。宗一朗は身を乗り出し、まるでこの世のすべての宝をかき集めたような、

とろけそうな笑顔でまどかを見つめている。

「……ええ、父上。お気遣い感謝いたします。おかげさまで、後ろに控えるこの護衛がすべて退けてくれましたので、無傷です」

「そうか、そうか! ああ、本当に良かった! お前のその美しい顔に万が一でも傷がついていれば、私はこの屋敷ごと首都を火の海にして焼き払うところだったぞ! ……龍牙、貴様」

宗一朗が長男に向けた視線は、一転して、路傍の汚物を見るような冷徹で殺意に満ちたものに変わった。

龍牙の顔から、さぁっと血の気が引いていく。

「な、父上……! それは誤解です! 私はただ、まどかの身辺警護の質を試そうと、少しばかり試練を与えただけで――」

「黙れ。まどかが不快に思ったのなら、それは万死に値する大罪だ。後で私の部屋へ来い。少し『物理的な教育』が必要なようだな」

絶句。

これが『黒犬』の真実か。

まどかは妾の子として兄弟たちから蔑まれていたが、ボスの宗一朗にとって、彼女は亡き最愛の女の面影を色濃く残す、何よりも代えがたい「愛娘」だったのだ。

「フン、相変わらずの狂った溺愛ぶりねぇ」

長女の麗奈が、忌々しそうに煙管を燻らす。

脳筋の 猛(たける) 派、毒使いの麗奈派……そして実務を握る龍牙派。

派閥争いは激しいけれど、結局のところ、ボスの『お気に入り』であるまどかが最強というわけだ。

まどかが特定の派閥に属さずとも生き残れているのは、このボスの絶対的な愛という「聖域」に守られているからに他ならない。

「さて……。まどかよ、そこのジャージの男が、お前を守ったという護衛か?」

宗一朗の視線が、再び俺へと向けられた。

今度は、大切な娘に近づく「悪い虫」を検品するような、極めて不快そうな、本気の殺気がこもった目だ。

「……はい。名は結城誠と言います。

元は冒険者協会の事務員でしたが、並外れた武勇を持っております。

本日は、父上への手土産も用意させております」

「……事務員だと? 適性なしの凡夫が、まどかの隣に立っているというのか」

宗一朗から放たれる殺気が、物理的な衝撃波となって広間を吹き抜ける。

畳が軋み、周囲の幹部たちが息苦しさに顔を歪めた。

並の冒険者なら、この圧力だけで気絶するか、膝をついて許しを乞うだろう。

(マスター、じいさんがキレてます! 顔面ボコボコにして分からせますか!?)

(待て、エク子。お前は少し黙ってろ。ここで暴れたら取引が台無しだ)

好戦的な脳筋AIを宥めつつ、俺はどこ吹く風で、その殺気の渦の中に立ち続けた。

知力20のステータスの恩恵か、あるいはブラック協会時代に理不尽な上司を相手にしすぎたせいか、この程度の威圧では俺の心は微塵も動かない。

「……失礼しました。ジャージ姿で御前を汚してしまったことは、深くお詫びしましょう」

俺は一歩前に出ると、懐のインベントリから、あの赤く脈打つ結晶体を取り出した。

「ですが、この『炎王蜴の紅蓮核』と『豚鬼の黄金肝』を見れば、少しは評価を変えていただけるかと」

結晶が姿を現した瞬間、大広間の温度が数度、明確に跳ね上がった。

幹部たちのざわめきが、一瞬で消え去る。

「……なっ!? そ、それは!」

次男の猛が、巨体を揺らして身を乗り出した。

「Bランク魔物、クリムゾン・サラマンダーの核だと!? しかも、なんという純度だ……!

魔法の干渉痕はおろか、武器で傷つけられた痕跡すら一切ない!

これほどの完璧な状態でドロップさせるなど、Aランクパーティーの総攻撃でも不可能だぞ!それに豚鬼の黄金肝もだと?!」

「馬鹿な!」

龍牙が立ち上がり、声を荒げた。

「そんなどこぞの骨の馬の骨ともわからない無職の男が、Bランク魔物を単独で狩れるわけがない! どうせ、どこかの 回収屋(スカベンジャー) の倉庫から盗み出してきたに決まっている!」

龍牙の難癖に、俺は鼻で笑った。

「盗んだ? なら、あんたのその優秀な情報網で探してみればいい。これほど不純物のない100%の完全ドロップ品が、市場に出回った記録があるかどうかをな」

大広間が、水を打ったように静まり返る。

証拠はない。だが、この圧倒的な魔力を放つ『本物』の前では、どんな言い訳も薄っぺらく聞こえた。

「……ハッ! 大口を叩きおって! ならば、その腕力を俺が試してやる!」

猛が咆哮と共に、巨体を躍らせて俺の目の前へと迫った。

黒犬最強の武闘派幹部。

その丸太のような拳が、空気を裂いて俺の顔面へと迫る。

――だが、遅い。

俺からすれば、猛のパンチはスローモーションの風船のように見えた。

俺は避けることすらせず、スッと左手の人差し指を一本だけ突き出し、猛の拳の軌道上に置いた。

ドンッ!!

鈍い衝撃音。

猛の全力の拳は、俺の人差し指の先端に触れた瞬間、見えない壁に激突したかのようにピタリと停止した。

「……な、に……っ!?」

猛の顔が驚愕に歪む。

俺は猛のステータス程度では、俺の皮膚一枚すら貫通できない。

「少し、殺気が強すぎますよ。……このジャージ、さっき下ろしたばかりの新品なんです。汚れたら弁償してもらいますよ」

俺がそう言って指先でピンッと猛の拳を弾き返すと、二メートル超えの大男が、まるでトラックに撥ねられたかのように後方へと数メートルも吹き飛び、畳の上を転がった。

「「「…………!!」」」

龍牙も、麗奈も、居並ぶ幹部たちも、全員が声を出せずに硬直した。

誰も、俺が何をしたのかすら見えなかったはずだ。

ただ指で弾いただけで、黒犬最強の武闘派である次男が吹き飛んだのだから。

「……カッカッカッ! ガハハハハハハッ!!」

静寂を破ったのは、ボスの宗一朗の大爆笑だった。

「見事! 実に愉快だ! まさか猛が手も足も出ずに転がされるとはな! まどかよ、お前はとんでもない化け物を拾ってきたものだ!」

宗一朗は腹を抱えて笑った後、スッと表情を引き締め、極道のトップとしての冷酷な顔で俺を見据えた。

「結城誠、と言ったな。……貴様の力は本物だ。その紅蓮核と豚鬼の黄金肝、私が直々に『3000万円』で買い取ろう。

……まどかから話は聞いている。ギルドを通さず、我が柊家と直接の『専属取引ルート』を結びたいそうだな?」

「ええ。市場価格の満額で、中抜きのマージンは一切なし。それが俺の希望です」

幹部たちがざわめく。無所属のモグリが、組織のトップに直接取引を、しかもマージンなしで要求するなど前代未聞だ。

だが、宗一朗は目を細め、底知れぬ笑みを浮かべた。

「いいだろう。……だが、ただの『素材屋』に特級のルートを開放するほど、我が組織は甘くない」

宗一朗の目が、鷹のように俺を捉える。

「貴様には、ただ素材を納品するだけでなく、私からの『 特命依頼(オーダー) 』をこなしてもらう。」

龍牙のほうに目線を向けながら続ける。

「表の冒険者ギルドや、我が組織の無能な傭兵どもには頼めない、極秘で危険な案件だ。

……貴様のその理不尽な暴力を、私のために振るえ。それが、特級ルートを開くための条件だ」

なるほど。

アイテムを売るだけのお客様ではなく、組織の汚れ仕事も請け負う『最強の便利屋』になれということか。

だが、金が稼げるなら俺に否はない。

「……構いません。報酬さえ見合えば、人殺し以外どんな魔物でも、どんな障害でも、この素手で叩き潰してみせましょう」

「ハッ、頼もしい男だ。交渉成立だな」

宗一朗は懐から黒塗りの金属製カードを取り出し、俺に向かって放り投げた。

「その『紅蓮核』と『豚鬼の黄金肝』の代金だ。すでに3000万円を入金してあるから自由に使え。

……そして、後日さっそく最初の『依頼』を回そう。期待しているぞ、誠」

俺は空中でカードをキャッチし、その重みと冷たさを掌で確かめた。

(マスター!! やりました! 一気に3000万です!! あと、じいさんを殴らなくて本当に良かったです!)

(ああ……。これでようやく、美桜を救うための土俵に上がれた気分だ)

歓喜に沸くエク子の声を聴きながら、俺は龍牙たちの憎悪に満ちた視線を背中に浴び、静かに大広間を後にした。

一億円という途方もない壁。

その頂上へと続く裏社会の極細の糸を、俺は確かに掴み取ったのだ。