作品タイトル不明
黄泉の回廊
新幹線が京都駅のホームに滑り込んだ。
改札を抜けると、古都の風情と現代のビル群が入り混じる独特の景色が俺を出迎えてくれた。
だが、観光気分に浸っている暇はなかった。
「……見えたな。あれが京都のダンジョン群か」
京都盆地の外れ、鬱蒼とした山の中に、禍々しい漆黒の巨大な鳥居がそびえ立っていた。
空は鳥居を中心にどす黒い雲で覆われ、その一帯だけがまるで異界のように歪んで見えた。
この場所は、上級ダンジョン【黄泉の 回廊(よみのかいろう) 】と、その最奥から直結している特級ダンジョン【奈落の 御所(ならくのごしょ) 】が入り混じる複合危険地帯だった。
ここは何故か迷宮氾濫が起きないらしい。
鳥居の前に『危険区域・入場は自己責任』と書かれた古びた立て札があるだけで、警備の職員すらいない。
さらに強大すぎるがゆえに、わざわざ管理しなくても命知らずの馬鹿か、本物の実力者しか寄り付かないからだった。
俺はいつもの安物ジャージ(予備)とスニーカーという身軽な格好で、ドドンキ袋を提げたまま堂々と鳥居をくぐった。
『マスター、気をつけてください。
この上級ダンジョンの空気中には、触れるだけで体力を削り取る持続性の猛毒『瘴気』が漂っています!』
エク子が心配そうに声を上げた。
だが、俺は深く息を吸い込み、軽く肩を回した。
「大丈夫だ。疾風狼の峡谷で基礎ステータスを底上げしたおかげで、ある程度の異常耐性も上がってるみたいだ。
……ちょっと空気が悪い程度にしか感じない」
『ふん、その程度の瘴気で音を上げるようでは、暗黒龍のブレスの前に塵になっておるわ』
グリ子が鼻で笑う。
俺は首の骨をボキリと鳴らし、ダンジョンの深淵へと続く長い階段を下り始めた。
◆
――上級ダンジョン、【黄泉の回廊】。
無数の鳥居が迷路のように連なり、紫色の瘴気が濃く立ち込めるこの場所で、関西トップクラスの実力を持つAランクパーティー『 京洛(きょうらく) の盾』の四人は、絶望的な死闘を繰り広げていた。
「くそっ! なんだこの数は! Aランクの『 羅刹鬼(らせつき) 』が五体同時なんて、事前情報と違うぞ!」
リーダーである大剣使いの男が、血を吐きながら叫んだ。
彼らは本来、上級ダンジョンであるこの『黄泉の回廊』の素材収集依頼で潜っていたはずだった。
だが、不運にも魔物のモンスターハウスに遭遇し、防戦一方に追い込まれていたのだ。
「回復、もう魔力が持ちません……!」
「俺の結界も、あと数発食らえば割れる!」
三メートルを超える巨大な赤鬼たちが、金棒を振り回してじりじりとエリートたちを追い詰めていく。
一撃でもまともに貰えば即死。完全に退路を断たれ、四人の脳裏に『全滅』の二文字が過った、その時だった。
「……あー、ちょっとすんません。通りますよ」
緊張感の欠片もない気怠げな声が、殺伐とした戦場に響き渡った。
「「「えっ?」」」
エリート冒険者たちが呆然と振り返った先。
そこには、どこからどう見ても特売品のジャージを着て、手には黄色いビニール袋を提げた、一人の若い男が立っていた。
「な、なんだお前は!? なぜこんな所に……いや、早く逃げろ! そいつらはAランクの――」
リーダーの制止の声が終わるより早く。
ジャージの男は、立ちはだかる一番手前の羅刹鬼の懐へと、まるで散歩でもするような足取りでスッと入り込んだ。
「グルァッ!?」
羅刹鬼が怒り狂い、大木のような金棒を男の脳天めがけて振り下ろす。
だが、男はそれを見もしない。ただ、無造作に右腕を振り抜いただけだった。
ドカンッ!!!
「…………は?」
大剣使いのリーダーの口から、間抜けな声が漏れた。
ジャージの男の素手による一撃。
たったそれだけで、分厚い筋肉の鎧を纏ったAランクの羅刹鬼の上半身が、まるでトマトのように弾け飛んだのだ。
『対象の討伐を確認。羅刹鬼の基礎ステータス【10%】を初回永久強奪しました!』
『ドロップアイテム、ドンキ袋に収納完了ですっ!』
男の脳内で何が起きているのか、周囲の冒険者たちには知る由もない。
男は首を傾げ、残りの四体の羅刹鬼を見た。
「なるほど、初回討伐は10%か。じゃあ残りの四体は、ただの0.01%のチリツモだな」
男がそう呟いた瞬間、その姿がフッと掻き消えた。
直後。
ドガァッ! !
残りの四体の羅刹鬼が、見えない力で空中に打ち上げられ、次々と原型を留めない肉塊に変わって地面に叩きつけられた。
時間にして、わずか三秒。
関西トップのAランクパーティーを全滅の危機に追い込んだ魔物の群れが、たった一人の素手の男によって、文字通り『掃除』されてしまったのだ。
「ふぅ……準備運動にはちょうどよかったな」
男は服に付いた血の飛沫を鬱陶しそうに払い、何事もなかったかのように黄色いビニール袋を肩に担ぎ直した。
「あ、あの……」
大剣使いのリーダーが、震える声で話しかける。
「助けていただいて、ありがとうございます。あ、あなたは一体……Sランクの方ですか……?」
男は少し面倒くさそうに振り返った。
「いや、ただのCランクだけど。
……それよりあんたたち、怪我してるなら早く上に帰った方がいいぞ。
ここから先は、俺みたいなのが暴れるからもっと空気が悪くなる」
そう言って歩き出そうとする男の背中に、リーダーが慌てて声を張り上げた。
「ま、待ってくれ! この上級ダンジョン『黄泉の回廊』を抜けた先は……特級ダンジョン【奈落の御所】だぞ! Sランクの暗黒龍が巣食う絶対死地に、たった一人で行くつもりか!?」
「ああ。ちょっとそのトカゲに用事があってね」
男はそれだけ言い残すと、さらに奥深くへと続く鳥居のトンネルの方へ迷いなく歩き出してしまった。
「Cランクが?Sランクの暗黒龍に用事だと……嘘だろ」
呆然とその背中を見送っていた後衛の魔法使いが、ハッとしてスマホを取り出した。
「リーダー! あ、あの人! ネットで今大騒ぎになってる『ドドンキ袋のワンパン男』ですよ! イレギュラーのA+ボスをワンパンしたっていう……服装も、あの袋も完全に一致してます!」
「なんだと!? なぜあんな規格外が、京都に……!」
ネットの都市伝説が、目の前で現実の暴力を振るい、そして特級ダンジョンへと単騎で向かっていく。
冒険者たちは、恐怖と畏敬の入り混じった視線で、瘴気の向こうへ消えていくジャージの男の背中をいつまでも見つめ続けていた。
◆
「さて、ここから先か」
上級ダンジョン【黄泉の回廊】を抜け、さらに深く潜った先。
巨大な黒曜石で作られた、禍々しい両開きの扉の前に、俺は立っていた。
扉の上部には、古びた文字でこう刻まれている。
――特級ダンジョン『奈落の 御所(ならくのごしょ) 』。
扉の隙間からは、先ほどの黄泉の回廊とは比べ物にならないほど濃密で絶望的な、死の気配が絶え間なく溢れ出している。まさに奈落の底だった。
『マスター。この扉の先が、特級ダンジョンです。
……生体反応、極大。間違いありません。
Sランクモンスター・暗黒龍が、この【奈落の御所】の最深部で待ち構えています』
トラ子の声が、かつてなく緊張を帯びていた。
『マスター……本当に、本当に気をつけてくださいね!』
『ふはははっ! さあ、行くがよい宿主よ! 最強のトカゲを地面に這いつくばらせ、わらわの強欲の底なしの器を世界に知らしめてやるのじゃ!』
俺はドドンキ袋の口を固く縛り、腰のベルトに括り付けた。
魔法もスキルもない。効果付きの装備も使えない。
俺にあるのは、限界まで底上げした基礎ステータスと、トラ子の予測、そして敵を殴って力を奪う【存在強奪】の拳だけだった。
「ああ、分かってる」
俺は両手を扉にかけ、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。
「さあ……行くぞ!」
ギィィィィィ……ッ。
重い扉を押し開け、俺は国家災厄級の化け物が最奥に鎮座する『奈落の御所』へと、その足を踏み入れた。