軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

5.

お嬢様がペネロピ様に向ける眼差しは、まるで慈しむような──それでいて、どこか憐憫が混じっているような、ほんの少しだけ痛みを帯びているように見えました。

「大丈夫よ。ちゃんとあなたには私が子爵令嬢として手に入れたものすべてを譲ってあげるわ」

ペネロピ様の手をすくい上げ、その手のひらに、昨日は決して与えることのなかったサファイアのブローチを握らせました。

「……どうして」

「これからはあなたが子爵令嬢だもの。そして、ラモーナ様が子爵夫人。……子爵様と仲良く、これからも過ごしてちょうだい」

お嬢様は、意味を理解できず戸惑うペネロピ様から離れ、再びラモーナ様に向き直りました。

「お母様とラモーナ様。どちらが勝ったのか。私には分かりませんし、興味もございません」

「……そう。この家を捨てて伯爵家で生きるあなたにとっては他人事だというのね」

「いえ。だって、そもそも同じ舞台に立っていないものを、どう比べるのです?」

そう言ってお嬢様は旦那様に視線を向けられました。

「そうでしょう? 子爵様。あなたはただ駄々を捏ね、現実から目を背け、前子爵とお母様の庇護のもと、ラモーナ様やペネロピ様と微笑ましいおままごとに興じていただけですものね」

「なっ!」

「え? 違いましたか? ……まあ、どうしましょう。私の勘違いだったのかしら。どう思われますか? 司祭様」

それまで静かに控えていた司祭様が、深く息を吐き、お嬢様を窘めるように一歩前へ出ました。

「……シャーロット様。これは、どこまでがクリスティアナ様の告解なのでしょうか。……あなたのお気持ちは痛いほど分かります。ですが、まずは亡き奥様が神に捧げたお心を、そのままお伝えいただけますか」

司祭様の言葉を聞き、お嬢様が笑みを深めました。

「そうですわね。お母様のことを一番に考えてくださり、感謝申し上げます。では、母の言葉の続きを伝えさせていただきますね」

お嬢様はひと呼吸置くと、再び手帳を開かれました。誰もが声を出すこともできず、その手元を凝視しています。

「『私は自分の命の期限を知り、この子爵家のすべてを私が手を付ける前の状態に戻してお返しすることにいたしました』」

「……すべて……?」

旦那様の顔から、急速に血の気が引いていくのが分かりました。

しかしお嬢様はその動揺を意にも介さず、落ち着いた声で手帳の言葉を紡ぎ続けます。

「『きっと、私がいなくなったら、あなたはラモーナ様と再婚するのでしょう。だからこそ、私の痕跡をすべて消したい。そして、今度こそあなたの望む幸せを手に入れてほしいと考えました』」

──すべてを消す。

その言葉に、そばに控えていた私や使用人たちの間に、激しい動揺が走りました。

いったい、その「すべて」とはどこまでを指すのでしょうか。

もし、その言葉通りに歴史が巻き戻されてしまうのだとしたら──

奥様が嫁がれるまで、この子爵家は大変困窮していたのです。それをなんとか立て直し、多額の借金を完済したのは、 偏(ひとえ) に奥様のご実家の財力と、奥様の献身のおかげだと聞いております。

──ああ、まさか。最近、子爵家の財政が急激に傾き始めていたのは、すべて奥様が仕組まれていたことだったのでは……。

「『愛するあなた。あなたと過ごした時間に感謝しています。どうか、お元気で』」

お嬢様が静かに手帳を閉じ、司祭様に一礼をされました。

司祭様は厳かに、奥様の眠るベッドへと歩み寄ります。

「……お聞きなさい。奥方の最後の祈りは、今、天へと届けられました。彼女は最後まで、あなたの妻として毅然と生きた。その愛の重さを、どうか忘れないでください」

司祭様はそれ以上旦那様を見ようとはせず、懐から小さな銀の容器を取り出されました。中にあるのは、病者の魂を神に委ねるための聖油です。

司祭様は親指に油を纏わせると、すでに白磁のように冷たくなった奥様の額、そして、その両手のひらに、静かに十字を刻んでいかれました。

「主がその慈しみと聖霊の恵みによって、あなたを助け、罪から解放して救いへと導いてくださいますように……」

低く、祈るような声で司祭様は秘跡を終えられました。

これで、奥様を縛る現世の苦しみはすべて終わったのだと、見守るこちらの胸まで締め付けられます。

「……待て、……待ってくれ、クリスティアナ」

その直後、旦那様がうわずった声で奥様の名前を呼びながら、寝台の横にもつれ込みました。

「だめだ! 逝かないでくれ! 君がいなかったら、ああ……私には無理だ、この家を一から立て直すなんて……! 酷いぞ、私が無能だと、君は知っていたじゃないか!」

亡き奥様にすがりつく旦那様の、あまりにも身勝手な言葉に呆れるほかありません。

ですが同時に、笑うこともできませんでした。奥様と結婚されてからの十五年以上もの間、領地の仕事のほとんどを奥様に任せきりにしていた旦那様の姿を、私たち使用人は嫌というほど知っているからです。

そんな無様な旦那様を冷ややかに見つめ、お嬢様が小さくため息を吐かれました。そして、静かに言葉を紡ぎます。

「子爵様。この世に永遠のものなどありません。どうして、お母様がずっとあなたを守ってくれると信じていられたの? ──あなたから、お母様への愛すらなかったというのに」