作品タイトル不明
6.
お嬢様の言葉が旦那様の心に深く突き刺さったことが見て取れました。
静まり返った部屋の中、旦那様は口をわななかせながらも答えを返すことなく、ただ涙を溢れさせました。
「……ああ、どなたかいらっしゃったみたい」
泣き崩れる旦那様を、なんの表情もなく見つめ続けていたお嬢様が、すっと視線を窓の外に向けました。すると、確かに馬車の走る音が小さく聞こえてきました。
「では、私はこれで失礼させていただきます」
司祭様もこれ以上、子爵家の内情を見ることに抵抗があったのでしょう。深く一礼を捧げ、部屋から退室していきました。
「子爵様、お立ちになって? お母様を偲んでくださる方々を出迎えなくては」
お嬢様が旦那様の前に立ち、当主としての役割を果たせと、その視線で促していました。
「ラモーナ様たちも。そのように華やかな出で立ちはいかがなものかと思われますが、お着替えにはならないのでしょうか」
先程からのやり取りにすっかり疲れ果てた様子だったラモーナ様ですが、それでもお嬢様を鋭く睨みつけました。
「……行きましょう、ペネロピ。……その女の葬儀など、私達には関係のないことですよ」
「え⁉ ……あ、はい、お母様」
ペネロピ様は不安げにお嬢様と旦那様に視線を向けながらも、ラモーナ様の語気の強さに逆らうことができなかったらしく、おとなしく母親に従って、部屋をあとにしました。
「……子爵様?」
お嬢様が再び旦那様を促すも、俯き、放心したように項垂れる旦那様は立ち上がる気配がありません。
「わかりました。私が代わりを務めてまいります」
お嬢様は一度だけ奥様の眠る寝台に視線をやってから、しっかりと前を向き、振り返ることなく歩き始めました。
私達も、ハッと現実に戻ったかのように、ようやくこの重苦しい室内から解放されることに少しの安堵を抱きながら、お嬢様のあとを追いました。
玄関ホールに向かうと、ちょうどご弔問の方々が屋敷に入ってきたところでした。
その中の老婦人が、階段を降りてこられるお嬢様に気が付き、大きく瞳を見開きました。
「シャーロット!」
お祖母様がお嬢様の名を呼んで両腕を広げると、
「……お祖母様」
お嬢様は小さく呟き、その胸へと進まれました。お祖母様は愛おしそうに、そっとお嬢様を抱きしめたのです。
「手紙をありがとう。……大変だったわね」
「……お祖母様、お母様が」
それだけ口にすると、お嬢様はきゅっと口をつぐみ、名残惜しそうにその胸から離れました。
「……母は苦しむことなく、神様のもとに旅立ちました」
そういって、寂しげに微笑みました。
「そう……、そうなのね。あなたがそばにいてくれたのなら、あの子も寂しくはなかったことでしょう」
「……そうでしょうか?」
お嬢様のその静かなつぶやきに、先程までの凄惨な断罪劇が私の脳裏をよぎりました。
奥様の最期の言葉は、旦那様に向ける愛であり、そしてそれは呪いでもありました。
ですが、その中に、お嬢様自身への言葉は果たしてあったのでしょうか。
お嬢様の心の揺らぎを察したのか、お祖父様が静かに言葉を添えられました。
「シャーロット、あの子の愛を疑わないでやってくれ」
「お祖父様……ええ、そうですわね」
祖父母にそう促され、微笑むお嬢様の姿は、どこか痛々しく私の目に映りました。
「シャル」
低く、甘い声で呼ばれたのは、お嬢様の愛称です。でも、その名で呼ぶのは、今ではお一人だけです。それは──
「……ラン」
それまで気丈に振る舞っていたお嬢様の瞳が、みるみる涙で滲んでいくのがわかりました。
お祖母様がそっとお嬢様の背中に手を添え、そちらへ行くようにと促しました。
「頑張ったね、シャル。もう泣いていいよ」
その一言に、お嬢様の瞳からは決壊したように涙がこぼれ落ちたのです。
「……お母様が逝ってしまったわ」
「うん」
そこには慰めの言葉はなく、ただ静かにこぼれ落ちる涙を、そっと拭うだけでした。
「……お父様を愛していたって」
「クリスティアナ様は趣味が悪いね」
「……ふふっ、本当に」
まだ涙は止まらないものの、ようやく普段のお嬢様らしい微笑みを見て、私達使用人もようやく胸をなでおろしました。
あんなにも冷静に旦那様を追い詰めるお嬢様はまるで別人のようで、奥様のために戦っていると理解しながらも、それでもやはり不安だったのです。
「それで子爵は?」
「……お母様に、逝かないでくれって」
「今更?」
「ええ。それもついさっき、……ようやくよ」
お嬢様の言葉を聞き、その場にいた全員が苦虫を噛み潰したような表情になりました。
「シャーロット嬢。……遅すぎる涙や謝罪ほど、無価値なものはない。クリスティアナ様が最期にその目に焼き付けたのは、子爵の姿ではなく、気高く美しいあなたの姿だ。お母様の御霊が安らかであるよう、心よりお悔やみ申し上げます」
その言葉に、お嬢様は静かに頷かれました。
「ありがとうございます、ランディ様。そのお言葉にどれほど救われる思いか分かりません」
お嬢様が丁寧に一礼を返されました。
周囲の目を意識した、どこまでも貴族的で美しい態度。ですが、あの方にしか見せない、わずかに和らいだお嬢様の目元を見て、ようやくお嬢様のたった一人での戦いは終わりを迎えたのだと思いました。
そうして、和やかな雰囲気が漂い始めたその時でした。
「……シャーロット、その男は誰だ!」
すがるような形相で、慌てて階段を駆け下りてくる旦那様の姿に、その場に再びピンと緊張が走りました。