作品タイトル不明
黒犬の会合、左京との対峙
嵐の前の静けさ、とはよく言ったものだ。
海での騒がしくも温かな休日を終え、俺は再び、新宿の裏側へと足を踏み入れていた。
ギルドマスターから送られてきた情報は簡潔だった。
『今夜、二十時。柊本家。定例会合が行われる。左京玄弥は、必ずそこに現れる』
俺はドドンキの黄色いレジ 袋(アイテムボックス) から、使い慣れたジャージを取り出し、身を包んだ。
たどり着いた柊本家は、以前の会合で訪れた時と、外観は何一つ変わっていなかった。
都心の喧騒を拒絶するような重厚な石壁と、歴史を感じさせる立派な門構え。
だが、決定的な違和感が俺の肌を粟立たせる。
「……静かすぎる」
門の前に立っているはずの黒犬の護衛たちが、一人もいないのだ。
本来なら、会合の夜はアリの這い出る隙もないほど厳重な警備が敷かれているはずだ。
それが門は無造作に開け放たれ、邸内からは虫の声一つ聞こえてこない。
静寂が、邸宅全体を包み込んでいた。
『マスター。邸内から複数の生体反応を検知。
……ですが、どれも脈拍が異常に安定しすぎています。
まるで、感情を失った機械のようです』
『マスター、庭園の方から強い魔力の残滓を感じます! 気をつけてください、普通の人間じゃない何かがいますよ!』
トラ子とエク子の警告を受けながら、俺は足音を殺して邸内へと侵入した。
荒らされた形跡はない。
だが、空気はどろりと重く、肺にまとわりつくような不快感がある。
廊下を抜け、邸宅の中央に位置する広大な日本庭園へと出た、その時だった。
「――おやおや。待ちわびたよ、結城誠。
案外、律儀に来てくれたんだな」
月明かりに照らされた庭園の中央。
そこには、かつての冷徹な面影を残しながらも、瞳にどす黒い狂気を宿した男――左京玄弥が立っていた。
奴は高級なスーツを汚れ一つなく着こなしているが、その足元には、信じられない光景が広がっていた。
「……ッ、宗一郎さん!」
俺は思わず声を上げた。
玄弥の足元には、満身創痍となり、血まみれで地面に転がっている柊宗一郎の姿があった。
裏社会の帝王として君臨していたあの男が、誇り高い黒犬のボスが、まるで使い古された雑巾のように無残に打ちのめされている。
「なぜこんな事を……。
左京、あんたの親父だろう! 自分の父親に手をかけて、何とも思わないのか!」
俺の怒鳴り声に対し、玄弥はくっ、と喉を鳴らして笑った。
「親父? ああ、そうだったね。だが、これも『黒犬』という組織が真の進化を遂げるために必要なプロセスなんだよ。
外野が、神聖な親子の団欒に口を出すなよ」
「結城……逃げろ……」
地面に伏したまま、宗一郎が掠れた声で俺に告げた。
片方の目は腫れ上がり、呼吸も苦しそうだ。それでも、その瞳の奥にはまだ鋭い光が残っている。
「この男は……もはや、俺の知っている玄弥ではない……。
得体の知れない『何か』に……魂を喰われて……」
「逃げられませんよ、宗一郎さん。
あんたをこんな状態で放っておいて、俺だけ帰れるわけがないだろ」
俺は宗一郎と玄弥の間に割って入るように立ち、拳を固く握りしめた。
そんな俺を、玄弥は心底愉快そうに、あるいは憐れむように見下ろしている。
「ははっ! 忠義の士だねぇ、結城。
だが、今の俺を止めることなど誰にもできん。
見てくれよ、この力! 黒犬の主要な派閥、幹部連中は、今この瞬間をもって完全に俺が掌握した!
これで黒犬は、NULLの支援を受けてもっと大きく、もっと凶悪に生まれ変わるんだ!」
玄弥は両手を広げ、天を仰いだ。
その背後から、泥のような黒い魔力が揺らめいているのが見える。
「親父、もういい加減に隠居して、俺に全部寄越せよ。あんたのやり方はもう古いんだ。
これからは、力を持つ者だけが支配する、真の弱肉強食の時代が来るんだからさぁ!」
「……ならん……」
宗一郎は、血を吐き捨てながら、はっきりと拒絶の言葉を口にした。
「玄弥……俺は、お前に期待していた……。
いずれは、お前に黒犬のすべてを委ねるつもりでいた。
……だが、今のお前は欲に溺れ、自分を見失っている。
ただ力という名の毒に酔いしれているだけの操り人形に……この組織を譲るわけにはいかん……!」
「……連れないなぁ、親父ぃ」
玄弥の表情から、一瞬にして笑みが消えた。
奴は無造作に足を上げ、宗一郎の脇腹を力任せに踏み抜いた。
「ガハッ……!」
「やめろッ!!」
俺は地面を蹴り、玄弥に向かって突進した。
だが、その瞬間。
「――おっと。そこから先は『聖域』だ。無粋な真似をするな」
玄弥が軽く指を鳴らす。
すると、庭園の影から数人の男たちが、音もなく姿を現した。
見た目は黒犬の構成員たちだ。
だが、その瞳には光がなく、肌は不気味なほど青白い。トラ子が言っていた通り、脈拍も感情も感じられない。
『マスター。これは…何かのスキルによる強化個体です!
外見は人間ですが、筋密度と魔力伝導率が通常の人間を遥かに超越し、超人レベルに分類されます!』
「白けたなぁおい、結城誠。……俺は、お前がずっと憎かったんだよ」
玄弥が冷たい瞳で俺を射抜く。
「……崇高なスロース様や、その組織【NULL】の邪魔をしやがって。
まどかという出来損ないを救い出し、あまつさえ俺たちの取引ルートをかき乱した。
……お前には、ただ蹂躙するだけでは生温い。
五体満足で帰れると思うなよ」
玄弥の合図と共に、数人の『超人』たちが一斉に俺へと飛びかかってきた。
その速度は、並の冒険者であれば目で追うことすらできないだろう。だが――。
「…………」
俺は、無意識に周囲を見渡した。
敵の集団の中に、まどかの姿がないか。
彼女もまた、この不気味な力に操られていないか。
……いない。
まどかがこの狂った洗脳の列に加わっていないことに、俺は心の底から安堵した。
「だったら……あとは、ぶっ飛ばすだけだ」
俺は、リミッターを外した。
左京玄弥や構成員たちから見れば、俺は一瞬にして『消失』したように見えたはずだ。
ドォォンッ!!!!!
「ガッ……!?」
先頭を走っていた男の腹部に、俺の拳がめり込んだ。
超人化しているはずの男の肉体が、まるで紙細工のようにくの字に折れ曲がり、庭園の巨大な灯籠を粉砕しながら吹き飛んでいく。
「何っ!?」
玄弥の驚愕の表情、しかし俺は止まらない。残りの三人に対しても、流れるような動作で回し蹴りと手刀を叩き込む。
衝撃音砕が静かな庭園に響く。
そして瞬く間に四人の刺客たちが、地面に這いつくばって動かなくなった。
かつての俺なら、これだけの強敵を相手にするのはかなり辛かったと思う。
だが、今の俺は存在強奪で奪った 力(ステータス) を自分自身の血肉としたバケモノだ。
スキル? そんなもの、必要ない。
ただの『速さ』と、ただの『重さ』。
例え相手が強化された身体とはいえ、赤子を捻るよりも容易い。
「……余裕だな。もっとマシな手駒はいないのか、左京!」
俺は一歩、玄弥に向かって歩みを進めた。
返り血一つ浴びていない俺の姿を見て、玄弥の頬が痙攣するように引きつった。
「ば、馬鹿な……。スロース様から与えられた力が、これほどあっさりと……!
貴様、一体どんなスキルを……!」
「スキルなんて使ってないさ、あんたの言う『圧倒的な力』ってやつが、俺からすればただの微風に過ぎなかった、それだけのことだ」
俺の背後で、宗一郎が目を見開いて絶句している。
庭園に流れる空気が、再び凍りつく。
黒犬を掌握したと豪語した左京玄弥。
だがそれは、俺という規格外の存在によって足元から崩れ去ろうとしていた。
「さあ、次はあんたの番だ。NULLの居場所、そして茜……天道さんをどこへ連れて行ったか、残らず吐いてもらうぞ」